回想、オレリアン⑭
王都へ向かう馬車の中では、お互いほとんど無言だった。
『セリーヌの手紙』はコンスタンスの俺への元々ゼロに等しかった信頼を打ち砕き、マイナスにまで引き下げた。
なんとか当たり障りのない会話くらいと思ったが、俺は妻であるこの女性と何を話したらいいのかさえ検討がつかない。
俺は、彼女が20通近く俺に書き送ってくれたという手紙を1通しか目にしていないため、話題さえ浮かばなかったのだ。
それに、下手に話題を振れば、手紙が届いていなかったことまで暴露しなくてはならない。
情け無い俺は、ここに至ってまで、義母に翻弄される自分をこれ以上曝け出したくはなかったのだ。
せめて彼女からのプレゼントの手袋をはめて見せたかったが、もう春を感じる季節に冬用の皮の手袋はそぐわない。
相変わらず彼女は背筋をシャンと伸ばし、姿勢よく、窓の外を眺めている。
だが王都に入ると心なしかその横顔が緊張しているのを、俺は感じ取っていた。
ヒース侯爵邸が見えて来て、馬車が邸の門の前で停車した。
普通なら門を開けさせそのまま邸内に入るのに、馬車は停車したままだ。
訝しく思った俺は、窓から顔を出して
「どうした?」
と御者にたずねた。
「旦那様、それが…」
その時、
「オレリアン!」
と叫ぶ女性の声が聞こえた。
呼ばれた方を向くと、馬車の窓の下へ、女性が走り寄ってくる。
…セリーヌだった。
セリーヌは窓の側まで来て、
「オレリアン!待っていたわ!」
と俺の方へ両手を伸ばした。
なんということだろう。
何故、別れたはずの元恋人が俺に駆け寄ってくるのだろう。
万が一セリーヌが俺をたずねて来ても、マテオは門前払いするはずだ。
だから彼女は、門の前で俺を待っていたとでも言うのだろうか。
俺はコンスタンスを振り返った。
彼女は今までになく無表情に俺を見ている。
「どうして⁈どうして何度手紙を出しても返事をくれないの⁈」
窓の下でセリーヌが喚いているが、ここは往来もあり、放置するわけにもいかない。
俺は馬車を降り、セリーヌに向き直った。
「何をしてるんだ、ノントン子爵夫人」
俺の冷たい言い方に、セリーヌが僅かに怯む。
だがすぐに思い直したように俺との間を詰めると、
「私、あなたに手紙を書いたの!でもきっと邪魔されてあなたに届いていなかったのでしょう?」
と言い放った。
なるほど。
俺が彼女に返事をしなかったのは、俺に手紙が届いていなかったせいだと言うのか。
たしかに義母のせいで手紙は届いていなかったが、たとえ目にしていたところで、俺は無視していたことだろう。
「それで、何をしに来たんだ?」
「だから!直接会いに来たのよ!私やっぱりあなたを忘れられない!あなただってそうでしょう?」
「君はバカか?私はもう結婚している」
「それは、政略結婚でしょう?可哀想なオレリアン。私と別れて、結婚なんてどうでもよくなってしまったのでしょう?」
俺は、絶句した。
あまりにも驚き過ぎると、人は、思考が停止するらしい。
俺がかつて愛した女性は、ここまで愚かで自分勝手な女だったのか。
「人伝に、あなたが不幸な結婚生活を送っていると聞いたわ。私も同じ。あなたとの思い出が美し過ぎて、夫になんて、触れられるのも嫌なの。私たちきっと、間違えてしまったんだわ。ねぇ、お願い、オレリアン。私たち、やり直しましょう!」
思わず絶句してセリーヌに語らせてしまったが、これ以上彼女の気持ち悪いバカ話を聞くわけにはいかない。
「何馬鹿なことを言ってるんだ。すぐにここを立ち去れ。これ以上君の話を聞く気はない」
俺はそう言い捨て、セリーヌに背を向けた。
しかし、馬車に戻ろうとする俺の腕をセリーヌが掴む。
「待ってオレリアン。私の話を聞いて!」
「無駄だ」
俺は彼女の手を振り払う。
「オレリアン!」
しかし馬車に乗ろうとして、俺は足を止めた。
コンスタンスが馬車を降り、タラップの下に立っていたのだ。
「コンスタンス…」
俺がバツが悪そうに名を呼ぶと、彼女は困ったように微笑んだ。
「旦那様、ここは目立ちます。中に入ってお話を伺ってはいかがですか?」
「いや、その必要はない」
俺はコンスタンスを促して馬車に戻ろうとした。
セリーヌと話すことなど、本当に何も無いのだ。
だが、コンスタンスを目にしたセリーヌは今度は彼女の方に向かって叫んだ。
「あなたが無理矢理彼を夫にした女ね?オレリアンを返して!あなたはいらないでしょう?」
コンスタンスに掴みかからんばかりに向かおうとするセリーヌに、俺は迷うことなく、コンスタンスを庇うように立ち塞がった。
「俺の妻に近寄るな!!もう君と話すことは本当に何も無いんだ!迷惑だ!!二度と俺たちの前に現れないでくれ!」
コンスタンスにまで理不尽で意味不明な言葉を吐くセリーヌに、俺はかなり強い口調で拒絶の姿勢を示した。
本当に、心の底からもう関わりたくないという態度で。
俺が守るべき女性は、この昔の恋人などではなく、妻なのだから。
かつて俺に拒絶などされたことがなかったセリーヌは、ここに及んでやっと俺の本気を理解したらしい。
突然大粒の涙をボロボロッとこぼすと、
「酷い!!」
と一言叫んで俺たちに背を向けた。
やっとわかってくれたかとホッとしてコンスタンスに向き直った瞬間、彼女が目を見開いた。
「待って!危ない!」
コンスタンスはそう叫ぶと、俺の横をすり抜けた。
……………え?!
本当に一瞬だった。
俺の目がすり抜けて行くコンスタンスの残像を追って振り返った瞬間、彼女がセリーヌを突き飛ばすのが見えた。
そこへ、通りを走る馬車が突っ込んで来る。
「コンスタンス!!」
ガッ!!!
馬車に跳ね飛ばされたコンスタンスの体が宙を舞う。
「コンスタンスーーッ!!!」
一瞬、コンスタンスと目が合ったような気がした。




