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黄泉からのマユ  作者: 工藤かずや
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三つの夢

夜は幸治郎の隣の客間でマユは寝た。

幸治郎の部屋にはあらゆる医療器具か揃っていた。

だが、それのどれもが役に立たない。


週末機を迎えている幸治郎には何より痛みのケアが必要だ。

病気ではなく心臓の奇形から来る痛みだから、

現代医学は何の役にも立たない。


ただその痛みを取るにはの筆舌に尽くしがたい。

激痛を取るには、現代医学は無力すぎた。

最終的に麻薬に頼る方法もあるが、当然医師は意識障害が起き本人も家族も望まなかった。


最後の最後まで自分らしくあることを当人は切望した。

マユの接触が、唯一それに応えた。

夜中に発作を起こすとマユが手を握ってやる。


それが唯一、彼の苦しみを止める方法だった。

だが隣の部屋とはいえ、マユも一晩中起きているわけにはいかなかった。


つい、昼間の疲れで熟睡してしまう。

その間に幸治郎が発作を起すと、マユを起こすまいと必死で耐える。


その発作がそのまま死に繋がる危険性があった。

自分の布団を幸治郎の部屋へ運び入れた。

そして、幸治郎の布団の左側にピタリとつけた。


二つの布団を並べて密着させたのだ。

さらに夜は治郎の手を握って寝た。

まるで新婚夫婦の二人だった。


こうしなければ、二十四時間彼の命を守れないのだ。

瘦せおとろえた彼の手を握ると、

心音の頻脈と結滞がマユにもよくわかった。


彼の心臓は、まさに悲鳴をあげていた。

いつ止まってもおかしくない状態だった。

だが、それによって彼は夜はよく眠れるようになった。


ある夜、幸治郎はマユの手を握って、こんなことを言った。

「僕にあと十年が与えられたら、やっておきたい夢が三つあるんだ」


「どんなこと」

体の交わりがないだけで、二人は新婚夫婦だった。

「どんなことよ?」


マユが促すと幸治郎は幸せそうに言った。

「一つはスペインのプラド美術館へ行くこと。

ベラスケス、ゴヤ,グレコなどの傑作があり、

見る人の心を揺さぶりその人の人生を変えると言われている」


いかにも幸治郎らしかった。

そんな夢があったのだ。

「それは凄いわ。私も行きたい」


マユが促すと彼は言った。

「二つ目は大学医学部の心臓外科手術の道へ進み、

僕と同じような運命に苦しむ人たちを救うこと」


思わず目頭が熱くなった。

彼はそんなことを考えていたのか。

「三つ目は・・・」


彼は言い淀んだ。

「三つ目はなんなの」

「君と・・・結婚こと」


そして、握りしめたマユの手を強く握りしめた。

遅すぎた。あまりにも遅すぎた。

その夜、幸治郎は発作も起こさず安らかに寝た。


マユの手をしっかりと握りしめて。

せめてあと一年あれば、

プラド美術館と私との結婚の夢は実現させてあげられるのに。


マユは泣いた。

そんな幸治郎をマユは好きになっていた。

明日のない愛だった。


異変は翌朝、早朝に起きた。

眼が覚めると、握っていた彼の手が冷たいのだ。

慌てて飛び起きた。


彼の脈と呼吸は止まっていた。

苦しんだ気配はなかった。

マユは冷たい幸治郎の唇にキスをした。


涙は出なかった。

こんな日が来るのを、出会った日から覚悟していたからだ。

私がお迎えするのだ。


彼を抱きしめ店へ昇った。

遺体はそのまま、彼の魂だけが腕の中にあった。

家を抜け、天空へ上昇した。


死者が安息する平安の地を目指した。

彼は永遠にそこで眠る。

私の心には悲しみと安らぎがあった。


彼の夢見たプラド美術館へ行ってみよう。





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