夏美の死
突然、学校へ行こうと思った。
すでに無断無登校をしてから三ヶ月近く経っている。
単位をいくつか落としているだろう。
行きたくないと思ったのも突然だったが、行こうと思ったのも突然だった。
両方とも理由はない。
いじめに会ったわけでも、教師に叱られたわけでもない。
気まぐれだった。母や父のことがあったのは事実だが、それは直接の原因でない。まず、担任教師を訪ねて詫びを入れ、許可をもらわなければならない。そんな規則はないが、それが道だと思った。彼にも大変な迷惑をかけているのだから。
夜、担任の黒松の家を訪ねた。
まず奥さんが出てきて、彼に取り次いでくれた。彼は高教師としては若い。
担任教師だが、数学を担当していた。
仮のおかげで私は方程式や微分・積分が好きになった。
今でも時間があると問題を解いている。数学が私の趣味になった。
彼は教育熱心な教師だった。
まず薄暗い彼の部屋で、私は頭を下げた。そして、また明日から登校したいとを告げた。こんな生徒は珍しいのだろう。
「すでに君は単位を二つ落としている。しかし、登校したいというなら、まだなんとかなる。物理と体育の教師に頼んでおくから、明日登校したら君も頭を下げて来い」と言った。
退学ギリギリだったのだ。
翌日、三ヶ月ぶりに登校すると、何より同級生たちが驚いた。
これだけ無断欠席しておいて、いい度胸だと思ったろう。
私には何でもないことだった。一大決心して学校へ行かなくなったのではないし、また死ぬ思いで登校したわけでもない。全ては気まぐれだ。教師に言われた通り、物理と体育理教師の部屋へ詫びを入れに行った。物理の教師はすんなり詫びを受け入れてくれが、体育の教師にはネチネチと嫌味を言われた。
これも何でもないことだった。復学するための通過儀礼だ。
中でも仲のいい宿院夏美は、抱きついてきて喜んでくれた。
こうして、とにかく学校へ復学することができた。
夏美はまだ名古屋の男子生徒と、遠距離恋愛していた。
藤本彦之という成績優秀なやつだ。もともと彼はこの学校の同級生だったのだが、父の仕事の転勤で名古屋へ転校した。
毎日曜日、彼は名古屋から夏美に会いに来ていた。
その熱愛ぶりはクラスでも評判だった。
彼に夢中な彼女に私は忠告しなかったが、何か不穏なものは感じていた。
三ヶ月経った今でもそれは続いていたが、今は彼女が名古屋へ日曜日に通っているという。毎週となると経済的にも時間も大変だろう。彼の受験勉強が大変になったせいだという。
それは彼女も同じはずだ。私立明涼高校は県内有数の進学校だった。長期不登校した私は、完全にその進学グループから外れた。かつてはそうでなかったのだが、今はどうでもよくなっていた。大学へ行く資産を父は残してくれていたが、マユはやりたいことをするために大学へ行こうと思っていた。
夏美は心なしか、以前より太っている気がした。
また、懐かしい学校生活が始まった。以前と違って部活は何もしなかった。二年の時は陸上で走り幅跳びの県記録を出したこともあった。インターハイ全国大会にも出た。
その時は惨敗だったが。彼女の県記録も塗り替えられていた。
もう陸上をやる気は全くなかった。
学校新聞の取材を受けるヒロインには興味はなかった。
マユと入れ替わるように、夏美の長期欠席が始まった。
教師は病欠としか言わなかった。病名は告げられなかった。
ラインをしても彼女から返事はなかった。
特殊な事情が感じられた。
マユは彼女から連絡があるまで、そっとしておいてやることにした。
そして、数日後授業の初めに教師から夏美の死が告げられた。
マユは授業中にもかかわらず、夏美のお迎えに飛んだ。
場所は天竜川の河川敷。彼女は上り新幹線の非常停止ボタンを押し、ドアを開けて河へ飛び込んだのだ。
検死の結果、彼女は妊娠していることが分かった。
やはり!事態の経過が手に取るようにわかった。
それで彼女は休学していたのだ。
最初、彦之は夏美が好きになり、転校先の名古屋から毎週のように彼女のいる東京へ通った。当然の結果として、彼女は妊娠した。避妊するには、夏美も彦之もあまりに性に対して無知すぎた。
当然、東大を目指す彦之は、当然夏美の妊娠を聞いて震え上がる。夏美から遠ざかろとする。夏美のラインにも電話にも出ない。夏美は日曜日ごとに名古屋の彦之の実家を訪ねた。
彦之も戸惑い困惑した。それが大事な受験勉強の障害となる。
彼は夏美より東大を取ったのだ。親にも話せず、夏美は途方にくれ絶望した。
そして、東京へ戻る途中、新幹線を停め天竜川へ我が身を投げたのだ。
マユがお迎えに行くと夏美は寂しげに笑った。
そして、大きくなった自分の腹部を抱いて涙を流した。
心の中で最愛の我が子に産んでやれぬ母であることを詫びたのだ。
高校生の妊娠は、よほどの理解ある親か愛情深い親でなければ擁護してくれない。
本人は孤立無援となる。
結果として生まれた子を捨てるか、無理心中を選ぶ。
お見送りを終えて戻る途中、マユは泣いた。せめて私が事態を察してあげることができたなら、両親のいなくなった広い我が家に、彼女と彼女の子供の居場所を作ってあげることができたのに!自分を責めた。




