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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
行政審査事案第2808号 冒険者ギルドの正体
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第29話:出頭命令

「行政審判所だと?」


 自由都市リベルタスの中心部にそびえる、冒険者ギルド大陸本部。


 最上階の執務室で、ギルドマスターのハインリヒは、届けられたばかりの召喚状を苦々しく睨みつける。


「市役所の小役人どもが、何の真似だ。我らギルドは国境を越えた独立組織だぞ。一都市の行政管轄になど、最初から入っていない」


「ハインリヒ様、そうも言っていられません」


 傍らに立つ法務顧問のエーリッヒが、冷淡な声で告げる。


 彼は眼鏡を押し上げ、召喚状の別紙に目を落とした。


「今回の申立てには、現役冒険者による不服申立てだけでなく、市財務部による税務審査も含まれています。どうやら、窓口での対応が仇となったようですな」


「ミレーヌの対応か? 彼女はマニュアル通りに動いたはずだ。冒険者は利用者、ギルドは管理者。三百年続く鉄則だろう」


「その『鉄則』が、行政法の定義と矛盾したのです。利用者に不利益な処分を課しながら、不服申立てを認めず、かつ公共組織として免税を享受する。……これは法的に見て、極めて脆い構造と言わざるを得ません」


 ハインリヒは黙って立ち上がり、窓の外を見下ろす。


 戦場を生き抜いてきた叩き上げの冒険者にとって、法理などという机上の空論は理解しがたい。だが、エーリッヒの顔に余裕がないことだけは伝わった。


「無視はできんのか。我らには大陸中の王室との契約がある」


「無視すれば、管轄権の放棄と見なされます。そうなれば、このリベルタス市内におけるギルドの全資産凍結、および営業活動の停止命令が即座に下るでしょう。財務官オスカーは、それを狙っています」


「……行くしかないのか。あの陰気臭い役所へ」


「ええ。出頭するしかありません」


 ハインリヒは溜息をつき、召喚状を乱暴に畳む。


 戦う相手は魔獣ではない。だが、これまでの人生で最も厄介な戦いになる予感が、彼の胸をざわつかせていた。



◇◇◇



「それでは、審理を始めましょう」


 行政審判官ニクラスは、にこやかに告げた。


 審判廷は静まり返っている。正面には、不機嫌を隠そうともしないギルドマスター・ハインリヒと、冷徹な表情の法務顧問エーリッヒ。傍聴席の最前列には、落ち着かない様子のレナと、腕を組んで推移を見守る財務官オスカーが座っている。


 ニクラスは手元の書類を整えると、眼鏡の位置を直した。


「冒険者ギルド大陸本部による、Bランク冒険者レナ・ヴィント氏への昇格拒否、および不服申立ての拒絶。これに伴うギルドの法的地位の確認。本件の論点はそこにあります」


「時間の無駄だ」


 ハインリヒが低い声で遮る。


「我らは三百年、このやり方で大陸の治安を守ってきた。一都市の役人が口を出すような矮小な組織ではない」


「ええ、重々承知しております。ですから、まずは基本的な確認をさせてください」


 ニクラスは全く動じない。穏やかな、だが妙に楽しげな目でハインリヒを見つめる。


「冒険者ギルドという組織は、法的に見て以下のどれに該当しますか? 今後の手続きを円滑に進めるため、はっきりさせておきたいのです」


 ニクラスは指を一本ずつ立てる。


「一、同業者組合。商人や職人のギルドと同様、構成員の利益を目的とする私的な団体。


 二、行政機関。国家や都市から公的な権限を委託された、公の組織。


 三、国際機関。各国の間に結ばれた条約に基づき、国境を越えて活動する超国家的組織」


「それは――」


 エーリッヒが隣で何かを言いかけ、ハインリヒを制しようとする。


 だが、叩き上げのギルドマスターは、胸を張って即答した。


「三番だ。我らは王国の壁すら越える、独立した国際機関である」


「……ハインリヒ様」


 エーリッヒが力なく呟く。ニクラスは「ありがとうございます」と深く頷いた。


「国際機関、ですね。素晴らしい。誇り高いお答えです」


 ニクラスはペンを取り、書類にさらさらと書き込む。


「では、国際機関としての審査に入ります。まず、その設立根拠となる多国間条約の原本、あるいは批准書の類を見せていただけますか?」


「原本だと?」


 ハインリヒは眉を寄せる。


「そんなもの、本部ビルの最深部にある大金庫に眠っているはずだ。わざわざこんな場所へ持ってくるようなものではない」


「左様でございますか。では、写しでも構いませんよ。あるいは公報への掲載記録でも」


 ニクラスの問いに、今度はエーリッヒが、苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。


「……写しはございません。三百年という歳月の間に、幾度かの戦乱や火災があり、当時の公的な記録は散逸しております」


「なるほど、記録がない。では、記憶を確認しましょう。設立に関わった締約国は、口頭でどこになりますか?」


「それくらいなら私でも答えられる」


 ハインリヒが鼻を鳴らす。


「設立当初は、今は亡き古エルム王国を含む六カ国だ」


「六カ国。ありがとうございます」


 ニクラスは手元の資料――大陸史の年表をめくる。


「確認します。その六カ国のうち、三カ国は魔王戦争の時期に滅亡。一カ国は内乱で分裂。現存しているのは、北のバルドル帝国と、西の聖サンクト王国の二カ国だけですね?」


「……その通りだ。だが、条約は引き継がれているはずだ」


「では、その現存する二カ国は、現在も貴ギルドを『多国間条約に基づく国際機関』として正式に承認し、外交上の特権を与えていますか?」


 沈黙が流れる。


 ハインリヒはエーリッヒを見た。エーリッヒは視線を落とし、絞り出すような声で答える。


「……確認しておりません。少なくとも、ここ百年の間に外交上の照会を行った記録はありません」


「確認していない。つまり、現在進行形で国際機関としての裏付けを取っている国家は、一国も存在しない……ということでよろしいですね?」


 ニクラスの笑顔は変わらない。


 だが、その丁寧な確認作業によって、巨大な組織の足元が音を立てて崩れていく。


「……あ、あの」


 傍聴席で、レナが隣に座っていた見知らぬ老人に小声で話しかける。


「要するに、国際機関って名乗ってるけど、それを証明する証拠がどこにもないってことか?」


「そういうことだ。証拠がないどころか、契約相手の半分が死んでる」


 老人は呆れたように肩をすくめた。


 レナはあんぐりと口を開け、正面のハインリヒを見つめる。


「マジかよ。そんな状態でよく三百年もバレなかったな」


「誰も疑わなかったからな。巨大すぎて、そこに在るのが当たり前だと思っていたんだ」


「……ありがとうございます、レナさん。静粛に」


 ニクラスが軽く傍聴席をたしなめる。


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