お願い
「じゃあ、私は剛さんから色々教えてもらうわね」
そう言ってベルタは目を輝かせて、剛さんに色々と質問を始めた。
「まあ、勉強熱心な子ね。感心だわ」
香さんは呑気にそう言った。
「ベルタは商人の娘なんですよ。だから、商売のタネになりそうなものは何でも知りたがるんです」
アンネが何故か自慢げにベルタを香さんに紹介していた。
「あら、そうなの?じゃあ、あの子はお父さんに任せて、私たちはお茶でも飲みながらお話ししましょう」
そして、香さんも事の重大さを理解しないまま、お茶の準備をするためにキッチンに移動した。ちなみに、リビングとキッチンは一部屋に作られている。カウンターのような作りになっていて今どきのオシャレな感じの家だった。
「私もお手伝いします」
そう言ったのは意外な人物だった。それはラビだ。日本の一般常識など持ち合わせていないはずだが、貴族作法のスキルが発動したのか手伝いを申し出た。
「あら、じゃあ、お言葉に甘えても良いかしら?」
「はい」
そう言ってラビはキッチンに移動した。
「あの、私も何か手伝います」
アンネもラビの振舞を見て真似たようだ。
「大丈夫よ。お手伝いは一人で十分だから、あなた達はソファーに座って待っていて、すぐにお茶を持っていくから」
「分かりました」
僕とキョウレツインパクトとアンネは言われたとおりにソファーに座って待っていた。割とすぐにお茶とお茶菓子を持って香さんとラビが戻ってきた。
「ありあわせのお菓子で申し訳ないけど、どうぞ」
『ありがとうございます』
僕とアンネは同時にお礼を言った。出されたお茶は紅茶だった。白いティーカップに入っていた。僕はティーカップを手に取り、紅茶の香りを楽しんだ。
「いい香りですね」
「あら?クロは紅茶の楽しみ方を知っているのね~」
香さんは僕の事をナチュラルにクロと呼んでいた。ここで訂正するのも面倒だし、クロという名で飼われていたので、違和感は無いので、何も言わなかった。
「シュワちゃん。クロって呼ばれてるの?」
だが、アンネは気が付いて質問をした。
「ああ、うん。以前来た時には、香さんにそう呼ばれていたんだ」
「そうなんだ」
「シュワちゃんってクロの事かしら?」
香さんが、食いついた。
「うん、黒の殲滅者だから、シュワちゃんって呼んでるの」
「シュワルツ。ああ、ドイツ語の黒ね。あれ?黒の殲滅者?」
「シュワちゃんは、魔族なの」
「魔族?ああ、なるほど、だから色んな魔法が使えるのね」
香さんは全てを正確に把握したわけではないが、おおよそ理解した。
(それにしても、見た目をそのまま名前にするのは私に似たのね)
香さんはアンネと自身の共通点を見つけて喜んでいた。
「ええ、まあ」
僕は、とりあえず肯定した。
「それで、私はクロを何て呼べばいいのかしら?」
香さんの中で僕はクロだった。人間の姿になったとしてもそれは変わらない。一時とはいえペットとして家に居たのだ。その関係性は変わらなかった。中身が『彼女』の恋人だと知っても、香さんが知っているのはペットの犬としての僕だった。
「クロで良いですよ。僕もその方がしっくりきます」
「ふふ、名前がいっぱいあるなんて、小さいころに呼んだ小説に出てくる猫みたいね」
香さんが思い描いた小説を僕も知っている。その猫は主人公の猫が飼い主の元に戻る為に、主人公に協力してくれた猫だった。自身は捨てられた身なのに力強く生き抜く猫だった。
「その猫と比べられると、僕がそこまで男気があると自負はできませんよ」
「ふふ、確かに、クロは、あそこまで自信満々じゃないわね。謙遜を知っているものね」
香さんは笑いながら僕とあの男気溢れる猫との違いを教えてくれた。
「あ、そうそう、砂糖とミルクとレモンも用意してあるから、ミルクティーやレモンティーにしたいのなら遠慮なく使ってね」
「お気遣い。ありがとうございます。僕はストレートで大丈夫です」
「あら、本格的に紅茶をたしなむのね」
「そんな大層なものじゃないですよ」
「謙遜しなくても良いわよ。所作を見ていれば分かるわ」
「まあ、正直に言うと以前は良く飲んでいました」
「でしょ~。あ、アンネはどうする?」
香さんは普段から、こんな感じでよく喋る人だった。なんか、懐かしいと思った。
「あ、私はミルクティーで」
「畏まりました」
アンネの言葉を受けてラビがアンネのティーカップにミルクと砂糖を入れた。
(あの子と嗜好は同じなのね。それに、お姫様なのは本当なのね。ラビって子がメイドみたいね。アンネのお世話になれてるみたいね。それにアンネもそれが当然だと思ってる)
香さんがアンネの姿を見てほっこりしていた。
「あら?アンネは何で指輪をしているの?」
香さんが、アンネの左手薬指にはめられている指輪に気が付いた。
「これは、シュワちゃんとの約束の証なの」
そう言ってアンネは笑顔で左手薬指の指輪を香さんに見せた。
「約束?」
「ず~っと一緒に居てくれるっていう約束」
「そうなの?」
香さんが驚いた顔で僕に聞いてきた。
「そういう約束ですけど、結婚とかじゃないですよ。子供同士の約束です」
僕は冷静に事実を教えた。
「そう、それでクロも指輪をつけているのね」
「約束ですから」
僕の答えを聞いて香さんは心底嬉しそうに微笑んだ。
(良かった。本当に良かった。あの子の願いは叶ったんだ)
香さんは『彼女』の残した遺言「あの世で○○さんと幸せに暮らしたいと思います」が叶ったと思った。
「それで、アンネは、どんな人生を歩んできたのかしら?」
「私は、シュワルツェンド皇国の皇女として生まれました。その時『私が選んだ者が邪悪なる征服者を討伐する』という神託を受けました。それから、聖女として過ごしてきました」
「辛いんじゃない?」
香さんは『彼女』の背負った運命が常人には余るものだと理解していた。
「いいえ、多くの人が私を支えてくれました。お母様もお父様も私の背負ったものを理解してくださり、負担が少なくなるように助けてくれます。何より、私の為に命をとして仕えてくれる人たちが居ます。
私は幸せです。私の使命を果たすために多くの人たちが協力してくれています。彼らの思いに応えるために、私は今を生きています」
アンネの答えを聞いて、香さんは、アンネを抱きしめた。
「偉いわ。あなたの年頃で、そんな決意を出来るなんてとっても偉いと思う。でも、無理しないでね。泣きたいときには泣いていいのよ。辛いときには弱音を吐いても良い。それで、前に進む気持ちが持てるのなら、私で良ければ何でも聞いてあげる」
香さんはアンネが『彼女』の生まれ変わりだと確信していた。そして、過酷な運命を背負わされたと認識していた。香さんはカトリック教徒だった。そして、日本人だから輪廻転生も信じていた。
だから、自殺した者には試練が課されると思っていた。僕は香さんの考え方を見て、そうかもしれないと思った。アンネが前世の記憶を持っていない事。だが、前世の風習を知っていて、それに対する記憶が無い事、過酷な運命を背負わされている事。全ての辻褄が合う。
だとしたら、『彼女』の記憶は一生戻らない。それは『彼女』の死を意味していた。僕は心のどこかでいつか『彼女』の記憶が戻るのではないかと思っていた。理由は、アンネが時折見せる前世の記憶の断片にあった。断片的に記憶があるという事は何かのきっかけで全てを思い出すのではないかと期待していた。でも、その可能性は無くなった。
「ありがとう。香さん。一つだけお願いがあるんだけど……」
「なあに?」
(シュワちゃんが飲んでいた茶色の液体を飲んでみたいけど、それを言ったらシュワちゃんの視界を共有できることがシュワちゃんにバレちゃう。どう伝えよう?)
アンネは悩んでいた。どうにか理由をつけてコーヒー牛乳を飲みたいと思っていた。
「私、みんなと一緒にお風呂に入りたい」
「あら、みんなと一緒に?」
「うん」
これが、アンネの出した答えだった。家のお風呂は入れても2人、みんなでと言えば銭湯に行くしかない。
「良いわよ。この近くに良い銭湯があるの。後で一緒に行きましょう」
香さんはアンネの願いを快諾した。
「ありがとうございます!」
アンネは目をキラキラさせて感謝した。
(やった~。あの飲み物が飲める)
アンネは無邪気に喜んでいた。
「話がそれちゃったけど、クロとは、どうやって知り合ったの?」
そこから、アンネは僕との出会いから今日に至るまでの経緯を掻い摘んで話した。その中で、僕がアンネを皇宮から連れ出した後、ルークスの町でデートした事を話した時、香さんはこう思っていた。
(あの時の服装と一緒だわ。そう、ちゃんとあの日の続きが出来たのね。良かった)
アンネが一通り話し終えると香さんは満足したようだった。
「なるほどね。大冒険をしてここまでに来たのね」
「うん」
アンネは、香さんの優しい態度に、皇女としてではなく、ありのままの姿で答えていた。
「それで、クロのお願いは何になるのかしら?」
香さんに『石炭で鉄を精製する方法を知りたい』という僕の目的は伝わっている。問題は、手段だ。
「パソコンを借りてインターネットで調べたい」
「良いわよ。××の部屋にパソコンが置いてあるから、好きに使って、パスワードはかけてなかったはず」
「ありがとうございます」
「それで、何日ぐらい居られるの?」
「何日でも居られますが、あまりご迷惑をおかけしたくないので、調べ物が終わり次第、帰ろうと思います」
「迷惑なんて思わないわ。娘が友達を連れて帰ってきたんですもの。3日ぐらいゆっくりしていきなさい」
香さんは心からそう思っていた。なので、お言葉に甘えることにした。
「ありがとうございます」
僕が目的の説明と、それを達成するための手段を得た時、ベルタが割り込んできた。
「シュワルツ。私、もっと勉強したい。この国の技術を持ち帰れば世界征服が出来るわ」
「ダメだよ。3日だけお世話になるんだから」
「え~3日じゃ足りないわ、1カ月、いや1年は勉強しないと、いやもっとか、時間が足りない~」
ベルタは、電気と機械についてもっと知識を深めたいと思っていた。それは、魔法で作られている色々な製品を大量に安価で生産する仕組みだった。それが出来ればあっちの世界のマーケットはベルタの手に落ちるだろう。文字通り世界征服も出来るぐらいの資金力を手に入れることになる。
だが、そんな事の為にここに来たのではない。だから、3日で習得出来るだけの基礎だけ持ち帰ってもらう。基礎知識だけなら大したことは出来ない。それから実験と検証を重ねた結果、色々な製品を作れるようになるまで百年はかかるはず。
「大丈夫だよ。君が知りたいことは、この本とこの本を読めば大体わかるはず」
そう言って剛さんは2冊の本をベルタに渡した。表題は『理科』と『算数』だった。だが、ベルタは、日本語を読めないはずだ。あっちの世界と文字が違う。だから読めないと思った。
「本当ですか先生!」
ベルタは受け取った本を開いて読んでみた。
「あれ?これって……文字が知っているのと違う」
やはり文字は自動翻訳されないらしい。僕はホッと胸をなでおろした。
「けど、読める!読めるよ!」
終わった。あっちの世界はベルタの手に落ちる。しかし、なんで日本語を読めるんだ?僕がベルタのステータスを見てみると、スキル欄に『商魂』と『多言語理解』が増えていた。
『商魂』なんてスキルいつの間に身につけたんだ?そして『多言語理解』とかチートすぎる。
「先生!私、もっと本が欲しい!」
ベルタは強欲だった。
「良いとも、欲しい本は私が買ってあげるよ」
そして、剛さんは勉強熱心な子が大好きだった。僕のあっちの世界を変えたくないという思いは粉々に打ち砕かれた。




