第一話
魔女たるもの、道を歩けば石を投げられるくらいでなければならない。
亡き母はそう教えてくれた。そのくらい魔女の道はきびしいものだといいたかったのだろう。
しかし、いま、リリは思う。
いいかげんなことを教えないでください、お母さん。ほんとうに道を歩いているだけで石を投げられるようになった娘の立場も考えてみてよ。
石があたるとほんとに痛いんだから、からだも。そして、心も。
うら若き森の魔女であるリリが町へおもむくたびに人々に睨まれたり絡まれたりするようになったことには、明確な理由があった。このところ打ちつづくさまざまな天災だ。
ここ数年、ウェンディア公国では、大嵐や山火事、地震と津波などが立て続けに起こり、大きな被害を出していた。
それらが集中的に起こったことはまったくの偶然としかいいようがないのだが、人はどんな運命のいたずらにも納得のいく原因を求めるものである。
そこで、まったくの無罪のリリに冷たい視線が注がれることになったのだった。
また、リリが魔女の伝統を守り、黒衣に身を包んでいることも印象が良くなかったのかもしれない。
だれかおそらくは根拠もなしにいい出した「森の黒猫魔女が災厄の原因だ」という話はあっというまに広まり、いまではリリは町の嫌われ者だった。
それでも、商店で品を売ってくれないわけではないからまだ生活が成り立っているが、いつか、それも危うくなるかもしれない。リリはまさに人生が崩壊する瀬戸際に立たされているといえた。
その日も、森の近くの町へ出向いたリリは、いつのまにか何人かの男たちに囲まれていた。
皆、知らない顔である。ただ、向こうだけが一方的にリリのことを知っているようだった。かれらは口々に彼女をなじり、理不尽な論法で非難した。
「森の魔女め、おまえのせいで商売あがったりだ」
「昨年のあらしも、原因はおまえだろ。おまえのせいでおれの弟は足を引きずることになったんだぞ! どうしてくれる」
「おととしの大地震だっておまえがしでかしたことに決まっている。呪われた黒猫め、何が楽しくてそんな真似をするんだ。おまえには人の情がないのか」
リリはどんよりと暗い気持ちでそれらの言葉を聞いていた。
偶然とはいえ、大規模な天災が数年にわたってつづき、人々が気分を滅入らせる気持ちはわかる。だれかにあたりたいと思うことも自然な心理だと思う。
しかし、だからといって大の男が自分のような小さな娘をつかまえて難癖をつけるとはどういうことなのか。
ほんとうにこの小柄な自分があらしを起こしたり大地を揺らしたりできると信じているのか。
もしそうなら、なぜ、いまあなたたちを魔法で追い払ってしまわないのか、説明できるものならしてみせてほしい。
彼女はたしかに魔女ではあるが、専門は占いや調薬であって、世界のことわりを乱すような黒魔術にはまったく秀でていないのだ。
とはいえ、どう考えてもしろうとのこの男たちにはそもそも白魔術と黒魔術の区別もつかないであろうこともわかっていた。
あるいは、黒い服を着ているから黒魔術を使うとでも思われているのかもしれない。そのような単純なものではないのだが……。
「おい、何とかいったらどうなんだ、ガキ!」
ひとりの男が彼女のちいさな頭を小突いた。
「いたっ! 何をするんですか!」
思わずあいてを屹然と睨みつけてしまう。
しまったと思ったが、暴力は何かのきっかけでエスカレーションを始めるものでもある。このまま一方的に殴られていることもまた危険だった。
その男は彼女に睨まれて一瞬、気まずそうにしたが、どうやら開き直ることにしたらしい。リリの頭の上から怒鳴りつけてきた。
「黙れ! おまえが悪いんだろう。おまえのせいで苦しい目に遭っている人たちが大勢いるんだ。悪いとは思わないのか。少しでもすまないという気持ちがあるなら頭を地面にこすりつけて謝れ。そうしたらおれたちも赦してやる」
「何をいっているんですか。わたしが悪いわけがないでしょう。あなたたちだってほんとうはそのことがわかっているから怖がりもせずわたしのことを殴ったりできるんだ。わたしが本物の〈災厄の魔女〉だったらあなたたちなんていまごろ、とっくに吹き飛ばされていますよ。違いますか」
「口の減らないガキだ」
その男はリリの耳をひっぱって持ち上げようとした。激痛が走り、つま先立ちになる。
「痛い! 痛いよ。ひどい。わたしのせいじゃないのに」
リリが思わず涙声になって抗議すると、その他の男たちはわずかに怯んだようだった。そのなかのひとりがリリを小突いた男を制止しようとする。
「おい、やりすぎだ。こんなちいさな女の子なんだぞ。そこまでしなくても良いだろ」
「黙れ! こいつがみんな悪いんだ。きっとこいつが悪魔と契約して災厄を起こしているに決まっている。世の中の不幸なできごとはみな女が男を裏切ったところから始まったって聖典にも記されている」
何やら危険な方向に向かって話が大きくなってきたようだった。
その男の顔を見ると、両方の目がひどく血走っていた。あきらかに狂気を孕んだ危険な目つき。恐ろしかった。抵抗する気も萎えた。
しかし、抵抗しなければこのまま暴力をふるわれつづけるかもしれない。どうしてこんなことになったのだろう。涙が出そうだった。
リリの心が折れかけた、そのときのことだった。
「やめろ、おまえたち!」
ひとりの若い男の声が割って入ってきた。見ると、白衣の胸に一角獣の紋章を刺繍で刻み込んだ若者がこちらへやって来る。かれはリリを小突いた男の手を払いのけて、自由になった彼女の痩せっぽちのからだを抱き締めた。
「大丈夫か、黒猫の魔女。可哀想に、痛かっただろう。ひどい真似をするものだ」
「ミロン……」
その若者――妖しいまでに端正な美貌で知られる聖騎士のミロンは、きびしい視線で男たちを睨んだ。
「おまえたち、何をする。この少女がいったい何をしたというのだ。説明しろ。事情によっては騎士として赦しはしないぞ!」
「この娘が災厄の原因なんだ、騎士さま。こいつが悪魔と踊っているところを見たという者もいる。今年の麦の実りが良くないのもその娘が呪ったせいに違いない」
「くだらぬ迷信だ。ほんとうにこの小柄な娘が世界を崩すほどの魔法を使いこなせると思うのか。そうだとすれば、おまえは狂っているぞ、鍛冶屋のハンス」
「おれの名前をご存知なんで?」
「もちろんだ。わたしはこの町にはくわしいんだ。いいか、正気になるんだ、ハンス。ここのところ続いた災厄はたしかに大きな害をもたらしたが、だれかひとりに原因があるようなちいさなものじゃない。ましてこのまだ十七、八の魔女がひき起こせるようなことではありえない。ほんとうはおまえもわかっているんじゃないか。自分が八つ当たりをしているだけだって」
「でも――」
「でも、じゃない。八つ当たりはやめろ。そんなことをしても失われたものは返ってこない」
「……わかりましたよ、聖騎士さま。悪かったな、魔女」
男たちはそういい残して渋々といった様子で去っていった。もちろん、完全に納得したはずもなかっただろうが、今回はひき下がることに決めたらしかった。
リリはその背中に向けて思いきり舌を出してやりたい気持ちに駆られたが、我慢した。
賢明なことだっただろう。狭い町であり、また再会を遂げる可能性が皆無とはいえないのだから。
「大丈夫だったか、リリ」
男たちが完全に立ち去ったあと、ミロンは心配そうに彼女の顔をのぞき込んできた。
「すまなかったな、わたしがもう少し早く気づいていたら、こんな目に遭わせはしなかったのだが」
「ほんとですよ、ミロンさまはいつもちょっと遅いんですから」
そう答えるとかれが哀しげにうな垂れたので、リリはあわてて首を振った。
「嘘です。助けてくださってありがとうございます。わあ、すごく良いタイミングだったなあ。とっても助かっちゃった。あのままだったらどんなひど目に遭ったいたかわからないところでした」
「ほんとうか? 怪我はしていないのか?」
「大丈夫です。いつも助けてくださること、感謝しています」
「気にするな。民を助けるのは聖騎士の役目だ」
ミロンはにっこりとほほ笑んだ。その笑顔がまぶしい。
しかし、かれはそういうが、本来、聖騎士と魔女とは仇敵といって良い間柄なのだ。それにもかかわらず、ミロンはいままで何度も彼女を庇い、守ってくれた。
なぜここまでしてくれるのか、不思議になるほどだ。気づくと、その想いをそのまま口に出してからかっていた。
「それにしても、ミロンさま、どうしていつもわたしを庇ってくれるんですか。騎士と魔女は昔は敵対関係にあったのに。そんなにわたしのこと大好きなんですか。溺愛しているんですか。このこの」
「溺愛? そうだな、そうかもしれない」
リリはかるく首をかしげた。
「え……?」
そして、かれの態度が意味するものに気づくと、彼女のほうも羞恥のあまり赤くなった。
(え、え、ええっ!? そういうことなんですか、ほんとうにそうなんですか、そんなことってあるんですか。こんな綺麗な人が、わたしなんかのことを――? わたし、騙されているんじゃないですよね? 散々利用されたあげく山の奥に捨てられたりしないですよね? えええっ)
一瞬でそこまで考える。
「で、では、失礼します! ほんとうにありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、走るようにしてかれのもとを去った。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう。こんな奇跡が起こるなんて。でも、ほんとうなんだろうか。何かの勘違いってこともあるかもしれない。ちゃんと確かめなきゃ。だけど、どうやって?)
あとには、呆然と立ち尽くすミロンひとりが残された。