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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
行政審査事案第2808号 冒険者ギルドの正体
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第28話:門前払い

「次だ。Aランク昇格試験の申請」


 使い古された革のグローブが、磨き抜かれたカウンターを叩く。自由都市リベルタス、冒険者ギルド大陸本部。吹き抜けの天井と豪華なシャンデリアは、ここが大陸の武力を束ねる「心臓部」であることを誇示している。


 カウンターの向こう側で、ミレーヌは完璧な角度の微笑みを浮かべた。


「レナ・ヴィントさんですね。はい、確認いたしました。ですが申し訳ありません。現時点では、昇格試験の受理はいたしかねます」


「……はあ?」


 レナは眉間に皺を寄せ、身を乗り出す。無造作に束ねた赤毛の下で、鋭い目が受付嬢を射抜く。背負った大剣の鞘がガチャリと音を立てた。


「今なんて言った。あたしのBランク昇格からもう二年だ。討伐実績も、納品数も、Aランクの基準はとっくに超えてるはずだが」


「左様でございますね。数値上の条件は、すべてクリアされております」


 ミレーヌは手元の書類――魔力の光が走る羊皮紙を淡々と指でなぞる。その動作には一点の迷いもない。


「ですが、BランクからAランクへの昇格には、窓口担当者による『推薦』が必須となっております。レナさんの場合、今回もその推薦が出ておりません」


「だから、その理由を聞いてるんだ。これで三回目だぞ」


「総合的判断、でございます」


「その『総合的判断』の中身を言え。あたしの剣筋が気に入らないのか? それとも納品物の剥ぎ取り方が雑だとでも言いたいのか?」


 ミレーヌは困ったように小首をかしげる。その仕草すら、マニュアル通りに洗練されている。


「申し訳ありませんが、審査基準の詳細については非公開となっております。ギルドの内部規定により、決定プロセスの開示は認められていないのです」


「ふざけるな。基準も言わずに落とすなんて、それは試験じゃなくてただの『選別』だろ」


 レナの声が少しずつ大きくなる。周囲の冒険者たちが「またやってるよ」という視線を向けてくるが、構うものか。


「いいか、あたしはこの仕事に人生を賭けてるんだ。受付嬢一人の『気分』でランクを据え置かれてたまるか。不服申立てをする。責任者を呼べ」


「……あいにくですが」


 ミレーヌの笑みが、わずかに温度を下げる。


「ギルドの内部決定に対する、外部からの不服申立ては一切受け付けておりません」


「……外部?」


 レナの思考が一瞬、停止する。聞き慣れない単語が耳に滑り込んできた。


「おい、何を言ってる。あたしはギルドの登録冒険者だぞ。登録料も払ってるし、ギルドカードだって持ってる。どう考えても『内部』の人間だろうが」


「いいえ、レナさん。それは誤解です」


 ミレーヌは事務的に、だがはっきりと告げる。


「冒険者の皆様は、ギルドという組織が提供するマッチングサービス、および施設管理業務の『利用者』にすぎません。ギルドを組織し、運営し、意思決定を行う『構成員』ではないのです」


「利用者……?」


「はい。ですので、利用規約に基づいたギルド側の判断に対し、利用者が異議を唱える権利はございません。次の方、どうぞ」


 ミレーヌは丁寧に一礼し、手元の書類を脇に避ける。


 レナは言葉を失ったまま、カウンターの前に立ち尽くす。


 背後から「どけよ」と別の冒険者に肩を突かれたが、怒る気力すら湧かない。


 構成員ではなく、利用者。


 三百年の歴史を持ち、大陸中の魔獣から人々を守っているはずのこの巨大組織は、自分たちを「仲間」だなんて一秒も思っていなかった。


「……利用者、か」


 指先に残るカウンターの冷たさが、なぜかひどく不快だ。


 この「冒険者ギルド」とかいう正体不明の組織の仕組みを、誰かに叩き壊してもらわなきゃ気が済まない。


「……やってやるよ」


 レナは踵を返し、建物の外へ踏み出す。


 目指す場所は決まっている。


 自由都市リベルタスにある、市の行政審判所だ。



◇◇◇



「ここか。行政審判所ってのは」


 レナは荒々しく、重い石造りの扉を押し開ける。


 磨き抜かれた大理石の床に、泥のついたブーツの音が遠慮なく響く。案内係の職員が驚いて顔を上げるが、レナは構わず正面のカウンターへ突き進む。


「ギルドの処分に不服がある。審査してくれ。あいつら、あたしのことを『部外者』扱いしやがったんだ」


 差し出された不服申立書には、殴り書きのような文字が並ぶ。


 対応した若い事務官が困惑した表情で書類を受け取り、奥の執務室へと消えていく。


 数分後。


「どうぞ、中へ」


 促されて入った部屋には、一人の男が座っている。


 ニクラス・フォン・レーゲル。


 五十代半ばのその男は、眼鏡の奥で穏やかな笑みを浮かべる。机の上には、レナが今しがた提出したばかりの書類。


「レナ・ヴィントさん。Bランク冒険者ですね。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


「……あんたが、ここの責任者か?」


「ええ。行政審判官を務めております、ニクラスです」


 レナは椅子に深く腰掛け、窓口での一件をまくし立てる。


 実績は足りているのに推薦がもらえない。理由は非公開。そして、冒険者は構成員ではなく『利用者』だと言い放たれた。


 ニクラスは終始、にこやかに頷きながら話を聞く。


 笑みは崩さないが、ある一言を聞いた瞬間、彼の視線が書類の一点に固定される。


「……ほう。冒険者ギルドが自ら、冒険者を『利用者』であると定義したのですか」


「ああ、そうだ。ミレーヌって受付嬢がはっきり言いやがった」


「面白いですね。実におもしろい案件だ」


 ニクラスは独り言のように呟く。


 彼は声を荒げることも、レナの怒りに同調することもしない。ただ、机の上に置かれた『冒険者ギルド大陸本部規約』という厚い冊子を、愛おしそうに指先でなぞる。


「もし冒険者が構成員でないのなら、ギルドは単なる『民間サービス業者』ということになる。ならば、彼らがこれまで享受してきた様々な特権……たとえば、公的なランク認定権や、魔獣素材の独占取引権の法的根拠はどこにあるのか。非常に興味深い問いです」


「おい、話が見えないんだが。あたしのランクはどうなるんだ?」


「ご安心を。あなたの不服を審査するためには、まず『冒険者ギルドとは何者か』という法的地位を確定させねばなりません。定義が曖昧なままでは、処分の妥当性も判断できませんから」


 執務室のドアがノックされる。


 入ってきたのは、仕立ての良い官服を纏った中年の男だ。


「失礼するよ、ニクラス審判官。例の件、準備が整った」


「おや、オスカー財務官。良いタイミングです」


 ニクラスが来客を紹介する。リベルタス市の財務を統括するオスカー・ブルーム。彼はレナを一瞥すると、手元の分厚い帳簿を机に置いた。


「市議会からの正式な承認が降りた。冒険者ギルド大陸本部に対する、過去十年分の税務審査の申し立てだ。あいつら、自分たちは『国際的な公共組織』だと言い張って納税を拒み続けてきたが……」


「ちょうど今、こちらのレナさんから、ギルドは自分たちを『民間のサービス業者』だと主張しているという証言を得たところですよ」


 ニクラスがにこりと笑う。


 レナの腕に、不意に鳥肌が立った。笑顔は穏やかなのに、空気だけが冷えていく。


「財務官。この二件、併合して審理しましょう。これで長年の懸案が動きます」


「ああ。これ以上、不透明な特権を許すわけにはいかないからね」


 レナは二人の会話を交互に見つめる。


 何が起きているのか完全には理解できないが、事態が自分の想像より遥かに大きな方向へ転がり始めたことだけは分かった。


「……なあ。ギルドの連中、ここに来るのか?」


「ええ、呼び出しますよ」


 ニクラスはペンを取り、召喚状の末尾にさらさらと署名を記す。


「では、出頭を求める書面を送りましょう。……お茶でもいかがですか、レナさん。少し長くなりそうですから」


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