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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
甲二〇四号 エルスト市防衛線に於ける指揮権干犯事案
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第14話:自称英雄の入廷

 ライアー・バルクハルトは、控室の全身鏡の前で入念に襟元を正す。


 今日のために新調した晴れ着は、光沢のある上質な生地で仕立てられた特注品だ。深い紺色のジャケットの胸元には、冒険者ギルドから授与されたばかりの「銀翼勲章」が誇らしげに輝いている。


 指先で髪を整え、泥一つない鏡面磨きの靴を軽く叩く。どこからどう見ても、一街を救った稀代の英雄そのものだ。


「いよいよ、この日が来たか」


 ライアーは満足げに口角を吊り上げる。


 エルスト街を守り抜いた稀代の軍師。五千の軍勢を一人も死なせず全滅させた「殲滅包囲作戦」の立案者。王軍がわざわざ自分を王都へ呼び寄せたのだ。名誉ある叙勲か、あるいは騎士爵の授与か。もしかすると、王女殿下との謁見さえ用意されているかもしれない。


 物語の主人公には、相応の報いがあるものだ。ライアーは鼻歌混じりに、重厚な石造りの建物へと足を踏み入れた。



◇◇◇


 そこは王都の一角に鎮座する、中央軍事法廷。


 受付の兵士に名前を告げると、鉄兜の奥にある男の目が、冷ややかな色を帯びる。


「……お名前は」


「ライアー・バルクハルト。エルスト街攻防戦の総指揮官です」


 胸を張り、勲章を指で弾いて見せる。だが、兵士の反応は鈍い。


「……ああ。被告人のライアー・バルクハルト殿ですね。中へ。皆、お待ちかねですよ」


「ひこ……?」


 聞き慣れない単語が鼓膜を震わせるが、ライアーはそのまま案内される。軍独自の格式張った呼び方か何かに違いない。そう自分に言い聞かせ、石畳の廊下の先にある重い扉を押し開く。



◇◇◇


 扉の向こうは、想像していた華やかな表彰式の会場ではなかった。


 窓から差し込む光は冷たく、高い天井は人の話し声を無機質に吸い込む。傍聴席には、飾り気のない鉄色の軍服を纏った将校たちが、一分の隙もなく座り並んでいる。


 彼らの視線は鋭く、そして一様に冷淡だ。歓迎の拍手も、称賛の眼差しもない。ただ、目の前の存在を淡々と検分するだけの視線がそこにある。


 ライアーは戸惑いながらも、中央に据えられた、妙に目立つ硬い椅子に腰を下ろした。


「開廷します。被告人ライアー・バルクハルト。軍籍——なし」


 正面の高壇から、硬質な声が響く。


 軍法務官、グスタフ・アイゼン。


 白髪の混じった頭髪を短く刈り込み、鋼の芯でも背中に通しているかのような直立不動の姿勢で座っている。その瞳には、英雄に対する敬意も、あるいは悪人に対する憎悪すらもない。ただ、目の前の事務を処理するだけの淡白な光がある。


「検察官、起訴状を」


 グスタフが促すと、隣に立つ地味な男——クルト・ヴァイデンが、分厚い書類を機械的な動作で開く。


「本官は、被告人ライアー・バルクハルトに対し、以下の罪状をもって起訴する」


 クルトの声が、静まり返った法廷に響き渡る。


「第一、不法転生罪。転生者届出法に基づく届出の不履行」


 えっ、とライアーの口が半開きになる。そんな法律、聞いたことがない。


「第二、指揮権干犯罪。軍籍なき民間人による、正規軍指揮権の不法掌握」


 ライアーの心拍数が跳ね上がる。感謝されるどころか、罪に問われているのか。


「第三、無謀命令罪。自軍三百名、敵軍推定五千体の戦闘における、軍事学的に成立し得ない無謀かつ非現実的な作戦命令」


 ライアーはたまらず立ち上がり、声を張り上げた。


「あ、あの! 待ってください! 僕は街を救ったんですよ? 五千を相手に無傷で勝つなんて、普通はあり得ない奇跡の功績じゃないですか!」


「被告人の発言は、裁判官の許可を得てから行ってください」


 グスタフが遮る。その言葉には、一切の感情がこもっていない。ただ「ルールに従え」という事務的な要求だけがそこにある。


「今は検察官の朗読中です。続きを」


 クルトが淡々と書類をめくる。その手元には、まだ読み上げられていない膨大な捜査資料が積み重なっていた。



◇◇◇


 頭の中で鳴り響いていたはずのファンファーレは、今や完全に消え失せている。


 ここは英雄を称える壇上ではない。自分を、この世界の法という名の檻に閉じ込めるための場所だった。


 ライアーは、隣で頭を抱えている弁護士フリッツの姿を見て、ようやく事態の深刻さに気づき始める。しかし、それでもなお、彼の心の一部では「どうせ最後には逆転する。これは英雄に与えられた試練なんだ」という、根拠のない全能感が消えずに残っていた。


 冷え切った法廷に、クルト検察官のページをめくる音だけが、乾いたリズムを刻み続けている。


◇◇◇


「第一訴因について審理します。不法転生罪」


 グスタフ・アイゼンの低く通る声が、法廷の静寂を切り裂く。


 王国の法律では、異世界からの転生者は成人から一年以内にその旨を当局へ届け出る義務がある。これを怠れば処罰の対象だ。もっとも、ライアーがいたのは王都から遠く離れた辺境の街である。


「……被告人の居住地から最寄りの管理局まで、徒歩で最短三週間を要します」


 弁護人のフリッツが、緊張で強張った面持ちで立ち上がる。


「当時、街道は魔物の活性化により封鎖状態にありました。物理的に届出を行う手段がなく、義務の履行を期待することは困難です。よって、期待可能性の欠如により無罪を主張します」


 グスタフは手元の書類へ視線を落とす。表情は読み取れない。


「検察側、反論は」


「……ありません。事実関係を認めます」


 クルトが事務的に応じる。わざわざここで争うつもりはないようだ。


「第一訴因については無罪とします」


 グスタフが淡々と判決を下すと、ライアーは目に見えて安堵の溜息を漏らす。


 やはり、自分は悪くない。法は正義を、そしてこの世界の主人公を味方するものだ。ライアーの顔に、いつもの自信に満ちた笑みが戻る。


「ただし、届出義務そのものは消滅していません。閉廷後、速やかに最寄りの管理局へ届け出てください」


「はい! もちろんです!」


 ライアーは快活に返事をする。


 この程度の些細な問題、すぐに終わる。次はきっと、自分の「偉業」を軍が公式に認める順番が来るはずだ。


「続いて、第二訴因。指揮権干犯罪の審理に入ります。証人、ハインツ・ベルガー大尉」


 法廷の側扉が開き、一人の軍人が入ってくる。


 右腕を包帯で吊ったハインツ大尉は、被告席のライアーを一瞥すると、露骨に不快そうな表情を浮かべた。


「証言を。当時、エルスト街の指揮系統はどうなっていたか」


 クルトの問いに、ハインツは直立不動で答える。


「城壁を利用した防衛作戦を策定済みでした。敵の数こそ多かったが、籠城戦ならば維持は可能。私は落石で負傷しましたが、指揮の継続に支障はなかった。しかし——」


 ハインツの声に、屈辱の色が混じる。


「この民間人が、兵士たちの前にしゃしゃり出たのです」


 ライアーがたまらず身を乗り出した。


「しゃしゃり出たなんて心外です! 僕はただ、勝つための絵を見せただけだ!」


 グスタフの視線がライアーを射抜く。


「被告人。許可なき発言は慎んでください。次は退廷させます」


「……すみません」


 ライアーは小さくなって座り直す。


 ハインツは忌々しげに証言を続けた。


「彼はこう言ったのだ。『僕にはあります。あの魔物の軍勢を前に、勝利への道筋を敷く力がある』と。その瞬間——異常なことが起きた」


 ハインツの声に、屈辱だけでなく困惑が混じる。


「副官の目が変わった。私の制止を無視し、この男に協力し始めたのです。続いて兵士たちも次々と。全員が、まるで催眠にかかったように彼の言葉に従った。——あの副官は十年来の部下です。私の命令を無視する男ではない」


 グスタフが書記に確認を取る。


「軍の事後調査で、被告人のスキル『戦術眼』に微弱な暗示効果——周囲の判断力を鈍らせ、スキル保持者の指示に従わせる副次作用があることが確認されています。被告人本人はこの効果を認識していましたか」


 ライアーは目を丸くした。


「暗示? そんなの知りませんよ。僕はただ、自分のビジョンを見せただけで——」


「認識していなかった、と。承りました」



◇◇◇


 勝利への道筋を敷く力。


 法廷内にその台詞が響くと、傍聴席の将校たちの間に失笑が漏れる。


 ライアーは胸を張り、法廷の中心でかつての自分を再現するように言った。


「だって、事実ですから! 僕の『戦術眼』は、勝利への道筋を完璧に捉えていたんです! 大尉の古臭い籠城策じゃ、街は守りきれなかった!」


 グスタフはぴくりとも動じない。


「被告人、質問に答えてください。あなたは、正規指揮官である大尉の制止を認識していましたか。その上で、独断で軍に命令を下しましたか。はい、か、いいえ」


 ライアーは気圧される。


「……はい。でも、それは街を、みんなを守るために——」


「『はい』ですね。承りました」


 グスタフの手元で、羽ペンがさらさらと事実を記録していく。弁明は記録されない。


 ライアーは自分の言葉が、感謝されるための証言ではなく、己の首を絞めるための「自白」として扱われていることに、まだ気づいていなかった。


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