「今何時?」
久しぶりにマユは瀬能からデートに誘われた。
瀬能は現在内勤である。
かつての刑事の時より規則的な時間が取れる。
彼は一課の刑事に復帰することを密かに狙っている。
マユにはよくわかった。
それが瀬能にとって警察へ入った目的なのだから。
そのデートも訳ありだった。
大学時代の友人に彼女ができ、プロポーズしようと思うのだが彼女にその気が全くないらしい。
紹介するから一度会ってくれというのだ。
マユとのデートを兼ねたダブルデートである。
気が進まなかった。
女子大生といえどもはマユは馬鹿にできない。
本職の刑事顔負けの洞察力と、人を見抜く目を持っていた。
六時にスタバで待ち合わせをし、互いの紹介をした。
友人の服部は現在IT企業に勤め、生活は安定していた。
相手の黒石久美はファッショ
ンデザイナーだった。
マユを女高生と紹介すると、二人は一瞬目を見張った。
そうだろう。
二十五歳の警官が十七歳のガールフレドとは異様だ。
だが、いつものことだ二人は慣れていた。
マユという少女が分かれば二人は理解してくれるはずだ。
やがて四人は、服部の予約してあった京料理の店へ場所を移した。
会席料理だったが、服部と瀬能はよく食べ飲み、そして話した。
黒石は聞かれても相槌を打つ程度だった。
マユは黒石に会った瞬間から内心、言葉もないほど驚愕していた。
黒石の目に明らかに殺人者の相があったのだ。
それも一人や二人ではない。優に十人を超えている。
服部と瀬能の話どころでない。マユは黒石のほんのわずかな動作も見逃さなかった。常に伏せていたが、左手に走る驍骨動脈に無数のリストカットの痕跡があった。
未遂ではない。
動脈を切断してる深い傷である。
彼女は何度も自殺に成功しているのだ。
では、死んだ人間がなぜここにいる?
「今、何時」
マユは瀬能に突然聞いた。
瀬能は驚きを押し隠してマユを見た。
実はこれがマユと瀬能のサインだった。
殺人者に遭遇した時、マユはこれを瀬能に発する。
事態を察した瀬能はさりげなく腕時計を見てマユに言う。
「まだ九時を過ぎたばかりだ」
酒を全く飲まない黒石とマユのお開きの時間だった。
服部は会計でカードで精算を済ませた。
服部と黒石は阿佐ヶ谷駅前からタクシーへ乗り、
瀬能とマユは中杉通りを歩いた。
初秋の空気は心地よかった。
二人は何も言わずに歩いた。
マユはしっかりと瀬能の腕を握っていた。
なぜあの女性はリストカットしても蘇るのか。
マユはリーパーに聞いた。
珍しくリーパーが反応した。
「彼女は蘇生することが許されている」
「なぜ?」
「彼女の愛の深さゆえだ。愛する男のためとはいえ、十数回も命をたつ女は稀有だ」
彼女には別に愛する男がいるのね。
「彼女が命かけて愛してきた男だ」
では、なぜ服部さんと付き合うの。彼は真剣にプロポーズしようと悩んでいる。
「彼もいい男だ。付き合っていて楽しいしな」
でも、それが結局彼を苦しめる。
「彼女の命は長くはない。蘇生しない日がいつかは来る。
それがいつかは誰にもわからない。今日か数年後か」
瀬能が言った。
「服部の彼女、女の目から見てどう思う」
女と言われても、私はまだ女子高生だ。
でもリーパーの言葉が参考になった。
「服部さん幸せになりたいなら、やめた方がいいと思う」
彼女が死を追っている時では、さすがに言えなかった。
「そうかなぁ。似合いの二人たと思うけど。服部は彼女にぞっこんなんだ」
だから彼は不幸になる。彼女は死に取り憑かれている。
私は丸ノ内線で荻窪へ帰るため、彼は近くのマンションへ戻るため二人は地下鉄駅前で別れ。
人目も構わず彼は、私の頬にキスしてくれた。
そんな彼が私は嬉しかった。
よく時の午前中の授業中、リーパーからその知らせが来た。
黒石の最愛の男が、昨夜肝臓ガンで病院で亡くなった。
黒石は一人、自室の浴室で最後のリストカットをしたという。
すぐにお迎えに行ってやってくれと言われた。
マユは立ち上がると教師に、早退します!と告げ返事を待たずに教室を出た。
黒石は自室のバスルームの血の海の湯船の中で果てていた。
左腕が切断されんばかりの深いリストカットだった。
十数回繰り返された彼女の最後のカットだった。
人間は死ぬと知りながら、人を愛する。
人を愛することが生き甲斐となり、死の恐怖を忘れる。
だから死と愛は一体である。
愛は人間の救いである。
対象は人間に限らず、犬でも猫でもいい。
愛があれば人生はより豊かになる。
黒石にもそういう愛があった。
その愛が消えた時、自らの命を絶った。
彼女らしい生き方なのだろう。
血の海に沈む黒石の遺体を残し、
マユと彼女の魂は天空の永遠の世界を目指した。