火の鳥の償い
マユは青梅街道を阿佐ヶ谷方向へ向かって急いでいた。
三人との約束があったのだ。
まだ残暑が厳しかった。
身体中の汗が吹き出る。
後を尾けられているのがわかった。
昼間の青梅街道の歩道にはほとんど歩行者はいない。
横の車道に車が止まった。
運転席の窓が開いて、声をかけられた。
「駅までなら、送っていこうか」
みると、なんとそれは面通しで見た一番の男だった。
こんなところで声をかけられるとは。
しかも自分の名前まで知ってる。
「いえ、近道していきますから」
一番はバックミラーをちらりと見て言った。
「追われてるんだろう。悪い事言わない。乗ったほうがいい」
開けてくれた助手席のドアへマユは滑り込んだ。
「じゃ、お願いします」
暑さは我慢できるが、尾行者は何度巻こうとしてもできなかった。
きっとプロなんだ。
警察でない事は確かだった。
杉並署の取り調べは何度も受けてるし、父からもきつく言われた。
法を犯したわけではないので、それ以上の事はなかった。
例の寿命交換の件でだ。
一番の車の運転は巧妙を極めた。
消防署を過ぎた地点で路地へ入り、
右折左折を繰り返しながら時には人の家の駐車場へバックで入り、
追ってくる黒いセダンを完全にかわした。
この男、何者なんだろう。
マユは不思議だった。
マユもこの辺の道には詳しい自信があるが、
それをはるかに上回っていた。
そして、不思議と腕時計を見て運転する。
阿佐ヶ谷駅へ出る路地で停車し、長いこと止まっていた。
そして急発進し、一気に駐車場へ入れた。
車を出ると歩道を駅中のスタバへ急いだ。
いつもは、南口交番の前に必ず立っている警官の姿がなかった。
二人はスタバへ入った。
昼間で二階の窓際の席が空いていて、二人はそこに座った。
一番がカウンターからスタバラテ・トールサイズ二つを持ってきた。
「誰に追われてたの」
一番が聞いた。
「わからない」
本当だった。
「ここで三人と会う約束してたんだろう」
そう、あの二番、三番、四番と会う約束だった。
だが、尾行されてるのがわかり、ラインで中止にした。
マユを追っているのは得体の知れない組織だ。
「一番さんは、なぜ私が尾行されてるのわかったの」
一番は苦笑した。
「あの面通しで俺はサクラだった。元警官で本名は一文字隆」
「でも、あなたは人を殺してる」
「マユちゃんには、そこまで見抜かれちゃうんだ」
一文字は笑った。
「刺身包丁を振り回すシャブ中を、通行人を守るために仕方なく発砲した」
そうか、彼は父の元同僚なんだ。
「過剰防衛で公安委員会から、退職を命じられた」
「一文字さんは、五分先の未来が見えるのよね」
これには一文字も驚いた。
自分の秘密をズバリ指摘したのは。マユが初めてだからだ。
「なぜわかった!」
「路地で車を停めると、必ずそこに正確に五分間停車してた。
時計を見て、五分後の未来を確認して出発してた」
「なるほど、お父さんに似て観察眼が凄い」
一文字はスタバラテを一口飲んだ。
「その君を追ってる奴ら、例の寿命交換と関係あるのかい」
マユにはそれしか考えられなかった。
あれ以降、一度だけ寿命交換をやった。
二番、三番、四番に協力してもらって。
受ける方は七十二歳の老人で肝臓ガンの末期で余命はあと二週間。
渡す方は十五歳の少女で、自殺寸前でマユが止めた。
またやりそうなので寿命交換の話をした。
喜んで乗ってきた。
少女の寿命はあと五十五年。
すぐに、リーパーに言われたやり方で行った。
一週間後、老人のガンが消滅していることを主治医が確認した。
主治医はそれを大学に報告し、大騒ぎとなった。
医師会までが乗り出してきた。
老人からマユに一千万円が渡された。
マユは断固として固辞した。
金のための行為ではないから。
マユは医師会と警察から何度も取り調べを受けた。
その頃には、少女はすでに電車へ飛び込み自殺を遂げていた。
医療行為は何もなかった。
証拠もなかった。
ただ老人の話だけでは、立件どころか事件にもならない。
少女の自殺を何としても止めろ!と警察から厳しく言われた。
一言もなかった。その通りだと思った。
リーパーの話を簡単に間に受けたのが間違いだった。
二度と寿命交換はしない、とマユは心に固く誓った。
反対に二番、三番、四番は思いがけない一千万に有頂天になっていた。
あの老人の資産なら、十億でも出しただろうと思った。
そして、得体の知れない組織がマユの周囲に現れた。
金の匂いのするところに必ず現れる人種だ。
いかなる理由があっても、寿命交換に関してマユは一切話をしなくなった。
二番、三番、四番から聞いたらしく、
マユがいなければ寿命交換が不可能なことを彼らは知っていた。
マユはいきなり立ち上がり、もう行く!と言った。
腕時計をちらり!と見て一文字は止めた。
「まだ、ダメだ!」
「だから行くのよ」
マユは一文字の手を振り切って階段を降りた。
そとには黒いセダンが二台いる。
まずい!と一文字は思った。
彼らは真昼間の大通りでも、人を簡単に誘拐する。
三分とはかからない。
急いでマユを追った。
彼女は駅前広場を抜け、横断歩道へ向かっている。
駅前交番前にいる警官の助けは借りられなかった。
繁華街へ行く横断歩道の信号は赤だった。
大勢の人間が信号が変わるのを待っていた。
マユは立ち止まらず、そのまま横断歩道へ入った。
時速四十キロで走ってきたトラックに激突し、跳ねあげられた。
そして、さらに反対車線の外車に激突した。
信号前で待っていた人々から悲鳴と絶叫が上がった。
頭が割れ、脚が折れたマユの遺体が車道に転がった。
横断歩道の騒ぎに交番から、数人の警官が駆けつけてきた。
横断歩道は野次馬でいっぱいになった。
駅前に止まっていた二台の黒いセダンの姿は、いつの間にか消えていた。
一文字は繁華街の途中で待っていた。
野次馬の人ごみから抜け出して、マユが来た。
笑って一文字が言った。
「奴らに、自分の惨殺死体を見せたかったのか」
独り言のようにマユはつぶやいた。
「死んだ久美ちゃんに償いしなくちゃ」
「死んだ者にどう償いするんだ」
「二度とまだ何も知らない子の、自殺者を出さないこと。
それが久美ちゃんへの供養になる」
「人の心はわからない。どうやってそんな子を見つける。不可能だ!」
「私にはできる。寿命交換の情報を使う」
きっとリーパーは怒るだろうけど、構うもんか!
一文字は腕時計を見た。
「青梅街道までは安全だ。そこでタクシーを拾おう」
まだあどけなさの残る久美を、私は見殺しにした。
リーパーの話に簡単に乗った自分が馬鹿だった。
しかし、私は火の鳥。必ず償いはする!