08 モナルダ病棟にて 4
シシアはジルバルの左腕に触れた。
「なにをする気だ。離れろっ!」
「今から貴方の左腕を浄化します。だから耐えて!」
怖くない訳がなかった。
脚は疲労なのか恐怖なのか分からないほどずっと震えている。脚だけじゃない。全身から悲鳴が聞こえている。それでも、今の私に出来る事をしに来たんだ。黙って観にきた訳じゃないの!
(…………この音はなに?)
意を決して黒穢と向き合ったシシアは、突風と共に微かな声を聞いた。
(気にはなるけど、今は目の前に集中しないと!)
黒穢から放たれる強風に耐えながらシシアはジルバルの左腕に触れ、祈った。
(お願い。穢れよ、消えてっ!)
「……これは…………、」
シシアが触れた部分から白い光が広がっていき、ジルバルの左腕から穢れがどんどん浄化されていく。それに比例して拘束していた魔法のロープは輝きを増していった。
(あ、この声は……。)
ジルバルが魔力を強めて黒穢を拘束してくれたおかげで、先ほど聞こえた声が鮮明に聞こえてきた。
「これでもう少しあの方を抑えていられますか?」
「ああ…………って、どうする気だ!?」
それは良かった。
(…………じゃあ、行かないと。)
シシアはもがく様に床を這う目の前の黒穢に向かって歩き始めた。
「あの方、泣いているんです。」
「なに言ってんだ。あれにもう理性はない。ただ訳もわからず唸ってるだけ。それ以上近づくんじゃねぇ!」
自分でもなぜかは分からない。でも分かるんだ。
さっきから微かに聞こえていた声の正体は泣き声だって。
暴れて苦しんでいる精霊が泣いてる。
痛い、助けてってどうしようもなく泣いてるの。
「私が、行かなきゃ。」
「やめろ。本当に死ぬぞ!」
ジルバルの制止を無視して進む。
奇声を上げ半狂乱状態で暴れる相手に近づくなんて経験ない。目の前にいるのが人を殺すのに躊躇がない化け物だ。
怖い。全身が震えている。少しでも気が緩めば崩れ落ちてしまいそうで、奥歯をギュッと噛み締めた。
(それでも放っては置けない……。)
私は親に愛して貰えなかった――。
両親は共働きで外面を非常に気にするような人達で、体裁を保つ為だけに私を産んだ。
そんなだから私が小学校に入る頃には、家庭は崩壊。二人とも外に恋人を作って家に帰ってくる事はほとんどなかった。
家ではいつも一人で。
帰って来ない両親を信じて待ち続けた。
親に褒めてもらった記憶は一度もない。
熱を出せば「私の脚を引っ張らないで」と突き放され、父親には「汚点は視界に入るな」と何度も部屋に閉じ込められた。
どれだけ頑張っても振り向いて貰えない、愛して貰えないというのは想像以上に悲しくて苦しい。
私の場合は半年間放置され、餓死寸前で祖母に引き取って貰えたからこうして今を生きていられる。あの時、祖母に見捨てられていたら私は確実に死んでいた。
思い出しただけで胸が苦しくなる。
溢れそうな涙を拭いて一歩、また一歩、確実に黒穢に近づいていく。
目の前の精霊もずっと苦しんできたのだろう。
穢れを溜め込んだまま、浄化して貰えず放置されて。
「ごめんね。あなたはずっと苦しみに耐えていたのに気づいてあげられなかった。」
私は空気みたいに見放される事がどれだけ辛いのかを痛いぐらい知っている。だから絶対に見逃しちゃ駄目だ。
「今、助けるから!」
黒く穢れたこの手を離してはいけない。
握ると物凄い力で爪を立てられ手の甲から血が滲み、身体に電撃が走ったような痛みに襲われた。
(そんなもの、この方の痛みに比べればなんともない!)
シシアは更に近づいて両手で精霊の手を握ると強く強く祈り続けた。
(お願い。この方を助けたいの!)
更に力を込める。
シシアの周りを黄金の光が包み始め、精霊は光を嫌がり叫び唸り暴れ回る。
「シシア様――っ!!」
暴れた黒穢がシシアの首筋に勢いよく噛み付いた。
「――ッ!!」
痛さで意識が飛びそうになった。
でもこの方は、それ以上に今戦っているんだ!
(戻って来て。穢れなんかに負けないでっ!!)
シシアの周りは瞬く間に黄金の光が勢いを増し、風船の様に弾けた。
「…………なん、だこれは?」
黄金の光は雨粒のようにその場に降り注ぐ。
ジルバルも思わず見惚れるほどの神々しさをしていた。
その中に、女神がいた……。
ジルバルは見間違いかと目を擦って確認する。
そこに居たのはシシアだった。
シシアが震える手で女性の頭を撫でていた。
「大丈夫、もう大丈夫だから。」
何度も何度も……。
徐々に黒い穢れが消えて黒穢だった者は、女性の精霊の形を取り戻し、涙を流しながら気絶していた。
「信じられない、黒穢を浄化出来る人間がいるなんて聞いた事がないぞ……。」
シシアは腕の中で眠る女性の姿を見て安堵した。
次の瞬間、物凄い倦怠感に身体を襲れた。
眩暈がする……。
まだやるべき事があるのに、意識を保っていられない。
この方をベッドに寝かせないと……、
他の精霊達も救ってあげないと…………、
「ジルバル、様……この方を、頼み、ます……」
頭に靄が掛かったみたいに思考が上手く纏まらず、ジルバルが駆け寄ってくるのを感じながら意識を手放した……。
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底辺作家脱却を目指してます!!
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