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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
甲二〇四号 エルスト市防衛線に於ける指揮権干犯事案
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第17話:民族移動の荷物

 数日後――王都中央裁判所。


 軍事法廷から移送された審理が、ここで再開される。法壇にはグスタフ・アイゼンが主席として座り、その隣に若い女性裁判官が着席していた。ルイーゼ。王国法の適用判断を補助する陪席として招聘された。


 傍聴席を埋めているのは、もはや鉄色の軍服を着た将校たちだけではない。分厚い眼鏡をかけた異種族研究の学者や、神経質そうに書類を検分する外務省の役人。そして、深いフードで顔を隠し、人間とは明らかに異なる体躯を持つ者たちが数名。彼らの放つ静かな圧力が、法廷の温度を数度下げたかのようだ。


 ライアーは被告席に座り、落ち着かずに周囲を伺う。


 今日は新調した晴れ着ではない。拘置施設で支給された、清潔だが飾り気のない簡素な服だ。胸元の勲章も没収されている。


「ライアーさん。いいですか、余計なことは一切言わないでください」


 隣のフリッツが、悲壮な決意を滲ませて耳打ちする。


「大丈夫ですよ。僕は街を守ったんです。正義はこちらにある。法だって、最後には正しい方を味方するはずだ」


 ライアーは努めて明るく答える。だが、その言葉は誰よりも自分自身に言い聞かせているように響いた。


「再開します。検察官、第四訴因の詳細を」


 グスタフ・アイゼンの声が、静寂を切り裂く。


 クルト検察官がゆっくりと立ち上がり、机の上にいくつかの「遺物」を並べ始めた。それは、およそ戦場には似つかわしくない、生活の匂いがする品々ばかりだ。


「本官は、戦場跡から回収された遺留品を提示する」


 クルトがまず手に取ったのは、煤けて汚れた布の袋だ。


「中身は干し肉と、この土地には自生しない穀物です。長距離移動を前提とした、保存用の携行食だ。次にこれ」


 机に置かれたのは、滑らかに磨かれた石のボウルと、使い込まれた木製のスプーン。


「日常的に使用されていた痕跡のある調理器具です。そして——」


 クルトの手が、小さな二つの塊を持ち上げる。


 それは、泥に汚れ、片方の踵が破れた子供用の革靴だ。


 法廷のあちこちから、息を呑む音が漏れる。


「手のひらサイズの木彫りの人形。丁寧に面取りがされ、愛玩された形跡がある。玩具です。そして、この石板」


 クルトが示した石板には、拙いながらも明確な意図を持って刻まれた文字があった。


『水の場所、西に三日』


「食料、調理器具、子供の靴、玩具、地図。ライアー・バルクハルト被告」


 クルトの鋭い問いが飛ぶ。


「これらは『軍勢』の装備ですか? それとも、『民族移動』の荷物ですか?」


 ライアーは、怪訝そうに首を傾げた。


「……さあ。魔物の習性については詳しくありませんが……偽装工作か何かじゃないですか? ほら、人間を油断させるための」


 その答えに、傍聴席の学者たちが一斉に顔を覆う。


 ライアーには、まだ見えていない。並べられた証拠の一つ一つが、自分が「殲滅」したものの正体を雄弁に語っているということが。


「本官は、これらの遺留品から、殲滅された集団が軍事的な意図を持たない非戦闘員の集団であったと断定します。被告人は、これらを確認する努力を一切怠った」


 クルトは冷徹に告げ、次の証人を促した。



◇◇◇


 法廷の扉が重く開き、一人の女性が入廷する。


 王立異種族研究所のミリアム・ヴォルフ教授。その瞳には、冷徹な知性と、それを上回るほどの静かな怒りが宿っていた。


 ライアーは、彼女の厳しい視線に晒されながらも、まだどこかで「これは何かの間違いだ」という楽観を捨てきれずにいた。


「ミリアム教授。現地調査の結果を報告してください」


 グスタフ・アイゼンの促しに、彼女は震える声を硬く整えて話し始めた。


「エルスト街から東に五十キロ、ケルデン丘陵。そこには、一つの『村』がありました。農耕の痕跡、灌漑水路、そして石造りの住居。何より——」


 彼女は一枚の図面を法廷に広げた。


「約二百基の墓地を確認しました。遺体は全て東の空を向いて埋葬され、枕元には故人の愛用品が供えられていた。死者を弔う文化を持つ知的種族。それが、王国魔物分類法で『オーク系亜種』と一方的に定義されているゴルグ族の実態です」


 彼女の証言は、さらに残酷な数字を突きつける。


「今回の移動は、周辺ダンジョンの採掘による水源汚染が原因です。彼らは難民でした。五千の内訳は、成体の農民が約二千五百。老人が五百。幼体が八百。妊娠中の個体が二百。残りは十代の若年個体。——戦闘員はゼロです」


 法廷がしんと静まり返る。


「武器と呼べるものは農具以外にありませんでした。鍬と剣の区別がつかない軍人はいません。それを『殲滅包囲』した。降伏の機会すら与えずに」


 ミリアムの声が、沈黙の法廷に突き刺さる。


「通訳の手続きを。証人は人間の共通語を話せますか」


 グスタフが厳かに問いかける。


「片言ですが。私が補助します」


 ミリアムの言葉を受け、グスタフは頷いた。


「通訳を許可します。ただし、証人の発言と通訳の補足は明確に区別してください」



◇◇◇


 重い扉が、ゆっくりと開く。


 入ってきたのは、灰色の肌をした、小さな個体だった。


 推定年齢、人間の六歳相当。


 小さな牙を震わせ、大きな瞳を恐怖に濡らしながら、保護者の猟師エーリッヒの服の裾をぎゅっと握りしめている。


 その子供——ルルが、震える唇を開いた。


「……あるいてた。みんなで。おかあさんが、てをつないでた」


 ミリアムが静かに通訳を添える。


「あたらしいところ。おみずがあるところ。おとうさんが、さきにみつけてくれるって」


 ルルの小さな声が、法廷の隅々にまで染み渡っていく。


「……にんげんが、きた。まわりに、にんげんがいっぱいきた。にげられなくなった」


「おかあさんが、わたしをかくした。おおきなかごのなかに。『しずかにしてて』って」


「そとが、うるさくなった。ずっとうるさかった。そのあと——しずかになった」


 ルルの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「かごからでたら、おかあさんがいなかった。みんないなかった」


「みんないなくなった」


 法廷は、深い沈黙に沈み込む。ライアーは、その様子を困惑した目で見つめて「可哀想だな」と、心の一角では思っている。だが、彼はまだ気づいていない。その「可哀想な子供」の家族を殺したのが、他でもない自分であることを。


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