第16話 『追憶の結晶』
再び、果てしない暗闇が俺の全身を飲み込んでいく。
一歩。
一歩。
岩を叩くブーツの残響だけが、この虚無の中での唯一のメトロノームだった。
あのスケルトンたちの蒼い炎が、俺の大気圧に屈して消え去ってから十五分。
十五分間の、絶対的な沈黙。
しかし、景色は変貌を遂げていた。
もはや狭い回廊に閉じ込められてはいなかった。
堅固な石壁は崩れ去り、忘れ去られた大聖堂に迷い込んだ蟻のような気分にさせる広大な空間へと開けていた。
周囲では、空間そのものが断片化していた。
天然の石橋、漆黒の中に浮かぶアーチ、そしてあり得ない角度で交差するトンネル。
松明を掲げ、足を止めた。
左手には未知の深淵へと昇る道。
右手には、千年樹の根のように絡み合う三つの異なる小道。
前方を見れば、道の網目はあまりに濃密で、どこが始まりでどこが終わりなのか、視線ですら追いきれない。
あえて数字を出すなら、百を越える道が相互に連結しているだろう。
おそらく、それでも過小評価だ。
ここは肉体を迷わせるためではなく、魂を方向喪失させるために設計された迷宮だ。
肩に溜まった疲労の重みを感じながら、ため息をついた。
「……あの戦闘でマナを使いすぎたのは失敗だったな」
独り言が漏れる。
自らの内部ステータスに視線を走らせた。
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【 マナ:25 / 110 】
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半分以下。死が予告なしに訪れるこの場所では、危険な残量だ。
疲労で足を引きずりながら、歩きつつ思考を巡らせる。
この無限の地獄に、マナを回復させる助けとなる何かはないのか。
何らかの鉱石、先ほどのような泉、あるいは打ち捨てられた遺物。
あると信じたかった。歪んだRPGの法則に支配された場所なら、そうしたルールもどこかに存在するはずだ。
思考は自らの風魔法へと及ぶ。
バカ神とのあの修行のおかげで、風の操作精度は自分でも驚くほどの速さで向上した。
だが、それが唯一の道具。唯一の魔法兵装だ。
もしこの世界が成長の論理で動いているなら、手札を増やす方法があるはずだ。
魔導書、属性ジェム、あるいは暗がりに隠された祝福。
「ふむ……」
その時、馴染みのある痛みを感じた。
喉だ。
乾燥が戻り、この十歳の体が依然として生物学の奴隷であることを思い出させる。
「馬鹿だな……俺は」
自嘲気味な笑いが漏れ、ひび割れた唇に痛みが走った。
目の前に純粋な水の源泉があったというのに、俺は酔っ払い女神の安っぽい匂いが詰まったガラス瓶を優先したのだ。
軍の戦略家なら職務怠慢で即刻処刑だろう。合理的な生存者なら狂人と呼ぶに違いない。
それなのに、暗闇を歩く俺の心に、後悔の念は微塵もなかった。
インベントリにあるあの瓶……理由は分からないが、今の俺には自分の命よりも重く感じられた。
「水魔法でもあれば助かるんだがな……」
唾を飲み込もうとして失敗し、呟いた。
もし習得できれば、運や謎の泉に頼る必要もなくなる。
視線を足元に落としたまま進み続け、やがて道が再び狭まった。
小さな岩のトンネルに入る。
車一台分ほどの短い距離で、侵食というよりは職人が彫り上げたような、装飾的な外観をしていた。
「……ん?」
トンネルの中ほどで足を止めた。
右側の壁にある何かが、松明の僅かな光を反射した。
石ではない。結晶だ。
岩の奥深くに埋め込まれた、滑らかで冷たい、黒いガラスの破片。
「あ……」
自分の姿を映そうと、結晶に顔を近づけた。汚れにまみれた服を着た、疲れ果てた十歳の子供の顔が見えるはずだった。
「な……んだと?」
だが、結晶が返してきた反射に、俺の血は凍りついた。
俺ではなかった。
いや……正確には、間違いなく俺だ。
だが同時に、それを「俺」と呼ぶことはできなかった。
ダミアン・ティーボルトではない。
記憶の最深部に埋葬したはずの、誰かの投影。
短い髪の少年の姿。質素なTシャツを着て、今の俺の瞳からは消え失せた「純粋さ」を宿した表情。
「……クイチ?」
声は、トンネルの停滞した空気の中で震える囁きとなった。
背筋を電気的な衝撃が駆け抜ける。
震える指先を伸ばし、結晶の冷たい表面に触れた。
クイチ。戦争も、魔法も、転生も、まだ何も知らなかった頃の少年。
結晶の中の俺は、夕暮れの中で笑っていた。かつての家の、緑豊かな庭の芝生に座り、熱すぎない太陽の下にいた。
手には使い古されたサッカーボール。その顔は、直視するのが苦痛なほど、絶対的な幸福に満ち溢れていた。
ドラゴンも、女神も、無限の回廊もない。
ただ、世界が彼に過酷な転機を与える前の、庭にいる一人の少年。




