再び、王都へ⑮
翌朝になっても、コンスタンスは目覚めなかった。
あまり眠らせておくのも心配だと呼びかけたり体を揺すったりしたが、全く目を覚まさない。
仕方なくオレリアンは妻を義母に頼んでルーデル公爵邸から出勤し、夜はまた公爵邸に戻った。
王都に戻ってから時々頭痛はあったがいつもすぐに治るのに、こんなに眠り続けるのは初めてのことだ。
だが、医者も原因がわからないと言う。
とにかく心配で、夫、両親、兄、侍女と、代わる代わる付き添い続けた。
オレリアンはその翌日も公爵邸から出勤し、またその翌日は非番で、ずっとコンスタンスに付き添った。
「コニー、今日もいい天気だ。フィルが貴女と遊びたがっているよ?」
「街も落ち着いてきたから、起きたら買い物にでも出かけようね」
オレリアンは眠っている妻に、傍で優しく話しかける。
「リアに教わって、お下げを結えるようになったんだよ。ほら、貴女が気に入っているリボンだ」
そう言うとお下げ髪を持って、その先に口付ける。
お下げにはコンスタンスがオレリアンの瞳の色だから好きと言った青いリボンが結ばれている。
「コニー、早く起きてくれよ。貴女の笑顔が見れないと寂しいよ」
部屋に飲み物を運んで来たリアは、そんな主人夫妻を見て涙ぐんだ。
そうして眠り続けて3日後、オレリアンがコンスタンスの乾いた唇をハンカチで湿らせてやっていると、彼女の睫毛が微かに動いた。
「…コニー…?」
彼女の瞼が薄っすらと開く。
「コニー?気がついたか?」
コンスタンスは目を開くと、ボーっと天井を見上げた。
そして、ゆっくりと目の前の人物に視線を向ける。
「コニー!」
オレリアンは目覚めた妻の顔を見て胸がいっぱいになった。
「奥様!」
リアも主人のベッドに駆け寄る。
「コニー!ああ、良かった!」
しかしそんな夫の顔を見て、コンスタンスは怯えたように目を見開いた。
「……っ!」
起き上がろうとして、頭に手をやる。
「ああ、まだ起きてはダメだよ、コニー」
それでもコンスタンスが無理矢理起き上がろうとするのでオレリアンが手を貸してやろうとすると、彼女はその手をパシリと振り払った。
「…コニー…?」
「…貴方は…、たしか、近衛騎士の方ですよね?」
「…コニー?」
いつもとは明らかに違う妻の様子に、オレリアンは狼狽えた。
コンスタンスはゆっくりと部屋を見回す。
そして、足元の方に立っているリアに目を留めた。
「リア…、ここは、お母様のお部屋よね?何故この方はここにいるの?」
「…奥様?」
「コニー?まさか、俺がわからないのか?」
オレリアンがもう一度手を差し出すのを、コンスタンスは再び振り払った。
「女性に触れるなど、無礼ではありませんか 。だいたい何故眠っていた私の傍にいたのですか?まさか貴方、忍び込んできたの?何の為に?」
睨みつけるほどの強い視線を受け、オレリアンは呆然と目を見開いた。
まさか、コニーは…。
「…コニー…」
囁くような呟きを、コンスタンスは拾い上げた。
「どういうことですか?何故私を愛称で呼ぶの?私は貴方に愛称で呼ぶことを許した覚えはございません」
きっぱりと言い切るコンスタンスに、オレリアンは愕然とした。
もう、明らかだった。
明らかに3日前までのコンスタンスとは違う。
「あ…っ、旦那様に…」
やはり呆然としていたリアが弾かれたように部屋を出て行こうとしたが、オレリアンは「俺が、」と言ってリアを引き止めた。
今部屋に自分と2人きりになってしまったら、コンスタンスは余計に怯えるだろうと思ったのだ。
部屋を出たオレリアンは、扉の前に控えていた使用人に公爵夫妻を呼ぶよう伝えた。
そして、そのまま廊下の壁に背中をつけ、ズルズルとしゃがみこんだ。
眠り続ける妻が目覚めた時、もしかしたら記憶を取り戻しているかもしれないと覚悟はしていた。
1年もの白い結婚と、冷たい夫の仕打ちを思い出すかもしれないと。
だが今目覚めたコンスタンスは、オレリアンが夫であった事実さえ否定しているようだった。
見覚えはあるようだったが、夫と認識していなかったのだ。
(俺を…、近衛騎士と言っていた…?)
それほどまでに、否定したい存在だったのだろうか。
オレリアンが部屋を出て行きリアと2人になったコンスタンスは、ホッとしたように息をついた。
「どういうことなの?リア。説明して」
コンスタンスにたずねられたリアは、ぽろぽろと涙をこぼした。
嬉しい涙なのか、驚きの涙なのか、自分でもよくわからない。
丸三日間眠り続けていた主人が目を覚ましたのは本当に嬉しいが、眠る前の主人とはあまりに違いすぎていて戸惑ってしまう。
記憶を取り戻したのかとも思ったが、それには違和感がある。
目覚めたコンスタンスは、愛おしいはずの夫を近衛騎士と呼んだのだから。
だが、不審な男(=オレリアン)が部屋の中にいると認識しても、彼女は大声を出すわけでも、取り乱すわけでもなかった。
それは半年前まで常にリアが見ていた、いつだって毅然として冷静沈着な公爵令嬢の姿だった。
「奥さ…、お嬢様…、お嬢様は昨日、どうされていましたか?」
リアにたずねられ、コンスタンスは訝しげに首を傾げた。
「どうしてそんなことを聞くの?昨日は殿下とご一緒に舞踏会に参加したわ」
リアの手が、唇が震える。
「ではお嬢様は今…、おいくつになられましたか?」
「おかしなことを聞くのね。私は15歳でしょう?もう少しで16歳になるわ」
リアはもう、流れる涙を止めることが出来なかった。
部屋を出て行くオレリアンの後ろ姿が目に焼き付いて離れなかったのだ。




