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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
K-007号 SSS級の暴走 器物損壊事件
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第24話:才能への愛情は教育の代わりにならない

「では、ヴィルヘルム名誉教授。指導教官としての言い分を伺います」


 リディアの声が、狭い法廷に響いた。


 ヴィルヘルムは、まるで古い友人の茶会にでも招かれたかのように、ゆっくりと姿勢を正す。その動作一つひとつに、長年培われた「強者の余裕」が纏わりついている。


「リディア君。君も魔法使いなら分かるはずだ。魔法とは、魂の奔流そのもの。特にサイモンのような、稀に見る大器を育てる際、最も恐れるべきは何か。それは、型に嵌めてその芽を摘んでしまうことだ」


 大賢者は、慈愛に満ちた眼差しで隣の弟子を見た。


「彼には無限の可能性がある。わしは、その可能性を信じた。安全装置を教えるのは、彼が自らの力を十分に理解してからで遅くないと考えたのだよ。キャベツや噴水は、いわば成長のための授業料だ。そうは思わんかね?」


 リディアは反射的に眼鏡のブリッジを指で押し上げた。レンズの奥で、自身の視線が険しくなる。


 この男にとって、広場の噴水や八百屋の生計は、弟子の「可能性」という高尚な天秤の対極に置くことすら、汚らわしい塵芥に過ぎないらしい。


 五十年も頂点に君臨し続けると、足元の蟻の巣に気づかなくなる。あるいは、気づいていても踏み潰すことに痛みを感じなくなるのだ。


「名誉教授。ここは教室ではなく法廷です。あなたの教育方針を拝聴する場ではありません」


 リディアは冷徹に言い放つ。


「法が求めているのは、管理責任の有無です。あなたは弟子の魔力が市街地で暴発する危険性を予見できましたか? そして、それを回避するための具体的かつ有効な措置を講じましたか?」


「予見、か。まあ、彼ならいつか何かを壊すだろうとは思っておったよ」


 ヴィルヘルムは事も無げに言う。


「だが、それもまた経験だ。失敗から学ばぬ人間はおらん」


「その『失敗』に巻き込まれた市民の損害については?」


「後でわしが、適当に寄付でもしておこう。それで済む話だろう?」


 リディアは内心で、手元の木槌を大賢者の頭に叩きつけたい衝動を抑えた。


 威力等級SSS。国を救う英雄。


 だが、その英雄の「適当な寄付」という言葉の裏には、被害者の尊厳に対する決定的な欠落がある。


 学習コストとして他人の財産を使い潰す特権など、いかなる賢者にも与えられてはいない。


「教育者としての愛情を、安全管理の怠慢の隠れ蓑にしないでください。才能への愛情は、教育の代わりにはなりません。むしろ、強大な力を持つ者ほど、その力を抑える術を最初に学ぶべきです。それが社会という器の中で生きるための最低限の作法ですから」


 ヴィルヘルムは意外そうに目を丸くする。


「作法、か。君は相変わらず、魔法という奇跡を事務作業のように扱うのだな」


「裁判官ですから。奇跡が法を破るなら、私は奇跡を裁くだけです」


◇◇◇


 リディアは一度、手元の資料に目を落とす。


 そこには、過去三回の事件直後に行われた、サイモンの供述調書が並んでいる。


「被告サイモン。改めて、あなたの『認識』を整理しましょう」


 リディアは書類を指でなぞりながら、一字一句を読み上げた。


「一回目。魔法演習場の壁を壊した際、あなたはこう言いました。『やっちゃいました』。これは事後の認識です。予測できなかった事態に対する、単発の過失と言えるでしょう」


 サイモンは神妙な顔で頷く。


「二回目。床を抜いた際、あなたはこう言いました。『またやっちゃいました』」


 リディアは眼鏡をかけ直し、サイモンを射抜くように見る。


「この『また』という言葉は重要です。あなたは過去の失敗を参照している。つまり、自分には制御不能な暴発の可能性があることを、二回目の時点で明確に自覚していたはずです。法的には、これを『認識ある過失』と呼びます」


 法廷内に、リディアのページを捲る音だけが響く。


「そして三回目。今回の事件直後、あなたはこう叫んだと記録されています。『またまたやっちゃいました』」


 リディアは冷ややかに微笑んだ。


「『また』が増えましたね。これはもはや反省の言葉ではありません。自分は失敗を繰り返す人間であるという開き直りであり、常習的過失の証明です。結果を容認していたという意味では、未必の故意に近い」


 サイモンの顔から血の気が引いていく。


 隣の大賢者も、この執拗な言語分析には興味を惹かれたのか、横目でリディアを観察している。


「被告サイモン。あなたの『またやっちゃいました』は、謝罪ではありません。それは次の事件を引き起こすという、社会に対する『再犯の予告』です」


 リディアは断定する。


 言葉の裏に潜む甘えを、法の刃で剥ぎ取っていく作業。


 魔法の才能がないリディアが、唯一、この怪物たちと対等に渡り合える瞬間だった。


◇◇◇


 判決の時が来た。


 リディアは立ち上がり、判決文を読み上げる。


「主文。被告サイモンを懲役一年六ヶ月に処する。ただし、本裁判の確定した日から二年間、その執行を猶予する。また、被告サイモン、および被告ヴィルヘルムは連帯して、原告に対し損害賠償金六十八万クローネを支払うこと」


 一年六ヶ月。執行猶予二年。


 重すぎず、だが決して軽くはない数字。


 サイモンは膝を震わせながら、絞り出すような声で言う。


「は、はい……! もう絶対に、絶対にやりません!」


 リディアは無表情に答えた。


「その言葉、記録に残しておきます」


 一拍、間を置く。


 リディアは手に持っていた資料を静かに机へ置いた。その瞬間、法廷の空気が一段、温度を下げる。


「……なお。被告サイモン」


 リディアの声は、先ほどまでの事務的なトーンとは明らかに異なっていた。


「SSS級魔法が人体に直撃した場合の予想被害について、この場で書記官に読み上げさせましょうか」


 サイモンが息を呑むのが分かる。


 法廷全体が、氷を詰め込まれたかのような緊張感に包まれる。傍聴席の市民も、先ほどまでの失笑を引っ込め、固唾を呑んでリディアを見つめている。


「今回はキャベツで済みました。あなたは運が良かった。そして何より、被害に遭った市民たちが幸運だった」


 リディアはサイモンの瞳の奥を、逃がさないように捉え続ける。


「次はキャベツでは済みません。それがどういう意味か、その頭で、魔法の理屈ではなく『人の痛み』として想像しなさい」


 サイモンは声も出せず、ただ青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「閉廷します」


 木槌の音が、かつてないほど重く響いた。


◇◇◇


 三ヶ月が経過した。


 噴水は復元され、創設者の像は真新しい首を手に入れている。


 サイモンは大人しくヴィルヘルムの塔に籠もり、基礎中の基礎とされる魔力抑制の訓練を続けているという。


 リディアは、出勤途中に広場を通るたび、その穏やかな風景に安堵した。


 少なくとも今のところ、広場にキャベツは転がっていない。


 六ヶ月が経過した。


 季節は巡り、広場には露店が立ち並ぶようになる。


 サイモンが「火事の現場で、バケツ一杯分の水を魔法で出して、延焼を防いだ」という噂を耳にした。


 魔法の使用禁止期間中ではあったが、緊急避難として処理され、告発には至らなかった。


 リディアは報告書を指でなぞりながら、複雑な思いを噛み締める。


 彼は、少しずつ力を制御できるようになっているのかもしれない。


 あるいは、少しずつ「自分は大丈夫だ」と、自信を取り戻しているのかもしれない。


 その自信こそが、最も危うい刃であることを、彼はまだ理解していないだろう。


 九ヶ月が経過した。


 冬の入り口。乾燥した風が街を吹き抜ける季節になる。


 その夜、リディアは自宅の寝室で、窓を叩く激しい音で目を覚ました。


 外は赤く染まっている。


 学院の寄宿舎の方角から、黒い煙が立ち昇っているのが見えた。


 リディアは震える手で眼鏡をかけ直し、窓を開ける。


 遠くから、悲鳴と、そして聞き覚えのある轟音が響いてくる。


 三ヶ月前、六ヶ月前。あの時感じた不安が、今、現実の炎となって夜空を焦がしている。


「また、やったのね……サイモン」


 リディアの呟きは、夜風にかき消された。


 この火災が、単なる「またやっちゃいました」では済まないことを、彼女の直感は告げていた。


 コメディの時間は、終わったのだ。


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