第二話
リリとミロンが初めて知りあったのは、一年ほど前のことである。
とくべつ素晴らしい出逢いだったとはいいがたいだろう。ミロンは仕事でリリの森の庵を訪ね、彼女の薬を求めたのだった。
そのときは、綺麗な顔をしているけれど不愛想な若者だなあと思っただけだった。それが、いったいいつから深くかれのことを想うようになっていたのだろう。
恋の女神の息吹は日頃は冷静な魔女をも逃がさない。気づいたときには、リリは始終、かれのことばかり考えるようになっていた。
しかし、まさかかれのほうは自分のことなど何とも思っていないだろうと考えていたのだ。いままでは。
だが、さすがにミロンのあの態度はいくら恋愛ごとにうといリリでもはっきりわかった。
あるいは、かれもまた、自分のことを想ってくれていたのかもしれない。そんな希望が生まれた。生まれてしまった。ただ、ひとりでかれのことを漠然と考えるだけで十分にしあわせだったのに。
数日後、リリは庵でひとり、ため息を吐き出した。
「はあ、わたし、バカになっています」
かつて、王国の聖騎士たちは魔女の敵そのものだった。かれらは何かと魔女を目の仇にし、その活動すべてを禁止して、ときにいのちを奪いさえした。
それから数百年という長い時が過ぎ去って、両者の関係は改善し、ときにたがいの力を必要としあうようにまでなりはしたが、本来、宿敵の間柄であることは変わりない。
それなのに、ミロンは何かとリリのことを庇い、守ろうとしてくれた。ありがたいとは思っていた。いつも気安く話ができるかれを頼りにしてもいた。
だが、まさか〈災厄の元凶〉とまで忌まれる自分を少しでも愛しいと想ってくれていたとは。
望外というしかなかった。ただ、いまでも何かがまちがえているのではないかという不安は消えない。
自分のような、背もちいさければ子供っぽい体形でしかない娘が、みなの人気者の美貌の騎士に好かれるなど、やはり何かがおかしいとしか思えないのだ。
とはいえ、ミロンにはリリをだまして得るものはない。いったい何がどうなっているのかまったくわからなかった。
「好き、ですよ? ミロンさま」
いつもこの庵でひとりで過ごしているリリにはひとり言を呟く癖がある。このときも、自分でいって、自分で照れた。
かれを慕っていることはもちろん自覚してはいたが、言葉にするといっそう可笑しなことであるように思われてきた。
森の庵に住む嫌われ者の黒猫魔女がだれからも好かれる聖騎士に恋を? ばかばかしい。叶うはずがないではないか。
それなのに、夢を見てしまった。望みを抱いてしまった。そんなことをすれば、かえって傷つくだけなのに……。
と。
三度ほど強く扉をノックする音がした。
「リリ、いるか。ミロンだ。開けてくれ」
「は、はい!」
リリはあわてて跳ね起き、扉をひらいた。そこに、彼女のたったひとりの想い人が佇んでいた。
不思議なことに、何だかキラキラと輝いて見える。いままでは、いくら美貌とはいえこんなことはなかったのに。自分の目はどうにかしてしまったのだろうか。それとも、これが恋の魔力なのか。
「いつものように薬を所望しに来た。入れ違いにならなくて助かった」
「それは、わたしはだいたいいつもここにいますから。そこに座ってください。準備します」
答えながらも、かれの顔に視線が吸い寄せられる。綺麗な人だとは知っていたけれど、ここまでだっただろうか。
若く、清潔で、美しい、わたしの片想いの恋のあいて。気をつけていないと、じっと見つめつづけてしまいそうになる。
「ああ、いつものせんじ薬を頼む。わたしの幼なじみが風邪をひいてな。飲ませてやりたんだ」
「幼なじみ……? それ、男性ですよね?」
リリが問いかけると、ミロンは不思議そうに首をひねった。
「いや、女性だが、それがどうかしたか?」
リリは思わず思い切り頬をふくらませた。幼なじみの女性の風邪の薬を求めてわざわざこの森の庵にまで訪れた? それではまるで、たったひとりの特別な女性のようではないか。
「ミロンさま、一応、確認しておきますけれど、その女性はお綺麗な方なのですか?」
「風邪薬をせんじるのに容姿は関係ないだろう」
「いいから! 早く答えてください。美人なんですか、そうじゃないんですか?」
「まあ、美人と呼ばれるほうだろうな。町いちばんのきりょう良しという者もいるくらいだから。とはいえ、わたしは女性の容姿にはくわしくない。あまり断定することもはばかられる」
「断定して良いじゃないですか! 町いちばんのきりょう良しなんて、めちゃくちゃ美人じゃなければそんな風にいわれません。わたしは一度だってそんなこといわれたことありませんよ」
「そうなのか。こんなに可愛いのに」
「ミ、ミロンさま? いま、わたしのことを可愛いって仰いました?」
リリは唐突にからだがかっと熱くなったように感じた。ひどくのどが渇く。恥ずかしくてかれの顔を見られない。
いま、可愛いっていった? いったよね? わたしの聞き間違いとかいうつまらないオチじゃないよね? もしそうだったら一生、神さまを呪って生きてやるから!
「いった。リリ、きみは可愛い。少なくともわたしはとても可愛らしい女の子だと思う」
「ほんとうですか?」
「聖十字に誓って」
聖十字への誓いは、騎士として最も重いものだ。この誓いの上で偽りを述べたときは、命を奪われることさえありえる。
リリはうっとりとその言葉を聞いた。小柄な肢体をくねらせる。
「もう、やっぱりそうだったんですね。ミロンさまってば、そうならもっと早くいってくれれば良かったのに」
「そう?」
「わたしのこと、可愛いって思っていらっしゃるんでしょう? それもふつうに可愛いだけじゃなく、特別に、ふたりといないくらいだと感じているんですよね?」
「ああ、そうだ。聖十字にかけてち――」
「そんな重い誓いをくり返さなくて良いです! それより、その想いの意味をわかっていますよね? それなら、はっきりと言葉にして伝えてください。こういうことは殿方のほうから口にするものだと思います」
「こういうこと? どういうことだ?」
ミロンは何か奇妙なことをいわれたように首をかしげた。リリは、心のなかで、何かがぷつんと切れるその音を聞いたと思った。彼女は目の前の円卓に思い切り手を叩きつけた。
「どういうことだ、じゃないでしょう! もう、はっきりさせてくださいよ! わたしのこと、好きなんですか? 好きじゃないんですか? 夜になったらわたしを夢に見たりするんですか? わたしの顔を見るたび愛しいなあって思ったりするんじゃないですか? どうなんです? 聖騎士ならちゃんと勇気を出して断言してください」
ミロンはひとつ大きなため息を吐いた。
「もちろん、きみに対しては好意を持っている。そのくらいのことはわたしにもわかる。あれからずいぶん自分の想いについて考えてみたんだ」
「そ、そうですか」
ほんとうにはっきりといわれて、リリはただでさえちいさなからだをさらに縮こまらせた。
やだなあ。ミロンさまってば、わたしのこと好きだったんだ。わたしたち、両想いだったんだ。そんなことってあるんだ……。
しかし、待って。好意? それはいわゆる恋愛感情なのだろうか?
「ミロンさま、確認しておきますが、それは、単に友達に対して抱く好意とか、近所の子供たちのことを可愛いと思う気持ちとは違っていますよね? 異性として、女の子として好きって意味ですよね? ね?」
リリが問いつめると、ミロンは突然、難問を突きつけられたように端正な顔をしかめた。
「それが、わからないんだ」
「どうしてです! どうしてわからないんですか。自分の感情もわからないなんて、あなたはバカなんですか愚か者なんですか。いまどき、三歳の子供でも自分の気持ちくらいはっきり自覚していますよ! いいかげんにしてください」
「うーん、そういわれてもな。わたしなりに考えてみたんだが、やはりよくわからない」
ミロンは苦しげにうめいた。
その場に立ち上がってリリの彼女を正面から見つめる。
彼女はどきりと心臓が高鳴ることを感じた。
「たとえば、だ。こうしてきみの顔をのぞき込むと、可愛いな、とは思う。つぶらな黒いひとみ。繊細な黒い髪。鼻筋も良い形をしているし、頬っぺたなんか丸くてすべすべでさわってみたいな、と感じる。しかし、それは異性に対する感情だろうか?」
「そうですよ! もう完全にそうじゃないですか! いったいどこに疑問を抱く余地があるっていうんですか? ミロンさまがここまで自分の感情に鈍感だとは思いませんでした」
「そうなのか? わたしはいままでそこまでひとりの女性を想ったことがないから、わからないんだ」
「そうなんですね。じゃ、たしかめてみますか?」
リリは精一杯の勇気をふり絞っていった。
「たしかめる? どうやって?」
「そうですね。ふつうの友人や近所の人とはやらないようなことをしてみれば自分の気持ちがわかるんじゃないですか? たとえば、その、力づよく抱きしめてみるとか。そうじゃなければ、き、き、キスをしてみるとか」
「そうだな、やってみよう」
若き騎士はどこまでも生まじめにうなずいた。
そして、そっと、やさしくリリの肢体を抱き締める。しだいにその腕に力がこもっていった。
リリは心臓が爆発するかと思った。何だろう、この急展開は。どうしてこんなことになったのだろう。これって、恋人同士じゃないとしないよね? ふつうの友達同士じゃ絶対やらないよね?
ところが、騎士は彼女のからだを離すと、不思議そうにこうのたまわったのだった。
「よく、わからない。たしかに、女の子らしくて柔らかいからだだとは思うが――」
「ふええええっ」
「キスもしてみるか? きみさえ良ければだが」
「よ、良くないです! そんないい方ってあんまりです。もうミロンさまなんて知りません!」
リリのなめらかな頬を、ひと筋の涙が伝わり落ちていった。
くやしかった。
すべては自分の思い違いだったのかもしれない。この美貌の聖騎士は、自分のことをとくべつ何とも思っていないのかもしれない。
だって、女の子のからだをその腕のなかに抱いてさえ何とも思わないというのだ。自分の心臓は、壊れそうなくらい激しく高鳴ったというのに。
そう、やはり自分の勘違いで、ただの片想いだったに違いない。何てことだろう。こんなことになるくらいなら、希望なんて抱かなければ良かった。初めから恋なんてしなければ良かった……。
ところが、ミロンは彼女のその泣き顔を唖然とした表情で見つめ、ひとこと、呟いた。
「可愛い」
「え?」
かれはなぜか興奮した様子で、指先でリリの涙をぬぐった。
「それだ、その顔。その痛々しい泣き顔が、胸をしめつけられるほど可愛い。そうだ、初めてきみのことを特別に思ったのも、〈災厄の魔女〉と呼ばれて泣いているところを見たときだった。わたしはきみのその切ない表情を見てこの子をどうしても守ってやらなければと思ったんだ。それは、いままで感じたことがない感情だった。そうか、これが、恋なのか」
「ええっ」
「愛しいリリ。わたしはきみのことを恋している。どうか、わたしのこの想いを受け入れてほしい」
「そ、そんなのって――」
次の瞬間、リリのくちびるはふさがれていた。彼女はただ陶然とひとみを閉じながら、思った。
(こんなことってある? わたしの泣き顔が好きって、どういうこと? 抱きしめてもわからなかった恋ごころが、それでわかっちゃうなんて、ふざけている! ああ、でも、やっぱりミロンさま、素敵。大好き――)
そうして、あらたな恋人たちはつかのま、ひとつに溶け合うようなひと時を過ごした。やがて、そのからだは名残り惜しそうに離れたが、ミロンの青い双眸にも、いまやはっきりと恋の感情が浮かんでいた。
「ようやくわかった。たしかにわたしはきみのことが好きだ、リリ。異性として、ひとりの女の子として好きだ。わたしはきみのその泣き顔が愛しくてたまらない。わたし以外の男の前では決して泣かせたくない。わかったぞ。これが、恋というものだったのだな!」
「えーと、そうでしょうか。何かが違う気もしますけれど……」
でも、まあ、良いか、とリリはうなずいた。この人は〈災厄の魔女〉とまで呼ばれ、ひとりで泣いていた自分を好きになってくれたというのだから。
それは、世間でいわれるあたりまえの恋ごころとは少し違っているかもしれないが、かれなりに自分を想ってくれているのだろう。それは、夢のように素晴らしいことだ。
そうだ、これも、ひとつのハッピーエンドだよね。あとは、時々、ウソ泣きをしてみせる方法を覚えれば良いのかもしれない。母から伝わる調薬の本に、涙を流せるようになる薬は載っていただろうか――。
そのようなことをとりとめもなく考えながら、黒猫魔女のリリはもう一度ミロンの美貌が自分に覆いかぶさって来るその瞬間を、静かに、ゆっくりと待ちつづけたのだった。
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