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花粉症令嬢シリーズ

花粉症令嬢は運命の香りに気付けない。

作者: 藤 都斗

 


 キャロル・リンドブルムという令嬢を一言で表すならば、深窓の令嬢、寂寞(せきはく)な美少女、といったどこか儚げな印象が周囲の人々の共通認識である。

 抱き締めれば折れてしまいそうなほど細い腰に、風が吹くだけで小さく震える肩。

 話しかければ、すぐにその大きな目をうるませて、怯えたようにどこかへ行ってしまう。

 平均よりも小さな身長だからか、まるで小動物のような可愛らしい印象の、その少女は。


「っくしぇい! っぶしゅん! っびしゃい! うぇぇい……鼻水でた……」


 重度の花粉症であった。


「ううう……どうして……なにこの地獄……」


 周囲に誰もいないことを確認してから、ずびーっと盛大に鼻をかむ。

 毎日が春なこの国では、花や草木が無い日など存在しない。

 つまり、彼女にとっては毎日が花粉との戦いなのである。


 淑女として、人前で鼻をかんだり、くしゃみをすることは許されない。

 にも関わらず、この世界の人々は花や草木と常に生活を共にしている。

 それは、『香り』というものがとても大事だからこそ、『それ』をいつでも感じられるようにと、欠かさず鍛えているのも理由のひとつだ。


 この世界に産まれた者には、固有の『香り』というものが存在している。


 お互いが好ましいと感じる『香り』であればあるほど、相性が良いとされて来た。

 つまり、『香り』によって人生の伴侶を見付けているのだ。


 どれだけ顔や家柄、世間一般的に香りが良くとも、どちらかが少しでも『嫌な香り』と感じてしまえば一発アウトである。


 キャロルとて年頃の淑女。外見だってプラチナブロンドの超絶美少女に産まれることが出来た。ゆえに素敵な恋愛を夢見ない訳では無い。だがしかし、彼女は重度の花粉症である。


「……いや……『香り』なんていっこも分からんて……」


 毎日が鼻水鼻詰まり目の痒みでなんも分からないのが現実であった。


 それでも貴族家に生まれてしまったものは仕方ない。14になればその辺の貴族の子女達同様に、学園へと通わなければならなかった。

 それは、伴侶を見付けるのも大きな目標でもあるが、他にも将来へ向けて人脈を築いたりする為でもある。

 

 しかし、彼女の両親はもう既に諦めていた。兄も居るし、家柄もそこまで悪くない子爵家である。

 最近では、もーええわ、どうにでもなれー、が彼女の口癖になってきた。


 とことこと歩くだけで花粉が舞うこの国で、彼女は毎日を必死に生きていた。

 潤んだ瞳は目の痒みと戦っている最中な証であり、風が吹くと震える肩は寒さによるものではなく、花粉をこれ以上吸い込まないようにする為に息を止めているだけ。

 そして、対人恐怖症などは一切無く、ただ、目の前の人物の服に付いた花粉を避ける為に、人と関わらないようにしているだけだ。


 滝のように流れ出てくる鼻水を止める為に、ただそれだけの機能の魔道具を常に持ち歩いているが、目の痒みだけはどうしようもなく、彼女には自家製の目薬が必須だった。鼻水が止まればくしゃみも最小限に抑えられるので(ちなみに鼻水は鼻から出ないようにされているだけなので喉の奥には普通に垂れてくるし、くしゃみすると普通に鼻から垂れたりもする)それなりに一石二鳥ではあるのだが、如何せん匂いは何も分からないのが現実だった。


 しかし、そんな毎日を送っている彼女は、知らない内に噂が噂を呼び、最終的に『鈴蘭の君』とかいう痒くて掻きむしりたくなりそうな呼び名を付けられるに至ったのである。


 そんな彼女だが、神は彼女を見放していなかった。


 早い話が彼女は現代日本の転生者である。

 そして、もれなくその転生前の彼女も重度の花粉症であった。


 名前や生い立ちは殆ど忘れてしまったが、花粉症を少しでも軽くする為に必要な知識だけは忘れていなかった。


「ふぐぅ……薬を開発してなかったらもっと酷いことになってる所だよ……」


 幸か不幸か、まあ不幸っちゃ不幸かもしれないが、植物は地球とほぼ相違無かった。

 だからこそ漢方や家庭医学程度の知識が役に立ったのである。

 彼女の知識で家計も潤った。ついでに彼女のアレルギーもそれなりに普通に生活出来るくらいまでには良くなった。だがそれでも鼻水と目の痒みを止めることは出来ず、それらだけは魔道具と目薬頼りであるのだが。


「でもやっぱ、化学医療ほどの効き目は無いんよなぁ……はーマジで地獄……セレスタミン様が恋しい……」

 

 誰も居ない裏庭で、彼女は独りごちながら目薬を差したのだった。







「キャロルさん! いい加減に、殿下を解放してあげてください!」

「……ふぇ?」


 突然のことに変な声が出た。

 殿下って誰ぞ?


「あなたのその言動で、どれだけの人が迷惑してると思ってるんですか!」

「…………」


 えーっと、なんだ? だれこの人。あかん長く目を開けられへんからなんも分からん。


「だんまりですか……!? 本当に自分勝手な人……!」


 そんなに荒ぶらないで欲しい花粉飛ぶから。落ち着いてくれ頼む。あっなんか目ぇ痒くなってきた。


「……っ……」


 やっべ、くしゃみ出そう。我慢我慢。


「そうやってすぐに泣いて誤魔化そうたってそうは行きませんから!」

「……あの……」


 落ち着きたまえー! さぞかし名のあるご令嬢とお見受け致すー! 何故そのように荒ぶるのかー! 落ち着きたまえー! 花粉飛び散っちゃうからー!!


「なんですか!? 罪を認める気になったんですか!?」

「あなた、だれ、です?」

「っ……相手が元平民なら、名前なんて覚えなくてもいいと……!? なんて人なの……!!」

「…………え?」


 え、何言ってんだこいつ。真面目に意味わからんけど、何が言いたいん?


「聞きましたか皆さん! この人は、キャロル・リンドブルムさんは平民だからって差別する、平民差別主義者です!」

「……えっと……」


 なんでそんな同じようなこと二回言うん? 一回で良くね?


「こんな人、殿下にも学園にも相応しくないわ!」

「…………」


 ええー、何の話これー?

 なにがどうなってこうなったんー? やだー。


「おい、大丈夫かアレ」

「またか……鈴蘭の君も可哀想に……」


 遠くから男子の声が聞こえた。え、またってことは似たようなこと他の人にもしてるん?

 あと鈴蘭てなぁに?


「どうしてこんな人が……! 私だって頑張ってるのに……!」

「はぁ、そうですか……」


 頑張る方向性間違ってるんじゃね?


「なんの騒ぎだ」

「春の殿下!」


 あぁもう誰よ今度は。あ待って鼻水出そう。やばい。


「……鈴蘭の君か。いったいこれは何事だ?」


 まって鈴蘭てワシのこと?

 あかんちょっとまって鼻水、鼻水でちゃう。魔道具仕事してるよね!? たまに心配になるんだけど!? とりあえず上向いとこう。

 いやまって誰かにめっちゃ見下ろされてるけどなんも見えん!

 かっゆ!!! だれ花粉まみれの人! こっちくんな!


「っ……! 泣いていては分からないだろう。なにがあった?」

「春の殿下! 涙に誤魔化されてはいけません! その女はそうやって殿方に取り入っているんです!」


 あー! くしゃみ出そう! あかん!

 ここでくしゃみしたら鼻水も止まらんくなる! 頑張れー! ワシ頑張れー! ふぁいとー!


「……はぁ、マチルダ。どうしてそう貴族の人間を目の敵にするんだ」

「春の殿下……、お言葉ですが、この女は言うに事欠いて、私を誰だと問うたのです! 私の事を下に見ていなければ、そんな言葉出てこないはずです!」


 いや知らんがな。大体ワシ花粉のせいでいつも殆ど見えてないからね。

 頭はボーッとするし常に視界ボヤけてて人の判別はでけんし、黒板の文字すらも見えとらんもん。声でしか分からんのにどうしろと言うのか。

 これだから人と関わりたぁ無いんよ。めんどくさいよぅ。だれかたすけてー!


「だいたい、この涙だって偽物です! 私、知ってるんですから! この女が、いつも目薬を差しているって!」

「それは、本当か?」

「本当です! 証拠は、ほら! あった!」


 ズボッと制服のポケットに手を突っ込まれて、何かを高らかに掲げる誰かの姿がぼんやりと見える。

 え、なに、何取られたのワシ。


「………………あっ」


 ポケットに手を入れて、目薬が無いことに気付いて、血の気が下がった。


「本当に出てきた……、え……じゃあ本当に……?」

「まって、返して……!」


 そろそろ目薬差さないと目が死ぬのになんで持ってっちゃうの!? つかなんで人のポッケ簡単に手ぇ突っ込んでんの!? なにしてんの!? いくら同性でも普通しねーぞそんなん!!


「なに? 無くなったらどうなるっていうの。男を騙せないって? 自業自得でしょ」


 なんか言い始めたぽいけどそれどころじゃない。じわりじわりと、花粉が猛威を奮ってきた。うわあああああああ!!!


「あ、ぁああああぁぁぁ……! 目が、目がぁぁぁ……!」

「えっ」


 ボロボロと涙が溢れていくのに、痒みは全く軽くならない。ただただかゆい。


「ふん、何よ目薬くらいで大袈裟な……」

「いやっ……、あ、あああああああああぁぁぁ!!」


 かゆ!!!! かっっっっっゆ!!!!! 無理死ぬかゆい!!

 うわあああああああああああかゆいいいいいいい!!!

 あばばばば死ぬうううううう!!!

 目が死ぬううううううう!!!

 眼球取り出して洗いてぇええええええ!!!!

 ああああああああああああああああああああ!!!


「そういえば聞いた事があるぞ、彼女は小さい頃に大病を患って、視力を失いかけたって」

「それじゃあ、目薬はその治療薬……?」


 うええええええん!!

 かゆいかゆいかゆいかゆい!!!か、かかかかかかゆ!!

 あかん頭バグって来たかゆい!!


 その場でゴロンゴロン転がりたい欲求を無理矢理におさえながらうずくまる。

 痒いのに搔けないからか手がぶるぶる震えた。かゆい。マジかゆい。なんかもう顔面がかゆい。人前だからくしゃみも鼻水すするのすらも我慢してるのになにこの苦行。つらい。さすがにしんどい。つらい。


「ねぇ、このままじゃ、彼女、失明するんじゃ……?」

「え、じゃあヤバくね……?」

「おい、マチルダ! 目薬返してやれよ!」

「い、いやよ! 私は悪くないもの!」

「マチルダ、早く返してやりなさい! このままでは彼女の目が……!」

「冬の殿下まで……!」


 ふあああああああ!!!

 かゆううううううううい!!!

 ああああああああもおおおおおおこうなるからヤなんだよ花粉症はああああ!!!

 クソがああああああああ!!!


「なんなのよ、この程度で視力がどうにかなる訳……!」

「彼女の家は薬学で有名なんです! それは彼女の病を治すために家族が必死に研究した成果だ! その彼女の持つ目薬が特別じゃない訳がない!」

「そうだよ! ちょっと考えれば分かるだろ!」

「皆、だまされてるのよ! こんなもの……っ!」

「あっ!」


 なんかわちゃわちゃしてるとこ悪いけど目薬はよ返してくれんかなぁ!?


「…………マチルダ、これは流石に看過できない」

「秋の殿下……! どうして……!」


 ふと、誰かに支えられた。不思議と少しだけ目のかゆみが治まり、鼻水も少し、マシになった。なにこれ、奇跡?


「キャロル・リンドブルム子爵令嬢、これを」

「え、あ……、どこ……? だれ……?」


 なにがなんだか分からないけど、手に何かを持たされた。この手に慣れ親しんだ感触。目薬だ!!!!


「間に合ってくれ……!」

「あ……あぁ……」


 ぶるぶる震える手で必死に目薬を差す。何滴か外したけど、ぴちゃんと一滴ずつ目に入り、じわりと痒みが引いていく。ハーブの有効成分がスーッとして、めちゃくちゃ気持ちいい。

 ふわああああ……、目薬気持ちええ……。


「大丈夫か? 指は何本に見える?」

「あ、えっと……さん、ほん?」


 そうやって指を見せられたんだけど、そんだけ近きゃ全然普通に見えるんですよね。なにこの金髪碧眼の無駄に顔面が良い人!? だれ!?


「良かった……」


 ホッとした様子で破顔する顔面が良過ぎる人。

 いやなにが!? まって全然わからん!! なにが起きたの!? なんかめっちゃいい匂いする気がする! 鼻水で全然分からんけど!!


「……あぁ、やはりこの香りは……」

「……はぇ?」


 なんて?


「いや、なんでもない」


 そう言って、すっと立ち上がった顔面の良い人だが、おかげでその良過ぎる顔面はよく見えなくなった。あー、あんまり目ぇ開けてたらまた痒くなるから閉じとこ。


「……マチルダ、この件は生徒会役員としての責任を問わせてもらう」

「そんな……!」


 なんか言ってるけど、ワシそろそろ帰ってええかな? めっちゃ鼻かみたい。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 その令嬢を見付けることが出来たのは、本当に偶然だった。

 ただ廊下ですれ違っただけ。


 ふわりと、嗅いだことのないほどの心地いい香りを感じて、思わず振り返った。


「今のは……?」

「殿下、どうされたんです?」


 側近のカインが不思議そうに問いかけて来たが、それどころじゃない。


「今、すれ違ったのは……」

「今ですか? ……あぁ、鈴蘭の君ですね」

「鈴蘭の君……?」


 とことこ、と小さな影が歩いて行くのを視線で追う。すると、カインはなんでもない事のように説明してくれた。


「ご存知無いです? 有名ですよ? キャロル・リンドブルム子爵令嬢です」

「有名、なのか?」


 学園の生徒の名前ならば完璧に覚えているが、彼女が有名だということは知らなかった。彼女とはクラスも違う事もあり、殆ど見かけないからこそ、仕方ないといえた。


「はい。病弱で、小さくて儚げで、騎士科の生徒から『守ってあげたい』と絶大な人気を誇ってますね」

「ふむ……、誰かと婚約などは……」

「それはしてないみたいですね。病弱だから、ってのが理由みたいです」

「……そうか……しかし、鈴蘭とは……」


「そう、その鈴蘭ってのが儚げで、ほんと彼女にピッタリですよねぇ〜」

「……そう、だな」


 しみじみと頷くカインに、ただそれだけを答えた。


 ……鈴蘭の根には毒がある。それはつまり、彼女には病弱という欠点があるという示唆なのだろう。皮肉なのだろうが、それ以上にその呼び名は彼女の香りに似合っていた。

 薔薇のような華やか過ぎる香りでもなく、百合のように甘ったるくもない、爽やかで清涼感のある、なんとも言い難い、なぜだかとてもちょうどいいと感じる甘さの香りだった。


「殿下、本当にどうされたんです?」

「あぁ、気にするな。俺の運命を見付けただけだ」


 誰にも感じたことの無い、甘やかで涼し気な、いつまでも嗅いでいたいと思ってしまうほどの香り。彼女はきっと、俺にとっての運命なのだろう。


「いやいやいや気にしますよ! 運命って、次期王妃じゃないですか!」

「……そのつもりはない」

「はあ!?」

「……彼女はそれに耐えられないだろうからな……」

「……殿下……」


 だからこそ、潔く諦めよう。それで、彼女が少しでも健やかに生きられるのだから。


 そう考えた俺は、彼女を陰ながら支えた。

 頭の悪いナンパ男が彼女に近寄ればすかさず撃退し、彼女が転倒しそうになればすぐさま手を貸して姿を消した。

 病弱な彼女の負担にならないように、学園の行事は彼女でも楽しめるようなものになるようにと心を砕いた。


 この学園には、春、夏、秋、冬の国の王子がそれぞれ入学し、生徒会役員として日々を送っている。

 そして秋の国ルピフィーン、秋の王子こと、セレスタイン・ポラ・ルピフィーン。それが俺だ。だからこそ、彼女には少しの迷惑すらもかけたくなかった。


 何があったのか、鼻をすすって泣く彼女を遠目から見たりもしていた。

 風に乗って聞こえた声は小さく、そして儚かったが、その時確かにそれは俺の耳へ届いた。


『セレスタ…ン様、恋しい』と。


 彼女も、俺が運命だとどこかで知ってしまったのだろう。そして、己の病弱さに、身を引く覚悟決めたのだ。


 すぐに駆け寄って抱き締めたかった。だが、それは出来なかった。彼女の決意を無駄にしてしまう行為はしたくなかったからだ。


 なんという悲劇だろう。こんな脚本、演劇ではありきたり過ぎてすぐにボツにされてしまいそうだ。


 そんなふうに日々を鬱々と過ごしていたとある日、元平民の少女が貴族の養子、男爵令嬢として編入してくることになった。

 春の国にある学園だからか、春の国の王子がサポートとして常にその少女と行動を共にしているようだった。


 それもあってか、その少女と各国の王子達の交流は自然と多くなった。俺を除く三人の王子達はその少女が気に入ったらしく、あっという間に親しくなり、その男爵令嬢は生徒会役員となった。

 ……職権乱用としか言いようがなかった。


 それでも俺は、話したこともない、すれ違っただけの彼女のことをずっと気にかけていた。しかし、それがこんな大事件を巻き起こすなどと、一体誰が予想出来ただろうか。


 こともあろうにあの男爵令嬢は、言い掛かりをつけ、彼女の必需品である目薬を強奪したのだ。


 余程恐ろしく感じたのか、彼女は小さく震えながら大粒の涙を零していた。

 何も見えなくなってしまう恐怖と戦い、それでも理不尽に奪われた目薬を手探りで探す彼女の姿は痛々しくて。

 この所業はいくらこの国の王子に目を掛けられているからといっても容認出来るようなものでは無く、怒りで頭の中が真っ白になった。


 本来であれば、俺は彼女に触れてはいけない。だがしかし、気付いた時には王子達の間から飛び出て、そのままマチルダから目薬を奪い、彼女へ駆け寄っていた。


 想像していたよりも小さな体躯を支えながら目薬を手渡す。その時、彼女と、交わってはいけないはずの俺の視線が、ばちりと合ってしまった。


 ふわりと香る彼女の甘やかな香りに、彼女以外何も見えなくなってしまう。


「……あぁ、やはりこの香りは……」


 閉じ込めて、誰にも触らせたくない。自分だけのものにしたい。

 大事に大事に、奥深くに。


 その衝動を表に出さないように、必死に止めた。


「……はぇ?」

「いや、なんでもない」


 俺を見て、頬を赤らめながらもどこか不思議そうに微笑んだ愛しい彼女を見て、あぁ、もう無理だ。そう思った。





 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





 その後、なんでか知らんが秋の国の王子からキャロルへの婚約打診が届いたリンドブルム子爵家は大騒ぎになった。

 お前一体何したん!? と父や兄に聞かれたキャロルさえも意味不明過ぎて、首を90°に傾けてしまうほどであった。


「王子からいい匂いしたか?」

「めっちゃいい匂いはしてたと思うよ! 知らんけど!」

「知らんのか」


 兄の問いに、キャロルはそんな感じで答えていた。



 そしてこれは、誰も知らないこの世界の秘密。


 “伴侶”とは魂レベルで引き合うもの。


 つまり、花粉症だろうと関係なく『いい匂い』だと感じればもうそれはその相手が運命なのだ。

 なお、その運命の相手と一緒であれば、花粉症の症状は出なくなったりもするのだが、それは神くらいしか知り得ない事象だった。


 ちなみに元平民のあの少女も現代日本の転生者である。だが、何を勘違いしたのか、自分がどこかのゲームのヒロインだと思い込んで色々やらかしてしまったので、自宅謹慎、後に修道院送りが決定してしまっている。お疲れ様でした。


 そんなことなど露知らず、キャロルはズビズビと鼻をすすりながら首を傾げる。

 首を傾げ過ぎて腰まで横に曲げ始めたキャロルを見て、父も兄も母ですらも苦笑した。


 この世界での婚約は、相手を運命だと見定めた時以外はありえない。

 家族全員で首を傾げながら、父は、まぁ、いい匂いしてたっぽいんだから大丈夫だろう、と楽観的に考え、了承の返事をしたため始めたのだった。


「あっ! ねぇ、まって、秋の国ってブタクサの花粉まみれじゃね!?」

「……まぁ、そうだろうなぁ」

「ええええええ!!! やだあああああああああ!!」

「頑張れキャロル。王族からの婚約なんてうちみたいな子爵家じゃ断れん」

「やだああああああああああああ!!なんとかしてよおとうさまぁあああああ!!」

「無理無理。それより花嫁修業せんと」

「やだああああああああああああ花粉やだああああああ!!!!」


 呑気に笑う父の前で、キャロルは遠慮なくジタバタした。花粉も埃も舞い散る中、ただキャロルは嘆いていた。

 がんばれ、花粉症令嬢。君の未来は明るいぞ!


「うわあああああああん!! 神てめぇこのやろうぜってぇおまえワシのこと嫌いだろクソがよおおおおおお!!!!」


 大音量で叫ぶキャロルの声が響き渡る中、ぐっと親指を立てながらドヤ顔をキメる、名も無き神の幻影が見えた気がした兄だった。






 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 唐突のアシタカネタに吹き出しちゃいましたw 元平民少女はまさしくたたり神(◡ω◡) 楽しく読ませていただきました。
[良い点] これは笑笑笑面白すぎる笑笑笑 薬と王子の名前も天才すぎる!!! 一人称ワシも関西弁もよくない笑笑それは笑わざるを得ない笑笑 続編も時間があるときに読みます!!!
[一言] あかんwめっちゃおもろいww 関西弁が地元のに似ててシンクロしてまうwww こんなん読んだら自分の花粉症が軽く思えますわ。
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