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黄泉からのマユ  作者: 工藤かずや
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いたわり


瀬能がくる。

突然、マユはそう思った。

瀬能は刑事特有の直感で、彼女が男を特定していると思ったのだ。


猶予はならなかった。

駅前広場で男を待つことはできなかった。

目立ってしまうのだ。


交番の前には警官も立っている。

数人が交代で広場の通行人に目を光らせている。

マユは広場を見下ろすスタバの二階へ上がった。


総ガラス張りの窓から駅構内と広場が一望できる。

その日は、男はいつもより来るのが遅かった。

まさか、瀬能から殺人者を逃がす日が来るとは、思いもよらなかった。


やっと男が、男の子の手を引いて広場の端に現れた。

マユはスタバの階段を駆け下りた。

そして、反対側から男に向かって歩き出した。


広場の雑踏は、幸いにもいつもと変わりなかった。

十メートルくらい離れた位置で、二人とすれ違った。

男は子供と何か話していて、なかなか顔を上げてくれない。


楽しそうに話している。

この二人を瀬能から護らなければならない。

マユはそう男と約束したのだ。


二人との距離が縮まる。

交番の前では、何も知らぬ警官が雑踏の異常を監視している。

数メートルの距離で男が顔を上げた。


マユに気づいて、いつもの軽い会釈をした。

マユは男の目を見て、彼にだけ分かるくらいに軽く顔を振って見せた。

男の笑顔に不審な影が走った。

そうだ、そうなのだ!


それだけで、マユは再びスタバの二階へ戻った。

あとは男が気付いてくれることを祈るばかりだった。

男に接触したら、立ち番の警官が目撃する。


瀬能は間違いなく交番へ行って広場の状況の説明を聞く。

スタバの二階から見ていると、早足で子供の手を引いて引き返していく男の姿が見えた。


ほとんど同時に瀬能が二階に姿を現した。

瀬能は近づいてくると、まずマユの視線の先を見た。

「まだ、その男は現れないのか」


すでに男と子供の姿は、視野の中にいなかった。

数秒の差だった。

わずかに遅れていたら、マユの視線で瀬能は男を特定していただろう。


「瀬能さん!」

彼の出現にマユは驚いた。

本当に驚いたのだ。


本職の刑事の動きとはこういうものなのか!

瀬能は眼下の人混みを不審そうに見ていた。

「たとえ男が現れても、住所も職業も名前さえわからない。事件性は何もない。どうしようもないんじゃないんですか」


マユの問いに広場を往きかう人々から眼を離さず、瀬能は

冷たく言った。

「そんなことは警察に任せておけばいい」


いつも会う瀬能と明らかに違っていた。

「男の特徴はわかるか」

「普通の中年の男性でした」


「その男が殺人犯だと、君は思ったんだな」

「ええ、そう感じたたけです。確信はない」

瀬能は無言でスタバの階段を降りて行った。


交番へ向かったのだ。

立ち番の警官が男を覚えているか。

確認に行ったのだ。


男は子供の手を引いて、広場の中央付近で引き返していった。

数分前のことだ。

おそらく警官の記憶にあるだろう。


もっと早く手を打つべきだった。

マユは後悔した。

しかし、男はこの時間にしか現れない。


彼女のギリギリの行動だったのだ。

男との約束は果たしたが、兄同然の瀬能を裏切った。

せめて男の子の今の境遇を護ってあげたことで、満足するしかなかった。


瀬能のあの男追求は成功しなかった。

そして、男と子供は阿佐ヶ谷周辺から姿を消した。

二度と姿を見せることはないだろう。


だが、あの日男が瀬能たちに捉えられて罪が暴かれて罰に伏し、男の子はしかるべき施設に送られる。

その方が二人にとって良かったのか、マユにはわからない。


あの二人を引き離すことだけはしたくない。

その一心でマユは瀬能を裏切った。

今日も何人かの殺人者の目をした者たちと、マユは遭遇する。


老若男女、様々な人間たちだ。

みな、あの日あった男と同じような人生を送っている。

他人を手にかけた理由は様々だ。


だが、その後の人生は文字通り豹変する。

人を殺したというおぞましい想いに苛まれて生きていくのだ。

人生とはなんなのか。

生きるということは何なのか。


今も瀬能との関係は変わりない。

あの日、明らかに男を逃したことを瀬能は感づいている。

マユがその異能に苦しんでいることも知っている。


だが、それを捜査に使おうとは決してしない。

むしろ、いたわりを持って接してくれる。

それがマユには嬉しかった。







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