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第12話 『深淵の刃』

 火炎百足が灰になってから、どれほどの時間が経ったか数えるのをやめていた。


 これまでは単調な岩の道が続いていた回廊だったが、ここに来て最も卑劣な形でその本性を剥き出しにした。


 床が、唐突に消えたのだ。


 目の前には巨大な亀裂が広がり、松明の光では底を測ることすらできない絶対的な虚無が口を開けていた。断面は鋭利ではない。回廊の壁が遠ざかり、右側の壁にへばりつくように、幅わずか十センチほどの極めて細い足場だけが残されていた。


 俺は縁の直前で踵を鳴らして止まった。


「……一歩間違えれば、レベル15も、何もかもおしまいか」


 引き返そうとした。だが、振り返ったときには、どういうわけか先ほどまで歩いてきた道へと続く穴は消えていた。


「あ、あ……」


 そこにはただ、巨大な石壁がそびえ立っているだけだった。選択肢はない。前へ進むしかなかった。


 細い足場は、対岸で回廊が元の広さを取り戻すまで、約七十五メートルも続いていた。他にルートはない。


 松明をインベントリに仕舞った。凹凸のある壁で均衡を保つために、両手を自由にする必要があった。完全な闇が俺を包んだが、今のレベルによって研ぎ澄まされた感覚が、石の近さを「感じ」させてくれた。


 壁に背を預け、横歩きで、インチ単位の歩みを開始した。


 タッ……タッ……タッ……


 石の縁を叩くブーツの音が下の虚無へと響き、数キロメートルもの落下を予感させる深い反響となって返ってくる。ここの空気はより冷たく、俺を岩から剥がそうとするかのような上昇気流が吹き抜けていた。


 三十メートルほど進んだ時、それは起きた。


 長い年月による侵食か、あるいは俺より遥かに巨大な何かの重みによるものか、左足の下で足場の一部が崩落した。乾いた音が響く。


「くそっ!」


 足が虚空へと沈んだ。自重の慣性に引きずられ、体は虚無へと吸い込まれていく。脚が宙を泳ぎ、指先は存在しない手がかりを求めて滑らかな壁を必死に掻きむしる。重心はすでに足場の外。俺は、落ちていた。


 自由落下のそのミリ秒の間、肉体のパニックを熟練者の冷静さがねじ伏せた。


 掴まろうとはしなかった。縋りつくものは何もない。代わりに、全マナを右手の掌に集中させ、真下の深淵へと向けた。


「……突風!」


【 マナ:100 -> 95 】


 圧縮された空気の爆発は、大砲の発射のようだった。反作用の力が、肩をきしませるほどの暴力的な勢いで俺を上方、そして前方へと突き飛ばした。優雅さのかけらもない、無骨で泥臭い動き。だが、効果はあった。


 俺の体は崩れた箇所を飛び越え、再び地面が固形となった対岸へと胸から着地した。


「……ぐっ!」


 一分ほどそのまま動けずにいた。肋骨の裏で心臓が激しく鐘を打ち、喉の奥にはアドレナリンの苦い味が残っていた。指先は痺れ、チュニックは摩擦で破れていたが、俺は生きていた。


 ゆっくりと立ち上がり、膝の埃を払う。再び松明を取り出し、火を灯した。光は、何事もなかったかのように平然と続く直線の回廊を映し出した。まるで、今しがた俺を殺そうとしたことなどなかったかのように。


「……ふぅ。危なかった……」


 まだ震えている右手を見つめ、静かに呟いた。


 装備を整え、背後の深淵を振り返ることなく、俺は再び歩き出した。


 一歩、また一歩。


 永遠という時間は、俺が息を整えるのを待ってはくれないのだから。

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