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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
Z-803号 婚約破棄裁判 違約金請求事件
13/29

第13話:妥当な判決

「殿下の行動を改めて整理します」


 オスヴァルトが畳みかける。


「三回の婚約破棄。全ての場合において、殿下の目に映ったのは"泣いている女性"でした。確認を怠った。真偽を調べなかった。——愚かです。しかし"泣いている人間を見捨てなかった"ことを、この法廷は罰するのですか」


 傍聴席から同情の空気が漏れた。


「殿下の判断は間違っていました。しかし動機は一貫して善意です。善意から出た誤った行動を、悪意ある計算に基づく契約で搾取する。——どちらが法の保護に値しますか」


 ところが、ヴィクトールは涼しい顔で立ち上がった。


「オスヴァルト殿は二つの矛盾した主張をしています。"個人としては善意だった"と"婚約は国政行為だ"と。——善意で許されるのは個人の行為です。国政行為に善意は言い訳にならない。国政を預かる王族が、三回も確認を怠って、三回も公衆の面前で貴族家を侮辱した。これは国政上の失態です。失態の賠償を求めることは公爵家の正当な権利です」


「それから契約書の件。"誠実に婚約する人間が違約金を計算するか"と。——違約金条項がある契約は確かに険しい。ですが安心してください。契約を破らなければ支払う必要はありません。——殿下が破ったのです。カタリナ嬢ではない」


「保険をかけない方が愚かです。カタリナ嬢は愚かではなかっただけです。——愚かだったのは、そんな契約書にサインした殿下のほうです」


 ヴィクトールはちらりとオスヴァルトを見た。


「ところでオスヴァルト殿。殿下がサインする前に、あなたは契約書を確認しなかったのですか。宮廷弁護士なのに。——あなたが確認していれば第十四条は修正されていた。つまり今日この法廷は、あなたの怠慢で開かれているんですよ。僕が儲かっているのはあなたのおかげです。ありがとうございます」


 オスヴァルトの目が据わる。法廷が沸いた。マティアスが「静粛に。——弁護人も」と声を上げる。


◇◇◇


 ヴィクトールが先に立った。


「整理しましょう。殿下は三回、同じパターンで婚約を破棄しています。いじめは全件正当行為。聖女本人がいじめではないと証言。殿下は確認を怠り、五百名の前でカタリナ嬢を悪女と断罪した」


「オスヴァルト殿は"善意だった"と仰る。善意で三回。——一回なら善意、二回なら不注意、三回は性格です」


「殿下が契約を守る確率はゼロパーセントではありませんよ。百五十パーセント守らないだけです」


「弁護人。先ほどから百五十パーセントが多用されていますが」


「殿下にふさわしい数字です」


 続いてオスヴァルト。


「カタリナ嬢は法学院卒の知性で、聖女の性質を利用し、王子の行動パターンを分析し、破棄を前提とした契約書を設計した。全て合法。全て正当。——しかし合法な行為を組み合わせて人を陥れることができる人間を、法は保護すべきでしょうか」


「殿下は愚かでした。しかし善意だった。カタリナ嬢は賢い。しかし——賢さが誠実さの代わりになったことは、人類の歴史上一度もありません」


 双方の弁論が終わる。笑いはヴィクトール側、もっともらしさはオスヴァルト側にある。どちらが正しいのか、傍聴席の誰も答えを持っていなかった。

 マティアスは資料をまとめる。この男は最悪だ。だが、言っていることは寸分違わず法だった。裁くのは愛の行方ではない。署名された紙の価値だ。


◇◇◇


 マティアスが判決書を開いた。


「被告側の請求——いじめの認定および慰謝料五百万クローネの反訴について、全面的に棄却する。いじめの事実は認定できない。聖女本人が否定している」


「オスヴァルト弁護人による信義則違反の主張について。契約書に違約金条項があること自体は、婚約契約の有効性を損なわない。相手に破棄の前科がある場合、自衛手段として違約金条項を設けることは合理的であり、信義則に反しない」


 ここでマティアスは一度言葉を切った。


「ただし。カタリナ嬢の行為が合法的ないじめであったかどうかについて。本法廷は個別の行為を違法とは認定しない。しかし、全ての正当な行為が王子殿下の目の前で行われていた事実は、婚約破棄に至る経緯において一定の考慮事項となり得る。よって、名誉毀損の慰謝料について、オスヴァルト弁護人が指摘した事情を減額事由として考慮する」


 判決の核心に入る。


「違約金六百万クローネ——満額認容。契約は有効である。名誉毀損慰謝料——請求四百万クローネのところ、三百万クローネに減額。一方、被告の婚約破棄に際する言動には、過去二回の事例を鑑みても著しい常習性と不誠実さが認められる。よって、将来の抑止のための付加金百万クローネを認定する」


「合計——一千万クローネの支払いを命じる」


 ヴィクトールとオスヴァルトが同時に計算している。減額と付加金が相殺されて、請求額ちょうど。どちらも完全には勝っていない。


「双方にとって不満の残る判決かと思います。——それが妥当な判決というものです」


 マティアスの声は静かだが、法廷の隅まで届く。振り回されっぱなしだった裁判官が、最後に主導権を取り返した瞬間だった。


 ヴィクトールが判決を聞き終えて最初にしたことは、報酬の計算だった。一千万クローネの三割。三百万クローネ。指を折って確認し、満足げに頷く。


「判事、いい判決でした。〇・三点ほど僕の予測と違いましたが」


「……裁判を採点するな」


「安心してください。合格です。——減額と付加金で一千万ちょうどに着地させたのは見事でした。僕の報酬が減らなかったという意味でも」


「弁護人の報酬のために判決を出したのではありません」


◇◇◇


「おめでとうございます、カタリナ嬢。報酬は勝訴金額の三割——三百万クローネですね」


「ええ。——ところで、過去二人の元婚約者たちにも訴訟を勧めるべきでしょうか。同じパターンで勝てます」


「もちろん」


「割引はしませんが」


「……あなたには良心がないのですか」


「ありませんよ。良心は弁護士の邪魔です。——ただし、依頼人の利益だけは守ります。良心より確実です。良心は気分で変わりますが、契約は変わりませんから」


 法廷の出口では、記者に囲まれるフリードリヒ王子の横から、リリアーネが駆け寄っていた。


「殿下! 私のせいで……」


「リリアーネ……君は何も悪くない。僕が君を——」


 オスヴァルトが割り込んだ。


「殿下。今この場で聖女に何か約束するのは、法的に極めて危険です」


 ちらりと廊下の先を見る。ヴィクトールが手を振っていた。


「あの男が見ているからです」


◇◇◇


 マティアスの執務室。


「判事。次の案件ですが」


「何ですか」


「第三王子殿下の元婚約者——グラーフ伯爵家令嬢から慰謝料請求の訴状が届きました。弁護人は——ヴィクトール・レンツです」


 マティアスは胃薬のボトルを丸ごと握りしめた。


「……あの男は、何度来るんですか」



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