こころ、近づく⑥
次の非番の日は、2人で庭の東屋に腰掛け、お茶と会話を楽しもうということになった。
時々オレリアンはコンスタンスに「頭痛はしないか、気分は悪くならないか」と心配そうに尋ねてくる。
しかしこうして毎日顔を合わせるようになってからコンスタンスの頭痛は全く起きず、オレリアンは密かに安堵していた。
「ワン!ワン!」
今日は庭で放されていたフィルが、オレリアンを見つけて駆け寄ってきた。
彼に以前遊んでもらっていたのを覚えているのだろう。
「ああ、侯爵様はフィルを知っているのですよね?」
「ええ。フィルも私を覚えていてくれたようですね」
オレリアンは飛びついてくるフィルに目を細め、ワシャワシャとその体を撫で回し、抱きしめた。
フィルは千切れんばかりに尻尾を振っている。
たしかに最近ずっと部屋に引きこもっていたコンスタンスはフィルと遊んでやることもなかったが、それでも主人である自分を差し置いてオレリアンに飛びつくとは、ちょっと複雑である。
一方オレリアンも、フィルが王太子からコンスタンスへのプレゼントだと知って少々複雑な気持ちがある。
だが、フィルには罪が無い。
ひとしきりオレリアンとの再会を喜んだフィルは、突然パーッと離れたと思うと、口に円盤を加えて戻って来た。
その円盤は以前オレリアンがプレゼントしたもので、フィルの1番のお気に入りの玩具だ。
「本当に懐いていますのね」
コンスタンスが驚いたようにオレリアンとフィルを見比べていると、ふいにオレリアンから円盤を差し出された。
「貴女からどうぞ?」
「私から?無理ですわ。どうすればいいかわからないですもの」
こんな玩具で遊んだ覚えがないコンスタンスは即座に断った。
困ったようにオレリアンを見上げたが、彼は微かに首を傾げ、微笑んでいる。
「適当に投げるだけですよ。あとはフィルがキャッチしてくれますから」
「…私に出来るかしら」
そう言いながら円盤を受け取ったコンスタンスだが、なんだかそれを投げたことがあるようにも思える。
体が勝手に反応するように円盤を右手に持つと、左肩の後ろまで大きく回した。
切るように空中に放ると、円盤は空に向かって真っ直ぐに飛んだあと、弧を描いて落下して行く。
そこを走って行ったフィルが上手に口でキャッチした。
「ほら、上手い、上手い」
オレリアンが手を叩きながらコンスタンスを振り返ると、彼女は両頬に手を当て、目を大きく見開いていた。
「すごいですわ!」
「ああ、上手に投げられましたね」
「なんていうか、体が覚えている気がしましたの!」
フィルが円盤を持って戻って来ると、コンスタンスは
「フィル!いい子ね!」
とフィルの頭をワシャワシャと撫でた。
「もう一回投げてもいいかしら?」
「もちろん、何度でもどうぞ」
「フィル、行くわよ!」
頬を紅潮させ興奮するコンスタンスを、オレリアンは優しい目で見つめている。
自分との生活は全て忘れてしまっても、彼女の中にやはり『コニー』はいる。
一方コンスタンスもこの時間を心の底から楽しく思った。
こんな風に大きな声で笑うのは子供の頃以来だったから。
「私たちは、以前もこうして遊んでいましたの?」
「ええ。貴女はいつも、裸足で庭を駆け回っていましたよ」
「まぁ、私が裸足で?」
「しょっちゅう足に切り傷を作るものだから、私はいつもこうして塗り薬を常備していました」
そう言うと、オレリアンは懐から小さな薬入れを取り出した。
「まぁ…」
自分が裸足で庭を駆け回っていたなんて俄かには信じられない話だが、彼が言うなら本当なのだろう。
侯爵様に手当てしていただいていたのかしら…?
そう思ったら何やら恥ずかしく、コンスタンスは両手を頬に当てた。
その時、オレリアンに足を差し出す自分の姿が微かに頭に浮かんで、コンスタンスは頭を押さえた。
何か映像が頭に流れてきて思い出せそうな気がするのに、それ以上はぼやけてしまってよく見えない。
「…ん…っ」
「コンスタンス嬢⁈頭が痛いのですか?」
「いえ…、大丈夫です…」
一瞬目眩がしたが、頭はあまり痛くない。
「無理をしないで。今日はもう戻りましょう」
「でも…」
コンスタンスはせっかく楽しく過ごしていた時間を終わらせてしまうことを残念に思った。
しかしオレリアンは頭を押さえたコンスタンスのことが心配で仕方がない。
支えてやりたいが不用意に彼女に触れて良いのかわからず、差し出そうとした手を彷徨わせた。
そんな彼を見て、コンスタンスはいっそう眉をひそめる。
「侯爵様…、お願いですから、私がこうして頭痛を起こしそうになっても、もう近寄らなくなるようなことはしないでくださいませ」
懇願するようなコンスタンスの目に、オレリアンは覚悟を決めるように頷く。
「…わかりました」
オレリアンは突然コンスタンスの背中と膝裏に腕を回すと、彼女を一気に抱き上げた。
「侯爵様…っ⁈」
「いいから。もう黙ってください」
オレリアンはコンスタンスを抱いたまま、スタスタと邸の方へ向かった。
「あ、あの…!」
戸惑うような声を上げても、オレリアンは前を向いたままで、彼女の体を放そうとしない。
コンスタンスはそっと、オレリアンの胸に頭を預けた。
目を閉じると、彼の体温と、胸の鼓動が伝わってくる。
あたたかいその胸の中を、コンスタンスはたしかに知っているような気がした。




