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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
甲二〇四号 エルスト市防衛線に於ける指揮権干犯事案
17/29

第16話:確認しなかった

「質問を許可します」


 グスタフ・アイゼンが、今日初めて自ら口を開く。


 その声音の変化に、法廷内の空気がピリリと張り詰める。これまで事務的な議事進行に徹していた裁判官が、初めて「中身」に踏み込もうとしている。その予感に、傍聴席の将校たちも息を呑んだ。


「シュルツ教授。味方の死者ゼロ、敵五千の全滅。これは『戦闘』の結果として、通常あり得る数字ですか」


 教授は沈痛な面持ちで、ゆっくりと首を振った。


「異常です。先ほどのガレン荒野ですら、勝利側に六千の死傷者が出ています。これほどの圧倒的な戦力差がありながら、味方の損害が皆無で敵のみが消滅する。これは、軍事学的な意味での『戦闘』ではありません」


 教授が一度言葉を切り、重い沈黙が法廷を支配する。


「——『一方的な殺害』を想定しなければ、説明がつかない数字です」


 グスタフの視線が、被告席のライアーに向けられた。


「被告人。戦闘中、敵が降伏、または撤退を試みた事実はありますか」


「……魔物ですよ? 降伏なんて、するわけが——」


「質問に答えてください。はい、か、いいえ、か、あるいは『確認していない』か」


 ライアーは唾を飲み込む。裁判官の瞳には、一切の揺らぎがない。


「……確認していません」


「五千を全滅させる過程で、一度も確認しなかった、と」


「……はい。殲滅するのが、僕の作戦でしたから」


 ライアーが答えた瞬間、法廷を支配していた「笑い」が完全に消失する。


 先ほどまで冷笑していた将校たちが、一斉に押し黙った。


「クルト検察官、どうぞ」


 グスタフが促すと、クルトは手元の厚いファイルを机に叩きつけた。


 その顔から、事務的な響きが消えている。


「追加の捜査結果に基づき、新たな訴因を追加します」


 クルトの声が、凍りついた空気を震わせる。


「第四、不必要殺害罪。軍事法典第二十三条第一項。殲滅された五千の中に、非戦闘員が含まれていた疑い」


 ライアーは目を丸くした。


「非戦闘員? 相手は魔物ですよ? 何を言ってるんですか?」


「さらに——」


 クルトはライアーの混乱を無視し、傍聴席に座る数名の男たちを指し示した。


「殲滅された集団は、王国が『魔物』と分類している種族ですが、その実態は独自の言語、社会構造、農耕文化を持つ知的種族であった可能性が浮上しています。本件の被害者は『魔物』ではなく、『亜人種』——すなわち『民間人』であった疑いがある」


 法廷が凍りつく。


 ライアーの顔から血の気が引いていく。だが、その表情は恐怖ではなく、理解不能なものを見せられた時の困惑だった。


「……民間人? 魔物なのに? 意味がわからない。だって、魔物を倒して、街を救ったんですよ? 僕が間違ってるって言うんですか?」


「本日の審理は終了します。追加訴因の立証のため、次回期日を設定します。被告人は次回期日まで勾留とする」


 グスタフの声だけが、静まり返った法廷に響く。


 王国の軍法会議は、通常、即日で審理を終え判決に至る。次回期日の設定——すなわち、この法廷に「続き」があること自体が異例だった。


 ライアーは呆然としたまま、兵士たちに両脇を抱えられ、法廷を後にした。


「ライアーさん」


 暗い通路で、弁護人のフリッツが呼び止める。その顔は、先ほどまでとは別人のように深刻だ。


「次回までに、僕に正直に答えてください。あなたにしかわからないことです」


「なんですか。僕は、街を守ったんですよ。英雄ですよ。みんな喜んでくれた……」


 フリッツは、ライアーの瞳をじっと見つめて尋ねた。


「あの五千の中に——子供はいましたか」


「……見てません。僕は指揮官ですから。遠くから、魔法で陣を維持して、効率よく消えていくのを……ただ、数字として見ていただけだ」


 ライアーの声が、冷たい壁に跳ね返る。



◇◇◇


 別の出口から、クルト検察官が足早に出ていく。


「例の学者と、もう一つ——現地調査班が保護した個体。あの証人を次回に」


「……了解。手配します」


 クルトの短い答えが、暗い廊下に響いた。


◇◇◇


 グスタフの執務室。


 書記官が訴因の追加書面を差し出した。グスタフは目を通し、しばらく動かなかった。


「……不必要殺害罪。亜人種保護令の適用可否。——これは軍事法廷の管轄を超えます」


 書記官が頷く。


「王都中央裁判所へ移送します。本官は主席を続投しますが、王国法の適用判断について陪席を一名追加する。——手配してください」


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