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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
K-007号 SSS級の暴走 器物損壊事件
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第26話:善意で人を壊す

 法廷内に、一枚の大きな羊皮紙が広げられた。


 そこには、魔法学院寄宿舎の崩落現場の構造図と、被害者クララのレントゲン写本が精密に写し取られている。


 市検察官ベルタ・ハイネは、指示棒で少女の両足の部分を指した。


「粉砕骨折。および、神経系の深刻な損傷。歩行機能の完全な回復は絶望的と診断されています」


 ベルタの声には、怒りも同情も混じっていない。ただ、冷厳な事実を積み上げる事務的な響きだけがある。


「前回、この法廷で裁かれた際、被告が破壊したのはキャベツと石像でした。被害は金銭で解決可能な『物』に留まっていた。ですが今回は、一人の少女の未来です」


 ベルタは傍聴席に座るクララを一瞥する。松葉杖を横に置き、父親の腕にしがみついている少女の顔は、苦痛に歪んでいる。


「被告は『助けようとした』と主張しています。しかし、その結果もたらされたのは、火災による火傷を遥かに上回る、一生残る身体的障害です。これは善意という名の暴力に他ならない」


 ベルタは言葉を切り、法壇の三人の裁判官を見上げた。


「検察側は、執行猶予期間中の再犯であり、かつ重大な過失傷害であることを鑑み、被告サイモン・ツヴァイトに対し、懲役十二年を求刑します」


 十二年。


 傍聴席から、短く息を呑む音が漏れる。


 前編での「六十八万クローネの賠償」が、いかに牧歌的で、平和な笑い話であったかを、その数字が突きつけていた。


 裁判長のオットーは、表情を変えない。ただ、ゆっくりと目を閉じ、長い沈黙に入る。


「異議があります」


 沈黙を破ったのは、陪席裁判官のヴェルナー・クラフトだ。


 彼は苦い顔でサイモンを見つめ、静かに口を開いた。


「被告は、魔法学院の学生です。まだ自らの強大な力を制御する術を学んでいる途上にあった。現場の状況を考えれば、パニック状態で魔法を行使したことは情状酌量の余地がある。十二年という求刑は、まだ二十歳の人間に対して重すぎます」


「将来、ですか」


 答えたのは、もう一人の陪席裁判官、グスタフ・アイゼンだった。


 彼はヴェルナーの方を見ようともせず、ただ手元の数字だけを凝視している。


「ヴェルナー裁判官。法律は『かもしれない』という将来性で動くものではありません。確定した事実のみを扱うべきだ」


 グスタフの声は、機械のように平坦だ。


「一パーセントでも使用者に牙を向く可能性がある兵器は、戦場への配備不適格として破棄される。被告の魔力は、現に社会という器の中で暴発し、無辜の市民を損壊した。欠陥品を使い続ける理由は、どこにも見当たらない」


「彼は道具ではない! 人間だ!」


「社会の安全を脅かす存在である以上、法的な扱いは同じです。制御不能な出力は、悪意による攻撃と結果において等しい」


 グスタフは初めて顔を上げ、サイモンを冷たく見据える。


「被告。あなたは九ヶ月前、ここで何と誓いましたか」


 サイモンは唇を震わせ、声にならない声を漏らす。


「……絶対に、やらないと……」


「そうです。その誓いを、あなたは自分の判断で破った。その結果が、あそこに座る少女の足です」


◇◇◇


 証言台に立ったヴィルヘルム・グランマイスターの姿に、かつての飄々とした気配はない。


 彼は弟子の隣に立つことなく、一人の魔導師として、厳格な表情で証言を行う。


「わしは、彼に厳命しておった。市街地では、何があっても魔法を使うなと。九ヶ月間、それを言い続けてきたつもりだ」


 ヴィルヘルムの声は、枯れ木が擦れるように低い。


「だが、彼は使った。わしの指導では、彼の『英雄になりたい』という独善を抑えることができぬ。それは師としての、わしの敗北だ」


 サイモンは、師匠のその言葉を聞き、顔を覆って泣き崩れる。


 涙は頬を伝い、床に落ちる。その姿は、一見すれば深い反省の中にいるように見える。


 やがて、審理は最終陳述へと移る。


 オットー裁判長が、重々しく告げた。


「被告サイモン・ツヴァイト。最後に述べることはありますか」


 サイモンは鼻をすすり、震える足で立ち上がる。


 彼の瞳には、まだ涙が溜まっている。だが、その奥には、前編の時とは決定的に異なる光が宿っている。


「……僕は、怖かったんです。クララさんが火に包まれるのを見て、体が勝手に動きました。禁止されているのは分かっていました。でも、見捨てることができなかった」


 サイモンは、傍聴席のクララの両親の方へ向き直る。


「本当に、申し訳ないと思っています。彼女の足が治るなら、僕は何でもします。……でも」


 彼は、そこで一度言葉を切った。


 法廷内の空気が、微かに歪んだような感覚を、最後列のリディアは覚える。


「でも、あの瞬間の僕に、他に何ができたと言うんですか?」


 サイモンの声から、震えが消えた。


「魔法を使わなければ、彼女は死んでいたかもしれない。僕は、彼女を助けるために、僕にできる最善を選んだんです。……だから、僕が間違ったことをしたとは、今でも思えないんです」


 瞬間。


 法廷が、墓場のような静寂に包まれる。


 サイモンの表情には、一点の曇りもない。彼は本気で、自分の「善意」が「法」や「結果」を上回っていると信じていた。


 その言葉の重みに、ヴェルナーは目を閉じた。


 グスタフの視線は、さらに氷のような冷たさを増した。


 傍聴席で、クララの父親がガタッ、と椅子を鳴らして立ち上がろうとする。


 その顔は憤怒に真っ赤に染まり、今にも被告席へ飛びかからんばかりの勢いだ。


 だが、隣に座る母親が、夫の袖を必死に、そして強く引き止めた。


 母親は何も言わない。


 ただ、唇を噛み切りそうなほど強く結び、涙を流しながら夫の腕を抱きしめている。


 オットー裁判長が、再び目を閉じた。


「本日の審理を終了します。判決は、三日後に行います」


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