第14話 『影の投影』
ダミアンは夢を見ていた。
渇きによって崩れゆく意識の深淵で、ダミアンは一瞬だけ暗闇を忘れた虚空に漂っていた。
石も、回廊もない。硫黄の臭いも、淀んだ空気もない。
広大な精神の海の中で、彼は辺獄の理に抗うような庭園にいた。
それは柔らかな光に満ちた野原で、生命の香りがすべてを包み込んでいた。
甘い香り。露に濡れたばかりの新鮮な薔薇。永遠の春に咲き誇るジャスミン。肥沃な大地と、雨上がりの松の清々しさ。
彼の前に、一つの人影が立っていた。
光のシルエット。その存在だけで、ダミアンの失われたはずの鼓動を激しく打ち鳴らす女。
顔は見えない。顔立ちをぼかす白い輝きに包まれているが、本能が叫んでいた。彼女は、届かぬほどの美しさの持ち主であると。
彼女は透明なヴェール、水中を漂うようなエーテルの絹を纏っていた。
その布越しに、ダミアンは圧倒的な母性を帯びた肉体を目にした。
芸術的なエレガンスを湛えた曲線。強さと柔らかさの完璧な調和。
引き締まった腹部。広く、そして力強い腰のラインは、成熟した女性の絶頂期を思わせる豊潤な臀部へと続いていた。
豊かな胸は、ゆったりとした呼吸に合わせて上下し、母性的でありながら、同時に神聖で成熟した官能を漂わせていた。
それは豊穣と優雅の化身であり、安らぎの熱を放つ光の彫像だった。
ダミアンは彼女の方へ歩もうとした。
その手に触れたかった。花の香りに溺れ、あの回廊を忘れたかった。
だが、できなかった。
足が動かない。
応えるための肉体が、そこにはなかった。
しかし肉体がないにもかかわらず、不思議なことに、彼は自分の両手に湿り気を感じた。
顔の見えない、光のシルエットを見つめる。
その光の女は、泣いていた。
だが、それは普通の涙ではなかった。影の涙。光を汚し、花の地面を焼き尽くす黒い糸。
ダミアンは鋭い苦悶を感じた。彼女を助けたい。その暗い痛みを拭ってやりたい。
名前も知らぬ彼女を呼びたかった。止まってくれと叫びたかった。
だが、声は死んでいた。
シルエットは薄れ始め、足元から湧き上がる闇、彼女をゆっくりと殺してゆく黒い潮流に飲み込まれていった。彼女は彼の方へ手を伸ばしながら。
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「待て……っ!」
叫びと共に、跳ね起きた。
「え?……」
声は乾いた鴉の鳴き声のように響いた。
荒い息をつき、冷や汗でチュニックが肌に張り付くのを感じながら座り込む。
何度か瞬きをし、風の結界の薄暗がりの中で視界を確保しようとした。
「……夢、か」
喉に紙やすりを詰めたような不快感に耐え、唾を飲み込む。
断片的なイメージを整理する。あの女性……薔薇の香り……すべてを飲み込む影。
不意に、静寂を破る音が響いた。
コポコポ……
背後からだった。
心臓を口から吐き出しそうな緊張感で、ゆっくりと振り返る。数時間前まで毛羽立った石と埃しかなかった場所に、あり得ないものが存在していた。
石の亀裂から、透き通った水が湧き出していた。消えかけの松明の光を受け、青白く揺らめいている。
俺は硬直した。目の前の現実を理解しようと努める。
あり得ない。ここに水路などない。何もないはずだ。
震える足でゆっくりと立ち上がる。
「み、水……?」
一歩。また一歩。
「水だ!」
子供の足でもつれながら全力で駆け寄り、泉へと飛び込んだ。
即席の源泉から直接、水を煽る。
冷たく豊かな水が喉を通り、内臓を祝福していくのを感じた。
細胞が潤いを取り戻し、視界が晴れ、筋肉に力が戻っていく。
「ふ、はぁ……」
渇きを癒し終え、顔を濡らしたまま息を整える。
困惑して周囲を見渡した。
ここが先ほどまで休んでいた場所ではないことは確かだ。あんな亀裂はなかった。回廊の様子が違う。
「……寝ぼけて歩いたのか? いや、そんなはずはない」
謎は一旦脇に置いた。この水を確保する必要がある。生命線だ。
持っている唯一の容器を思い出した。
思考でインターフェースを呼び出す。
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【 インベントリ 】
黒鉄の短剣(x2)
樹脂の松明(x8)
乾燥食料(x5)
放屁の瓶(x1) ← 【 選択 】
【 選択したアイテムを実体化しますか? 】 [ はい ] / [ いいえ ]
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冷たいガラスとシルクのリボンが、微かな光と共に掌に現れた。
源泉の上に瓶を構え、親指をコルクにかけた。これを引き抜き、中のガスを虚空に捨てて、代わりにこの聖なる水を満たせばいいだけだ。
リボンにかかった指が強張った。
だが、その時。一つの光景が脳裏に浮かんだ。
いつものように、裸のアイリアナ。
けれど彼女は、太陽のように輝く、この上なく優しく天使のような微笑みを浮かべていた。
……手が止まった。
どうしても、できなかった。
なぜだか分からない。けれど、彼女の痕跡を消し、あの匂いを失って水に置き換えるという考えが、喉の渇きよりもひどい空虚さを俺に突きつけた。
「……俺は、救いようのない大馬鹿野郎だ」
目を閉じ、静かに囁いた。
瓶を胸に抱き寄せ、その感触を確かめてから、インベントリに戻した。手付かずのまま。あの品のない中身を、無事に残して。
(この泉が現れたなら、このエリアには確実に水があるはずだ。道中でまた見つけられるだろう)
自分自身のセンチメンタリズムに少し呆れ、顔を赤くしながらも、リフレッシュした気分で立ち上がった。
装備を整え、再び回廊の直線へと足を踏み出す。
一歩、また一歩。
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その時、泉があった場所に、一つの影が佇んでいた。
それは暗闇で編み上げられたような、輪郭の定まらない朧げなシルエット。
明確な人の形は持っていない。水面に漂う柔らかな影の集合体。
暗い外見に反して、そこには悪意の欠片もなかった。
むしろ、その中心からは奇妙な熱が、母性的な幸福の波動が放たれていた。
岩をふやかし、回廊の冷たい石をも温めるほどの、純粋な温もり。
影は壁の闇に溶け込みながら、静止していた。
やがて、その顔があるべき場所に、一筋の輝きが描かれた。
微笑みだった。
物理的な形ではなく、絶対的な闇を切り裂く、白く輝く光の曲線。
見えない瞳は、遠ざかっていく背中を離さなかった。
遠い闇の中へと消えていく幼き英雄の背中を、影は無限の慈愛を持って見守り続けていた。その旅路を、静かに祝福するかのように。




