最も恐ろしき戦の女神
今、世界中のあらゆるところで、ある都市伝説が流行っている。
その都市伝説は有り体に言ってしまえばただの誘拐事件。
もしくは神隠しに近いものかもしれない。
それは仲間外れにされて、あるいは虐められて泣いている子供の下に突如現れて言うのだ。
「可哀想に。私の手を取りなさい。あなたを解放してあげよう」
噂によればそれは甲冑を身に纏った美しい女性らしい。
神話に出てくるような騎士を想起させるその姿は、子供達にとってはゲームや漫画などの媒体に出てくる絶対的な存在……ヒーローとして映る事だろう。
故に泣いていた子供達は躊躇いなく彼女の手を取ってしまうのだ。
そして、その子は行方不明になっておしまいだ。
こんなありふれた都市伝説が現代において何故、残っているのか。
その理由は実に単純で企業から個人宅まであらゆる場所に設置された監視カメラを始めとする機械にしっかりとその女性の姿が記録されているからだ。
とはいえ、現代科学でさえ説明出来ないその光景はあまりにも刺激が強く、残された記録は片っ端から消されているなどとありきたりなオチがつく。
……だが、困ったことにそれらの記録は定期的にインターネット上にあげられる。
当然と言えば当然かもしれない。
なにせ、彼女はこんな時代においても謎めいた存在であるのだから。
そんな嘘とも真も分からない情報が偶然にも目の前で起こってしまえば、人々はそれを拡散したくて仕方なくなる。
故に、この都市伝説はある意味では最も有名で最も身近なものであると言えるだろう。
そして、こんなにもしっかりとした記録が残されていると言うのに、この女性の正体も行方不明となった子供の行方も明らかになっていない。
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「目をあけてごらん」
その言葉を聞いて僕は目を開ける。
ほんの一瞬前まで居たはずの公園はいつの間にか消え失せていた。
「ここは?」
僕が問いかけると女性は微笑んで答える。
「あなたの生きていた時代から千年以上も昔の戦場……正確にはつい先日まで戦場だった場所」
動揺する僕の頭を軽く撫でた後、女性は空から一振りの剣を出現させると僕に手渡した。
その剣を手にした途端、僕の身体の奥深くに抑えきれないほどの想いが沸き立った。
「ダメ。これは抑えなきゃ……」
気づけば大粒の涙が僕の頬を伝っていた。
そう。
ダメだ。この想いを持ってしまっては。
全てが。全部が。僕を取り巻くものが壊れてしまう。
「あの物陰に辛うじて生きている人間がいるの」
彼女の声を聞いた僕の全身は一瞬にして総毛だった。
ダメ。抑えなくちゃ。抑えなくちゃ……!
そう必死に抗う僕の想いに触れるようにして、彼女は僕の背中を撫でてあの言葉を繰り返した。
「あなたを解放してあげましょう」
直後。
僕は剣を手にして駆けだしていた。
物陰に隠れていた敗残兵が小さな悲鳴をあげる。
しかし、それを無視して僕は剣を振るう。
赤々とした血が僕の身体を飾る。
悲鳴が音楽のように響いて僕の心を揺さぶる。
僕の内なるものが、僕自身が抑え続けていたものが歓喜する。
そして、気づけば僕は哀れな命を屠りさっていた。
少年が驚喜する光景を見つめながら私は悲哀の息を漏らす。
なんて哀れなことだろう。
あの子もまたこんなにも素晴らしい才能を持っていた。
なのに、生まれた時代が仮初の平和を維持していたが故に、あんなにも自分自身を抑え苦しみながら生きていかなければならなかった。
血の中で歌い、踊る姿を見つめながら私は言った。
「望むままに生きなさい。この時代ならば、あなたの全ては許されるから」
世界に合わなかった故に怯え、泣いていた命が輝くのを見つめながら、今、ようやく世界に生まれた命の産声をうっとりと聞いていた。