第2話:開廷、そして全員おかしい
満員の傍聴席の前列に報道担当の記録魔法使い。中列に冒険者ギルドの関係者。そして後列には、揃いの青いマントを羽織った集団が陣取っている。胸元に聖剣の刺繍。手にはレオンの肖像画が描かれた応援うちわ。
「……ハンス。あれは何だ」
「勇者レオン様ファンクラブ『聖剣の誓い』です。会員数八千名。本日はその精鋭が、抽選を勝ち抜いて参戦されています」
「法廷に応援団を連れてくる被告は初めてだ」
原告席に若い女性が座っている。赤毛を一つに結んだ、地味な身なりの薬師。一度も被告席を振り返ることなく、ただ裁判官の机だけを凝視していた。その目だけが、燃えている。
手元には自分で書いたメモが広がっていた。法廷で言いたいことを整理した、控えめで不器用な準備だった。
被告席には勇者レオン・アストレア本人。金髪碧眼、白銀の鎧。書店で見た肖像画そのまま——いや、実物のほうがはるかに見栄えがいい。厄介だな、とヴェルナーは思った。格好がいい人間の言葉は、正しく聞こえてしまう。司法にとって、もっとも厄介なノイズだ。
レオンが傍聴席に軽く手を振ると、ファンクラブが一斉に立ち上がりかけた。ヴェルナーは「着席を」と言い渡してから開廷を宣言する。
「王都中央裁判所民事第三部、事件番号——王暦四百十二年第七百三十一号。原告リーゼ・ハイルマン対被告レオン・アストレア。不当解雇および精神的損害の賠償請求事件」
「それでは、原告側弁護人。冒頭陳述を」
原告側弁護人ゲルダ・モーゲンシュテルンが立ち上がった。四十代、元冒険者。冒険者の労働問題を専門とする辣腕弁護士——と書けば聞こえはいいが、法曹界での評判はもっぱら「正論と暴論を同じテンションで言う女」である。
使い込まれた革の鞄から資料を取り出し、鋭い声で切り出した。
「裁判長。原告リーゼ・ハイルマンは、三年間にわたり勇者パーティーの薬師として従事しました。その間、パーティーが達成した任務は百五十二件。原告が調合したポーションは八千本を超え、深夜の呼び出しは記録にあるだけで六百回に及びます」
数字の羅列に、傍聴席の冒険者たちがどよめいた。薬師一人に負わせる仕事量ではない。
「これだけの役務を提供しながら、報酬の支払いは一度もなし。"魔王討伐後に分配する"という口約束のみ。書面なし。契約書なし。就業規則なし」
ゲルダの声が法廷に響く。
「そして魔王城突入の二週間前——たった二週間前です——原告は一方的にパーティーから追放されました。理由はたったひと言。"火力が足りない"」
間を置いて、ゲルダは傍聴席をゆっくり見渡した。
「薬師に火力を求めること自体が、職務に対する根本的な無理解です」
正論だった。ヴェルナーは内心で頷いた。——今のところは。
続いて被告側弁護人オスヴァルト・フォン・リヒターが立った。五十代、銀縁眼鏡、仕立ての良い法服。慇懃無礼という概念に人格を与えたらこうなる、という男だ。
「裁判長。まず前提を確認させていただきたい。王国勇者認定法第十二条は、勇者パーティーの編成権を勇者本人に一任しております。これは国家安全保障上の判断であり、司法が容易に介入すべき領域ではございません」
オスヴァルトは穏やかに、しかし確実に釘を刺す。
「そもそも、勇者パーティーとは"雇用関係"でしょうか。それとも"冒険の仲間"でしょうか。原告側は労働法の適用を前提としておられますが、仲間との冒険に労働法を適用した前例は、王国四百年の法制史において一件もございません」
傍聴席のファンクラブが頷いている。これもまた、正論に聞こえる。困ったことに。
「もしこれを雇用と認めるならば、パーティー内の友情や信頼はすべて賃金に換算されることになります。それは冒険という文化そのものに対する破壊行為です」
双方の冒頭陳述を聞き終え、ヴェルナーは争点を整理した。
第一の争点——「勇者パーティーは雇用か、仲間か」。
つまりこの裁判は、この世界が四百年間一度も考えなかった問いから始まるのだ。
「原告側。実態としての雇用関係を立証するため、証人を呼びなさい」
ヴェルナーは二錠目の胃薬に手を伸ばした。
◇◇◇
「リーゼがいなくなってから、メシがまずくなりました」
最初の証人の第一声がこれだった。
戦士ガルド。勇者パーティーの前衛。身長二メートル、筋肉の塊。証言台が子供の玩具に見える。
ヴェルナーは走らせていたペンを止めた。
「……証人。質問は"追放の経緯"についてです」
「経緯って言われても。あの日レオンが"お前は火力が足りない"って言って、リーゼが荷物まとめて出てって、その晩からメシがまずくなった。俺にとってはそれが全部です」
ガルドの声は切実だったが、ここは料理の格付けを争う場ではない。
「リーゼが作ってくれた薬草茶がうまかったんです。朝起きたら必ず淹れてくれて。ポーションも市販のやつと全然味が違う。あいつのポーションはちょっと甘いんですよ。市販品は苦い。夜中に咳したら、黙って薬を枕元に置いてくれて——」
ガルドの目が潤んでいる。証言としては的外れだが、リーゼという人間の輪郭が浮かび上がってくる。三年間、誰よりも早く起きて薬草茶を淹れ、誰よりも遅く寝てポーションを作っていた女。ヴェルナーはそれを黙って記録した。
ゲルダが立ち上がる。
「証人。追放の際、リーゼに解雇理由通知書は交付されましたか」
「かいこ……なんですか、それは」
「書面です。"あなたをこういう理由で辞めさせます"という書面」
「そんなもの見たことないです。レオンが紙に何か書いてるの、自伝の原稿くらいしか見たことがない」
「つまり、口頭での一方的な通告。書面なし。予告なし。理由の説明なし。完璧な不当解雇の三点セットですね」
正論だ。正論だったのだが、ゲルダはそのまま止まらなかった。
「さらに申し上げます。原告は追放後、冒険者ランクがBからCに降格しています。レベルも三つ下がった。これは精神的ショックによる能力低下であり、原告が被った損害は金銭に換算して——レベル一つあたり一億クローネ、合計三億クローネが相当です」
「……根拠は」
「口伝です」
「却下します」
正論の直後に暴論を混ぜるな。聴いている側の判断が狂う。
次の証人。魔法使いセレナ。勇者パーティーの後衛。二十代、知的な顔立ちだが、どこか目が泳いでいる。
「リーゼさんは優秀な薬師でした。彼女のポーションには何度も助けられました。——ただ」
「ただ?」
「実験的な配合をすることがありまして。正規のレシピに飽き足らず、"もっと面白い効果が出るはずだ"と独自の調合を試すんです。好奇心が強いというか……良くも悪くも」
セレナの語り口は苦笑混じりだった。嫌いではないが、困らされた。そういう距離感がにじんでいる。
「……その結果は」
セレナは隣に座る大男を悲しげな目で見た。
「ガルドさんが一週間、猫の言葉しか喋れなくなりました」
法廷がざわめいた。
「具体的には?」
「"にゃあ"しか言えなくなりました。一週間ずっと。戦闘中の叫び声も"にゃあ"。宿屋で注文しようとしても"にゃあ"。出てきたのはミルクでした」
傍聴席から笑いが漏れた。ファンクラブの一人が「リーゼって奴やべぇな」と呟いている。
ヴェルナーは記録に書いた。「原告にも過失あり——ただし、本件追放の理由とは無関係」。
全員おかしい。この法廷にまともな人間は何人いるのだ。
次の証人は——被告本人だ。




