第15話:落第の作戦
証言台に立ったのは、銀縁の眼鏡をかけた老人。背筋は年齢の割に真っ直ぐで、知性的な瞳がライアーを観察している。学者が未知の標本を眺める時の視線に近い。
「王立軍学院教授、オットー・シュルツです。専門は戦術史と兵理学。被告人が立案したとされる『殲滅包囲作戦』について、軍事学的観点から検証を行います」
シュルツ教授は、法廷に用意された黒板の前に立ち、チョークを手に取った。手慣れた動作でエルスト街周辺の地図を書き込んでいく。
「ライアー殿。君は、この陣形を組むにあたり、歴史上の戦いを参考にしたのかな?」
ライアーは、専門家に意見を求められたことに喜びを感じ、得意げに胸を張る。
「ええ。前世で読んだ……あ、いえ、ある有名な戦いを参考にしました。少数でも両翼を突破して包囲を完成させれば、敵がどれだけ多くてもパニックに陥り、殲滅できるという証明です」
「前世知識だと!? ライアーさん、余計なことを!」
弁護人のフリッツが慌ててライアーの袖を引く。
不法転生罪の疑いが再燃しかねない危うい発言だが、シュルツ教授は気にした風もなく、小さく溜息を吐いた。
「なるほど。では、君が参考にしたであろう事例と、今回の現実を比較しましょう」
教授はチョークで数値を書き込んでいく。
「歴史的な少数包囲の成功例、ガレン荒野の会戦。この時の兵力比は1対1.7だ。対して、君が行った今回の事例は1対16.7。——正気の沙汰ではない」
コツ、コツ、と黒板を叩く音が、ライアーの自信を少しずつ削っていく。
「ガレン荒野では、中央が意図的に後退して敵を誘引する精密な連携機動が行われました。対して、君の作戦は何か? 『中央を魔法の水壁で止める。両翼の精鋭が反転包囲』。以上。連携手順の指定なし、撤退計画なし、予備兵力なし。何より——」
教授がライアーを見た。
「戦理大全にはこうあります。『十倍にして囲め、五倍にして攻めよ、二倍にして分かて、等しくば死戦せよ、少なくば退け』。君が指揮したのは二流冒険者の混成部隊だ。対する敵は、個体で見れば彼らより強い。数で負け、質でも負けている。さらに言えば、敵には飛行戦力があった。地上で輪を作って、上空から焼かれたらどうするつもりだったのかね?」
「それは……『戦術眼』の予測では、敵は混乱して空を飛ぶ余裕もなくなるはずで……」
ライアーの反論を、シュルツが事務的な声で遮る。
「そのスキル『戦術眼』の鑑定結果も拝見しました。主効果はEランク。『微弱な空間認識力の補助』。これでは、迷子にならない程度の助けにしかならない。なお、軍の事後調査で確認された暗示の副次効果——あれは戦術能力ではなく、周囲の人間を従わせる扇動効果です。作戦が優れていたから兵が従ったのではない。スキルに判断力を鈍らされたから従っただけだ。教授として断言します」
シュルツは断固とした口調で結んだ。
「軍学院の試験でこの作戦を提出した学生がいたら、私は即座に落第を言い渡します。再提出も認めません。これは戦術ではなく、ただの無責任な博打だ」
法廷に、失笑が広がる。
英雄が誇る「無敵の軍略」が、専門家の手によって丁寧に解体されていく。ライアーの顔が真っ赤に染まる。
「しかし、結果的に勝利しました!」
フリッツが必死に声を張り上げ、沈滞した空気を破る。
「死者はゼロです! 実際にエルスト街は救われ、敵五千は全滅した。結果が出ている以上、これを『無謀』と呼ぶのは不当ではありませんか!」
「結果論で作戦の適法性を判断することは、軍事法制の原則に反します」
クルトが冷徹に反論を差し込む。
「『勝てば合法』を認めれば、軍の規律は崩壊する。無謀な命令で兵士を全滅させた指揮官も、万が一にでも勝てば裁かれないというのか?」
「その通りです」
グスタフが静かに同調した。
「結果は量刑の考慮事項にはなりますが、違法性の阻却事由にはなりません。手続き上の正当性は、作戦の成功によって担保されるものではない」
ライアーは唖然としていた。
勝った。誰も死ななかった。街は平和になった。
それだけの「事実」があるのに、なぜ自分はこうも否定されるのか。
法廷内の議論は、ライアーの功績を置き去りにして、軍規と論理の戦いへと加速していく。
「……勝ったんだから、いいじゃないか」
ライアーの小さな独り言は、冷徹な法廷の空気に溶けることなく、床に落ちて消えた。




