16歳、やりなおし②
「あの方、またいらしたの?」
コンスタンスは窓辺に置かれている一輪挿しを見て、そう呟いた。
ヒース侯爵オレリアンが、毎日仕事の帰りにルーデル公爵家に立ち寄り、コンスタンスに花を贈るのだ。
贈ると言っても直接渡すわけではなく、侍女や門番に手渡すだけ。
最初の数日は花束だったが、さすがに毎日花束では置き場所に困ると思ったのだろう、今は毎日一輪だけになった。
それでも、花は1日で枯れたりしないし、毎日違う花だから同じ花瓶に挿すとおかしな色合いになってしまう。
侍女のリアは新しい花のみを主人の部屋に飾り、前日までの花は別の部屋に移動したり侍女たちに下げ渡したりしていた。
今日は黄色の水仙だ。
黄色の水仙の花言葉は『私のもとへ帰ってきて』。
あの不器用そうな男が花言葉なんて考えているかは知らないが、リアは花を置いていく時の彼の切実な目を思い出して切なくなった。
結局、三日間の眠りから目覚めた翌日には、コンスタンスは父から現実を知らされた。
自分が王太子の婚約者で15歳だと思い込んでいるコンスタンスがいつも通り王宮に行こうとしていたからだ。
午前中はお妃教育があり、午後は王妃様とのお茶会、そして夜はフィリップ王太子と食事会だと言って支度を命じるコンスタンスに、侍女たちは困惑した。
だが、困惑していたのはコンスタンスもだった。
目覚めた時からたしかに違和感はあった。
最初に不思議に思ったのは、両親と兄、そして侍女たちが、眠る前より少し年上に見えること。
次に不思議に思ったのは、自分の手だ。
病的なほど細く青白かった手が、少しふっくらして、日に焼けているように見える。
自分の勘違いかとも思ったが、しかし、身支度を整えるため鏡の前に座ったコンスタンスは、やはりどうしようもない違和感を払拭することが出来なかった。
鏡に映る自分は、明らかに眠る前より成長していて、そして健康的に見えた。
コンスタンスはリアに詰め寄った。
自分は一体どうしてしまったのかと。
困ったリアはルーデル公爵に話し、結局、真実を伝えるに至ったのである。
両親、そして兄エリアスは、コンスタンスに丁寧に今までの経緯を説明した。
フィリップが表敬訪問の際に隣国の王女から一目惚れされ、縁談が持ち込まれたこと。
国内の貴族を二分して論争があったが、結局は王家は隣国の縁談を受け、ルーデル公爵家は身を引き婚約が解消されたこと。
その後王妃の斡旋で、コンスタンスはヒース侯爵オレリアンに嫁ぐことになったこと。
その後コンスタンスはヒース侯爵領へ、オレリアンは王都の侯爵邸に住み、1年近く別居状態が続いていたこと。
そこまで淡々と説明して、公爵は言葉を切った。
コンスタンスは青ざめ、涙をこぼし、母に支えられて座っているのがやっとなほど憔悴しきっていた。
「…今日は…、ここまででやめるか?」
しかしコンスタンスは首を横に振った。
「いえ…、私は大丈夫ですから、続けてください」
正直、俄かには信じられない話ばかりだった。
昨日まで愛を育んできたはずのフィリップと婚約を解消して、他の男に嫁いでいるなんて。
でも、父がこういう類の冗談を言うような人間ではないことも、コンスタンスはよく知っている。
ルーデル公爵も、この先の話をすることを少し躊躇っていた。
こうして説明するのは2回目。
前回は7歳だったからどこまで理解していたかはわからないが、それでも彼女は現実をすんなり受け止めていた。
だが今回のコンスタンスは、家族が心配していた通り、衝撃を受け、憔悴し、先程から嗚咽が止まらない。
娘を抱きしめる公爵夫人も震えている。
17歳で婚約解消されたあの時も、ここまでではなかった。
あの時は隣国から持ち込まれた縁談に貴族たちが意見を戦わせ、決定するまでに少し時間があった。
仕方がないと、王太子を諦めるための時間が、少しは用意されていたのだろう。
だが、今回は全く違う。
もうすでに婚約解消して、自分は人妻になっているというのだから。
昨日までフィリップしか見ていなかったコンスタンスにとって、到底受け入れられるものではない。
未来の王妃となって、一生フィリップに寄り添い、手を携えて、国の為に献身的に働いていこうと心に誓っていたのだから。
そして続いた父の話は、さらに酷く、衝撃的なものだった。
馬車と接触するという事故に遭ったコンスタンスは12年分の記憶を失い、7歳の幼女のようになってしまったと。
しかし夫オレリアンの存在をすんなり受け入れ、彼の希望で一緒にヒース領に行っていたと。
そして先日王都に戻り、ヒース侯爵邸で暮らしていたが、時々コンスタンスは頭痛を訴えるようになる。
そして…、3日前の王太子成婚パレードを見ていた時、突然倒れ、目が覚めたら今度は15歳までの記憶しかなかったと。
「そうですか。殿下は、ご成婚されたのですね」
コンスタンスは母にしがみつき、慟哭した。
その泣き叫ぶ声は、しばらく止むことがなかった。




