いざ、王宮へ⑦
「フィリップ、貴方はまだ仕事の途中だったのではなくて?」
王妃にそう声をかけられ、フィリップは弾かれたように母を見た。
母の存在をすっかり忘れていたのだ。
それに、たしかに自分はまだ仕事の途中であった。
母がコンスタンスを王宮に呼び出したことを側近から聞き、居ても立っても居られず執務室を飛び出して来たのだ。
「母上。私に知らせずコニーと会うなど、何を企んでおられるのですか?」
「企むなど…、人聞きの悪いことを」
母は微かに口元を綻ばせると、扇子を広げて顔の下半分を覆った。
フィリップはもう一度コンスタンスを見た。
彼女は相変わらず表情の無いまま、青ざめた顔でこちらを見ている。
決して、こんな顔をさせたかったわけではなかったのに。
「…悪かった」
フィリップはボソリと一言零すと、踵を返し、部屋を出て行った。
これ以上話していたら、更に彼女を傷つける言葉を口にしてしまいそうだったのだ。
一度この場を離れて、冷静になる時間が必要かもしれない。
フィリップが執務棟に戻るため回廊を歩いて行くと、後宮の入り口を守る警備兵に混ざり、ヒース侯爵オレリアンが立っていた。
行きにも通ったが、コンスタンスに早く会いたくて急いでいたため、気づかなかったらしい。
警備兵は皆頭を垂れていたが、ヒース侯爵はただ1人、顔を上げ、王太子を見据えていた。
その視線は不敬でもあるが、フィリップは一瞥したのみで通り過ぎた。
3ヶ月前にヒース侯爵家を突然訪ねた折ー。
たしかにオレリアンがコンスタンスを愛おしむ様を、コンスタンスがオレリアンを慕う様を、目の前で見たはずだった。
だが、認めたくなかった。
あれは、記憶を失っているせいなのだからと。
しかし記憶を取り戻したはずの今も、コンスタンスはフィリップを拒絶した。
ーこれは、嫉妬だ。
多分フィリップは未だにコンスタンスが自分だけを想っていると思っていたし、そう信じ込みたかったのだ。
「…情け無い…」
フィリップは自らを嘲るような笑みを浮かべ、足早に後宮を後にした。
王太子フィリップが部屋を出た後、コンスタンスは王妃に勧められ、再び向かい合って座っていた。
まるで何事もなかったかのように、王妃は侍女に指示して、飲み物を入れ替えさせている。
そしてテーブルの上には、小さな一口大の菓子類と、甘い香りのする飲み物が運ばれてきた。
「なんだか気疲れしてしまったでしょう?甘いものでも召し上がって?」
置かれたのはホットチョコレートだった。
かつてのお妃教育の合間にも、王妃がよく
「疲れたでしょう?」
と差し入れてくれたものだ。
口を付ければ、控えめの甘さとほろ苦さが溶け合っていく。
だが、とても美味しいのであろうが、今のコンスタンスには全く味がわからなかった。
「私はね、コンスタンス。本当に貴女が可愛かったのよ」
ホットチョコレートに口を付けるコンスタンスに、王妃は微笑んで見せた。
「だって初恋の人と親友の娘なんだもの、可愛くないはずがないでしょう?」
とうとう王妃はそんな言葉を口にしたが、母からその事実を聞いていたコンスタンスに驚きはなかった。
だが、次に出た言葉には、驚愕し、目を見開いた。
「だからね?貴女がフィリップ以外の男と幸せになるなんて、許せないのよ」




