06 モナルダ病棟にて 2
「ここ、が、モルダナ病棟、なのね……。」
病棟は一度城を出て大きな庭を抜けた先にあった。
道中で何人かの使用人に呼び止められた為、「シシア様の世話役として新しく入ったメイドの〝シイナ〟です」と笑顔で本名を名乗った。
その度にナリが頭を抱えたのは言うまでもない。
「シイナさん、大丈夫ですか?」
ナリにもこの格好でいる時は『シイナ』と呼び、敬語もいらないと伝えたのだが、猛烈な反対をくらい『さん』付けと敬語ありで落ち着いた。
「はぁー、はぁー……。だい、じょうぶよ。」
それにしても、シシアの体力の低さは絶望的だった。
蝶と花よと育ち、どこへ行くにも馬車移動をしてきた弊害だろう。部屋からたったの数分歩いただけでこの息の切れようだ。
(この身体で生きていくなら体力作りが一番の課題になりそう……。)
細い棒のようなすらっとした太ももに憧れはあったけれど、引き換えに歩けなくなるのだったら大根ぐらい太い脚で良いと思ったのは初めての経験だった。
「とにかく、モルダナ病棟に入りましょう。」
病棟の扉に手を掛け、エントランスに入ると室内には病院特有の消毒液の匂いで満たされていた。
この匂いにはあまりに良い思い出がない。
病気で亡くなった祖母を最後に看取ったのを思い出してしまうから……。
踵を返して病棟を出ていきたい気持ちを抑えて周りを見渡すと、ここで働く精霊達がこちらを横目でチラチラと見ては知らないふりをして走り去って行ってしまった。
「このメイド服はシシア様専属の証なので……。」
シシアだってバレたのか、と心配していたらナリがこれまた申し訳なさそうに原因を教えてくれた。しかも後に続くであろう「嫌われているんです」と言うところはちゃんと隠してくれる気遣い付き。
(ナリは本当に良い子。これからも見放さないで欲しい。切実にっ!)
そんな事を思っていると、正面から白衣の男性が歩いて来るのが見えた。
彼もナリと同じ精霊の美しい羽根を持っているが、ナリとは羽根の色と形が少し違う。
色はナリが透明なのに比べて少し緑がかっている。光が当たるとキラキラと輝きを増した。色は男の方が美しいけど形はナリの方が綺麗に思う。
というのも男の羽根の一部は剣で斬り落としたような歪な形をしていた。羽根は人間の性格と同じで色々と個性があるようだ。
「おや、見ない顔だね。」
「シシア様の新しいメイドとしてやって参りました。シイナです。よろしくお願いします。」
美しいカーテシーを披露してみせる。
ありがたい事に細かい所作はこの身体が覚えていた。
メイドの質が主人の印象を決める。シイナとして少しずつシシアの印象を良い方向に持っていければと想いも込めて愛想良く接して見ることに。
「…………へぇ、そう。俺はここの所長のジルバルだ。」
ジルバルと名乗った男はグレーの短髪と真珠のよう白い瞳を持ったどこか怪しい雰囲気を纏っていた。
印象的なのは目の下に酷く濃いクマを飼っていること。無精髭も生やしていて、とてもじゃないが清潔とは言い難い。
ポケットに両手を突っ込んだまま、口に火の付いていないタバコを咥える様は藪医者にしか見えなかった。
「それで、シシア様のメイドがこんな所になんのようだ。精霊族だらけの病棟にあの高貴な浄化師様が用事があるとは思えねぇな。」
ジルバルは明け透けにシシアを嫌っているようで、その侍女となった人間にも敵意を隠すつもりはないらしい。
「ジルバル様っ!」
ナリがシシアを庇うように声を上げてくれたが、ジルバルは全く気にしない。
「へいへい。さっさとお帰り下さいな。ここは見世物小屋じゃないんでね。」
タバコを咥えたジルバルは、入り口の扉を開けると笑みを貼り付けて皮肉たっぷりに綺麗な所作でお辞儀をして見せる。
ジルバルの純白の瞳は「とっとと帰れ」と訴えていた。でも私だってここで帰るわけには行かない。
「ジルバル様、病棟内を見学させて頂けませんでしょうか? 決して皆様のお邪魔になるような事は致しませんので。」
ジルバルは明らかに不機嫌な顔をする。
「…………なぜ?」
「シシア様は今、自室でこれまでの行いを反省しつつあります。その一環でシシア様よりここいらっしゃる方々がどのぐらい浄化が必要なのか見て来るよう命じられました。」
嘘も甚だしいが、浄化を考えている事は本当。
今後、彼女が浄化に訪れる可能性があるなら所長として病棟内を見学する事を許し貰えるはずと踏んでいた。
「あの我が儘女が反省している?」
想いとは裏腹にジルバルは呆れたように鼻で笑った。
「どのぐらい浄化を必要としているかと言ったな。馬鹿にするのも大概にしろ。」
咥えていたタバコを床に吐き捨て悪意を持って踏み潰す。ジルバルは今までの飄々とした姿からは想像もできないほど強烈な怒りを露わにした。
その怒りはシシアとナリが揃って身震いしてしまうほど。
「嫁いで来てから一度も病棟を訪れようとしないあの女に、俺が何度穢れの恐ろしさを伝えに行ったと思う。どれだけ浄化を頼み込んで頭を下げたと思う?」
小説に描かれていない部分は全く分からない私は、ジルバルの悲痛な叫びに首を横に振るしかできなかった。
実際に血が通ったシシアの傲慢さを改めて実感させられる。
「どれだけ懇願してあの女に代償を払ったと思っている。」
自身の羽根と白衣に隠れていた左腕をこちらに向けた。
「あの女は俺の羽根が美しいから一部をくれと言い出しやがった。くれてやる代わりに浄化を頼んだが、斬り落とした羽根を見てやっぱり要らないから浄化はしないと笑って俺の羽根を踏み付けたんだぞ。」
シシアが非人道的な性格をしているのは知っていたけどまさかここまでとは。あまりのサイコパス具合に開いた口から声が出ない。
「極め付けはこの左腕だ。二日酔いで頭が痛いから治癒しろ。しなければ二度と浄化は行わないと脅して来やがった。連日の治癒魔法の使いすぎで俺までこのザマだ。」
ジルバルの左腕は手首から二の腕まで黒く染まっている。ナリよりも大きくて濃い穢れは彼の腕と心を蝕んでいるようだった。
「…………ごめんな、さい。」
ようやく声を振り絞って出せたのは届かない謝罪の言葉だけ。
私は事の重大性を全く理解出来ていなかったんだ。
転生した事を心の何処かで浮かれていた。
既に多くの精霊達がシシアに苦しめられていたのに、まだどうにかなると思い込んでいた。
「本当に、ごめんなさい……。」
苦しめられた過去は変わらない。
傷跡みたいに心の中に残り続けるって知っていたのに。
「なんであんたが謝るんだ。別にあんたにはなんの恨みもない。でもな、俺の知ってるあのクソ女は反省なんかしないんだよ。もう希望を持つのも裏切られるのも嫌なだけだ。」
シシアの謝罪に我に返ったようジルバルは踏み潰したタバコを拾い上げゴミ箱に捨てた。
「俺はあの女がここに脚を運んだとしても病棟の中に入れてやるつもりはない。そう伝えてくれ。」
当然の反応だ。
所長としてシシアという悪女を病棟に入れるなんて恐ろしい行為を許せる筈がない。私だって同じ反応を示すと思う。
「…………分かり、ました。」
これ以上、ジルバルに迷惑をかける事はしたくない。大人しく部屋に帰ろうと病棟を出入り口に向かおうとしたその時、
――ギャァァァアアーーっ!!
唸るような叫び声が病棟に響き渡った。
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底辺作家脱却を目指してます!!
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