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黄泉からのマユ  作者: 工藤かずや
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死のジャケット


マユは珍しく織部から食事に誘われた。

食事といっても私はまだ女子高生だ。

ディナーではない。


織部の行きつけの中華料理屋店で食事するぐらいだ。

でも、楽しい。

その前、スタバでおしゃべりする。


マユと織部では年は八歳も違う。

兄と妹みたいなものだ。

ただ、今回のデートでマユが気に入らないのは

織部の着ているジャケットだ。


デザインもおじさんの着る古臭い茶色の上着だ。

もうちょっとおしゃれして欲しかった。

以後何回か食事に誘われたが、いつもそれだった。


スタバで会ってから中華か寿司か蕎麦屋だ。

フランス料理などではない。

でも、マユは彼に誘われるだけでも嬉しかった。


でも、このジャケットだけは不満だった。

着古しているし、汚れてもいる。沁みもある。

織部とのデートは楽しかった。


優しかったし、話が面白い。

マユは彼に惹かれていた。

かつての父の部下という意識が薄れ

ボーイフレンドという枠も超えていた。


デートの機会も増えていった。

場所は阿佐ヶ谷か荻窪、足を伸ばしても吉祥寺だった。

ジャケットを除けば、織部はいつも紳士だった。


マユのデートの相手は織部しかいなかった。

同級生の男子に誘われても見向きもしなかった。

彼とのデートは夜が多かったが、二人は手をつないで歩いた。


知人に会っても平気だった。

そんなことが、もう一ヶ月も続いた。

スタバも食事の費用も全て織部が持った。


その時点でマユは違和感を持つべきだった。

警官の給料は決して高くはない。

連夜のデートにマユはすっかり酔いかけていた。


さすがに未成年のマユを伴い、酒を提供する場所へは行かなかったが二人の関係はより濃密になっていった。

ビルの中のエレベーターでキスをしたこともある。


今の二人にはごく自然なことだった。

織部には署の勤務があり、マユも復学した学校への通学は欠かさなかった。


マユは淡いブルーのジャケットを織部にプレゼントした。

彼女が一週間かけて選んだものだった。

だが、次のデートも織部はあの古臭い上着姿で来た。


マユはもうそんなことは、どうでもよくなっていた。

年上の織部のリードで、マユは我を忘れた。

こんな気持ちは初めてだった。


刑事の娘のだユは、彼の態度に違和感を持つべきだった。

そんな冷静さは、珍しくマユからすっかり消えていた。

織部との関係に、マユは酔いしれていた。


暗い荻窪の路地を、二人は肩を寄せ合って歩いた。

そして、その時は突然やって来た。

背後の暗闇から飛び出してきた男が、織部を襲ったのだ。


男は刃物を手にしていた。

織部は右肩を切られたらしい。

だが、左脇の下から拳銃を抜いて、のめった男を撃った。


待っていたように屈強な男二人が前後から飛び出してきて、男のナイフを取り上げ手錠をかけた。

待機していた二台のパトカーから制服警官が飛び出してきて、有無を言わさず男をパトカーへ引きずり込んだ。


あっという間の出来事だった。

銃声に野次馬が出てくる間もなく、パトカーは走り去った。

実況見分は明日やるのだろう。


パトカーへ乗る寸前に、織部がマヤへささやいた。

「必ず連絡する」

マユは一人、呆然と立ち尽くした。


どうやって家へ戻ったかもわからなかった。

何より織部が拳銃を持っていたのがショックだった。

刑事は緊急時以外、拳銃を携帯しない。


では、マユと付き合っていた間、彼は常に拳銃を持っていたのか。それとも知らず、マユは甘い気持ちに酔っていた。

何も考えられず、彼女は一晩中呆然と机に座っていた。


織部は職務で付き合っていたのだ。

だが、マユは本気だった。この気持ちをどうしたら良いのか。

気持ちは、もう引き返せないところまで来ていた。


一睡もしないまま、マユは気丈にも登校した。

授業中も織部のことばかり考えていた。

彼から何度もラインが来た。


マユは一切出なかった。

彼はラインで説明していた。

あの古ぼけたジャケットが、傷害事件で亡くなった被害者のもので、唯一のてがかりであること。それが事件解決のたった一つの証拠品だった。


ジャケットの染みは被害者の血痕だったのだ。

織部は死者のジャケットを着て、マユとデートしていたのだ。

ジャケットの血痕のシミと、容疑者の血液型が鑑識で一致したことなど、明かしてならない捜査上の秘密まで記していた。


でも、マユは織部とは決して会わなかった。

彼が恋しかった。会いたかった。

一ヶ月がたった。


何十通もラインが来た。

そして、最後にマユに見せたいものがある、とあった。

会うだけなら、とマユは指定のスタバへ行った。


奥の席に織部がいた。

マユのプレゼントしたブルーのジャケットを着て。

無言でマユは前の椅子にかけた。


織部は頭を下げた。

「ごめん、君には済まないことをした。でも、先輩の娘さんならわかってくれると思った」


わかっていた。刑事の娘だからここへ来たのだ。

彼のブルーのジャケットが似合っていた。

下を向いた私の目に涙が滲んだ。


マユの彼に対する気持ちは、本物だった。

織部がテーブルの下で、マユの手を握った。

強く強くその手を、マユは握り返した。


マユは思った。

職務に自分を使ってくれたことが、父の娘として誇りだった。



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