ある日、目が覚めたら②
数分前ー。
妻の様子を見ようと彼女の寝室の前に立ったヒース侯爵オレリアンは、扉の前で躊躇っていた。
彼の妻コンスタンスは事故で頭に怪我を負い、3日間眠り続けている。
目を覚まさない妻が心配で、彼自身眠れない日々が続いていた。
しかしいざ彼女が目を覚ました時は、自分に審判が下る時だと覚悟を決めなければ。
今回コンスタンスがこんな目に遭っているのは、全てオレリアンのせいであるのだから。
(誠心誠意謝罪して、最初からやり直したいと乞おう。それでも彼女が否と言うなら…、私は…)
オレリアンはため息をつくとなんとか気持ちを整え、扉をノックしようと右手を挙げた。
すると、部屋の中から侍女の声が漏れ聞こえてくる。
そのまま中の様子をうかがっていると、耳が『奥様』という単語を拾う。
(コンスタンスが目覚めたのか⁈)
オレリアンは思い切り扉を開け、部屋に足を踏み入れた。
見れば、眠り続けていた妻コンスタンスがベッドの上に上半身を起こし、侍女リアが気遣うように寄り添っている。
「コンスタンス!」
オレリアンは妻に走り寄った。
その瞬間は、これからの混乱など頭から吹き飛んでいた。
妻が無事に目を覚ました。
その喜びだけで、胸がいっぱいだったのだ。
だが、妻の反応は想像していた通りのものだった。
近づいてきた夫を、コンスタンスはまるで見知らぬ者を見るような怯えた目で見上げた。
そして、思わず触れようと伸ばした夫の手を避け、震え始めた。
しゃくりあげる主人を、侍女リアが抱きしめる。
とうとう声を上げて泣き始めた妻に、オレリアンは混乱した。
彼は、こんなに取り乱す妻を見たことがない。
公爵令嬢でかつて何年もの間お妃教育を受けたコンスタンスは、この国最高クラスの淑女である。
見目麗しく、知性も所作も一級品なのだ。
美しく流れるような銀髪に、透き通るような白い肌。
そして、エメラルドのように輝く翠眼。
お妃教育で身につけた所作は美しく、その唇から紡がれる言葉には彼女の知性と気品を感じさせた。
話す時は口角を微かに上げ、その美しい微笑は相手の心を完全に捉える。
だが…、その彼女の微笑は、顔に貼り付けたようだ、とオレリアンはずっと思っていた。
夫である彼は、彼女が心から笑うのも、泣き叫ぶのも、見たことがない。
だから今、彼の前で声を上げて泣く彼女に心底驚いている。
いつもの貴婦人としての冷静さを失ってしまうほど…、それほど今は、夫に怯え、嫌悪しているのだろう、とオレリアンは思った。
でも、仕方がない。
彼女をそこまで追い込んだのは、全て夫である自分のせいなのだから。
妻の部屋を出ると、オレリアンは扉の前に控えていた執事のマテオに医師を呼ぶよう指示した。
そして、彼女の両親であるルーデル公爵夫妻に使いをやるようにも伝える。
娘が目を覚ましたと聞いたら、公爵夫妻はすぐに飛んできて彼女を連れ帰ることだろう。
事故が起きた時にすぐに連れ帰ると言った公爵に、「頭を打っているから動かすのは危ない。せめて目覚めてから」と言って拒んだのは自分だ。
娘に付き添うと言う公爵夫人に「目覚めたらすぐ連絡するからここは任せて欲しい」と言ったのも自分。
「信用出来ない」と罵る夫妻に、頭を下げ、なんとか帰ってもらったのだ。
それにコンスタンスだって、もうここには居たくないだろう。
オレリアンは扉に背を預け、俯いた。
扉の向こうからは、未だに泣き続ける妻の嗚咽が聞こえる。
その泣き声は、まるで子供のように聞こえた。
(あんな風に、泣く人だったのだな…)
オレリアンは何か覚悟するように顔を上げ、妻の部屋から遠去かって行った。