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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
K-007号 SSS級の暴走 器物損壊事件
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第27話:善意で人を壊せる人間


 三日後。第一法廷には、九ヶ月前とは比較にならないほど多くの傍聴人が詰めかけていた。


 学院の関係者、被害者の家族、そして魔法という名の暴力に怯える市民たち。


 誰もが、法壇の上に並ぶ三人の顔ぶれを、裁きを待つ罪人のような心地で見つめている。


 中央のオットー裁判長は、一通の判決文を前に、長く深い沈黙を置いていた。


 隣に座るグスタフは、彫像のように微動だにしない。


 反対側のヴェルナーは、一度だけ、被告席のサイモンへ沈痛な視線を送る。


 リディアは最後列の隅で、冷えた指先を組んだ。


 前編であれほど響いた木槌の音が、今は重い弔鐘のように感じられる。


 この法廷には、もはや笑いの余地など一滴も残されていなかった。


 オットー裁判長が、静かに口を開く。


「判決を言い渡す前に、本合議体における三人の裁判官の意見を個別に述べる」


 異例の形式だ。だが、それが事態の重さを物語っている。


「まず、陪席裁判官ヴェルナー・クラフトの意見」


 ヴェルナーが、静かに、しかし明瞭な声で話し始める。


「私は、被告の若さと、緊急事態における動機を重視しました。彼は目の前の命を救おうとした。判断は間違っていた。だが動機まで否定すれば、火事の前で立ちすくむことが正しいという社会になる。それは常識に反します。よって、懲役四年、および執行猶予の取消に留めるべきだと主張しました」


 傍聴席から、微かなざわめきが起きる。それは「救済」への期待だったかもしれない。


 だが、次に顔を上げたグスタフの言葉が、その熱を一瞬で凍りつかせた。


「次に、陪席裁判官グスタフ・アイゼンの意見」


 グスタフの声は、どこまでも平坦で、私情を排している。


「私は、検察側の求刑通り懲役十二年、および執行猶予の取消が妥当であると主張した。被告の魔力は、社会的な制御の限界を超えている。前回の誓いを破り、同様の過失を繰り返した事実は、彼が『法』という概念を理解する能力を欠いている証左である。一パーセントでも暴走する兵器を野に放つべきではない。将来性という不確かな言葉で、市民の安全を博打にかけることは、法の自殺に等しい」


 救済と、排除。


 どちらも正しく、どちらも残酷だった。


 法廷は、息をすることさえ躊躇われるほどの緊張感に支配される。


 サイモンは、ただ呆然と、自分の人生が二つの巨大な正義の間で磨り潰されていくのを見つめていた。


 最後に、オットー裁判長が判決文を手に取る。


「本合議体の結論を述べる。主文。被告サイモン・ツヴァイトに対し、執行猶予を取り消した上での懲役一年六ヶ月、および今回の過失傷害罪に対し懲役七年。これらを併せ、被告を懲役八年六ヶ月に処する」


 八年六ヶ月。


 十二年よりは短く、四年よりは遥かに長い。


 その絶妙な数字の中に、三人の裁判官が辿り着いた、妥協のない現実がある。


「被告サイモン。あなたが最後に見せた、あの言葉」


 オットーが、眼鏡の奥の鋭い眼光をサイモンに向けた。


「『間違ったことをしたとは思えない』。……その認識自体が、この重い実刑の理由です」


 オットーの声が、法廷の壁を震わせる。


「善意で人を壊せる人間は、悪意で人を壊す人間と同じくらい危険です。悪意のある人間は、時に損得で踏みとどまる。だが、自分は正しいと信じ込んでいる人間には、止まる理由がない。法も、誓いも、あなたの『善意』の前では無力だった」


 サイモンは、その言葉の意味を理解しようとするかのように、何度も瞬きを繰り返す。


「八年六ヶ月。その期間をかけて、あなたの『正しさ』が奪ったものを、一つひとつ数えなさい。以上です」


 木槌が、一度だけ鳴った。


◇◇◇


 判決から数日後。


 学院の面会室。冷たい鉄格子の向こう側で、サイモンはクララと対峙していた。


 クララの両足には重い装具が嵌められ、彼女の歩みは痛々しく遅い。


「……ごめん」


 サイモンは、絞り出すような声で謝罪する。


 クララは、その言葉を黙って聞いていた。


「……『ごめん』じゃなくて、『やらない』って言ってください」


 クララの声は、静かだが重い。


 面会室に、長い沈黙が流れる。


 サイモンは視線を落とし、握りしめた拳を震わせた。


「……やらない」


 ようやく、その言葉が彼の唇から漏れる。


 クララはゆっくりと立ち上がった。松葉杖をつき、サイモンの顔をじっと見つめる。


「……信じていいんですか」


 サイモンは答えることができない。


 クララは何も言わず、背を向けた。松葉杖が床を突く音が、廊下に遠ざかっていく。


◇◇◇


 夕暮れのアカデミア。


 ヴィルヘルム・グランマイスターは、誰もいない演習場の隅で、机に向かっていた。


 彼は、サイモンに教えたはずの「魔力抑制」の教材を広げ、新たな注釈を書き加えている。


「百一人の弟子のために、書き直さねばならんな」


 大賢者の筆致は、静かだが迷いがない。


 同じ頃。


 グスタフ・アイゼンは、帰路の馬車の中にいた。


 隣に座る書記官が、控えめに尋ねる。


「今回の判決、グスタフ裁判官の主張された十二年ではなく八年六ヶ月でしたが。不満はございませんか?」


「……私の仕事は、事実に基づき意見を述べることだ。判決を下すのは、裁判長の役割である」


 グスタフは、窓の外を流れる景色を一瞥もせず、次の案件の書類を開く。


「個人の感情が法に混入した瞬間、その裁きは私的な復讐に成り下がる。……次の案件の概要を」


 リディア・クロムウェルは、自身の小さな第一法廷へと戻っていた。


 デスクの上には、新しい訴状が置かれている。


「リディア裁判官、次の案件です。魔法学院の入試問題漏洩疑惑です」


「……重傷者は出ますか?」


 リディアが眼鏡をかけ直し、尋ねる。


「え? いえ、あくまで不正行為ですから、怪我人は出ませんが」


「それなら、私でも対処できそうですね」


 リディアは、微かな皮肉を込めて微笑む。


 彼女は、あの騒がしさの中にずっと留まっていたかったのかもしれない。


 だが、現実はもう、あの温度には戻らない。


◇◇◇


 独房の硬いベッドの上で、サイモンは天井を見上げていた。


 八年六ヶ月。その長い時間の始まり。


 暗闇の中で一人になると、あの夜の炎の赤さが、まぶたの裏に蘇る。


(でも……)


 サイモンは、胸の内で小さく呟いた。


(やっぱり、あのまま見捨てるなんて、僕にはできなかったはずなんだ)


(僕は、間違ってなかったはずなんだ……)


ここまでお読みいただきありがとうございます。ブックマーク・評価をいただけると励みになります。なお『この異世界あるあるを法廷に立たせたい』等ございましたら、訴状提出窓口は感想欄にて承ります

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