聖女アンネローゼ
私は、アンネローゼ・フォン・シュワルツェンド。シュワルツェンド皇国の皇女にして聖女だった。その日はロレーライの森の中にある。アディーヌの湖で、休養するために馬車で移動していた。
皇女であり、聖女でもある私は常に演技を求められた。公の場では子供らしく振舞うことも誰かと親しげに話す事も禁止されていた。それ自体は問題ない。六歳の頃から訓練をして今では自然と出来るようになった。
でも、毎日それが続くと息がつまってしまう。だから、お母様はそんな私を見て、適度に息抜きの時間をくれた。そういう時は、セバスとマリーと私を守る親衛隊『聖女の盾』20人だけで、遠出をするのだった。
名目上は、地方の視察だったが、内実は慰安旅行だった。私はセバスとマリーの前では子供らしく振舞って良いと言われていた。この日も周辺の警護を『聖女の盾』に任せて人目を気にせずに遊ぶ予定だった。だが、ローレライの森に着く前に100人の兵士の襲撃にあった。
『聖女の盾』のメンバーは私を逃がす為に皆、勇敢に戦った。五倍の敵に対して命がけで挑み、50人の敵を道連れにした。
『聖女の盾』が敵を足止めしている間、セバスとマリーは私を連れて逃げたが、馬車と単騎の馬では足が違い過ぎた。すぐに追いつかれて取り囲まれた。マリーとセバスが命がけで戦い。たった二人で30人の敵を屠った。しかし、そこで体力の限界が来た。二人とも殺されそうになっていた。
私は死んではならないと教えられていた。でも、セバスとマリーには死んでほしく無かった。だから、馬車から出て敵兵にこう告げた。
「私は投降します。ですから、そこの二人の命は助けてください」
「嫌だと言ったら?」
「私はここで自害いたします」
そう言って、短剣を取りだし首筋に当てた。すると兵士たちは慌てた。兵士たちの目的を私は知っていた。兵士たちは私を追う際に「殺せ」ではなく「捕まえろ」と言っていた。だから、私は自害すると言った。
「まて、早まるな。二人を開放すれば大人しく連行されるのか?」
「約束いたします。どこへとなり連れて行ってください。抵抗は致しません」
そうして、二人が解放されたと思っていた。
「では、参りましょう」
兵士に連れられて馬車に乗って2時間が経過したころ、一緒に馬車に乗っていた兵士がニヤニヤしながら私を見ていた。気持ち悪いと思っていると、おもむろに右手を掴んで来た。
「離せ!離せ~~~~~~」
私は恐怖のあまり、情けなくも叫んでしまった。
「黙れ、てめぇを守るものは何もねぇんだよ」
兵士は私の左頬を殴った。痛みで眩暈がした。
「ぐっ、う」
不覚にも痛みが私を冷静にさせた。
「ほう、泣かないのか、見上げた根性だな」
こんな奴に殴られて泣き叫んでいたら、私の為に死んでいった者達に申し訳が立たないと思った。
「あんたなんかに負けない」
私がにらみ返すと目の前に漆黒の毛玉が出現した。それは、兵士を吹っ飛ばして私の眼を見た。ともて可愛いワンちゃんだった。
「なにこれ、可愛い~~~」
思わず抱きしめてしまった。緊急事態にもかかわらず私ははしゃいでいた。すると、頬の痛みが引いた。
「あれ?痛みが引いた。ワンちゃん何かしたの?」
「ワン!」
ワンちゃんは自信満々の眼で吼えた。きっと「うん」と言っていると思った。
「ありがとう。いいこね」
私がそう言って撫でるとワンちゃんは嬉しそうにしていた。そして、馬車が止まったので私は逃げる事にした。
「おい、何があった。しっかりしろ!」
そんな声が聞こえた。私はワンちゃんを抱きしめて馬車から飛び出した。
「おい!人質が出て来たぞ!逃がすなよ!」
兵士の一人が大声で叫んだ。私は構わずに兵士たちの包囲網を抜けようと走った。だが、兵士が立ちふさがった。
「逃げれると思うなよ」
そう言って両手を広げて居た。捕まると思った。だが、兵士が吹っ飛んで行った。
「なんだ?何が起こっている!」
私は、このワンちゃんが私を守ってくれていると思った。魔法を使ったので普通の犬ではない事は知っていた。魔物の中には人間に友好的な種族もいた。特に犬型の魔物は使い魔として人間に仕える事で知られていた。
「ワンちゃん。あなた。守ってくれるの?」
「ワン!」
ワンちゃんは任せておけと目で訴えて来た。だから、信じて走る事にした。
「ありがとう。私、頑張って逃げるね」
私が走り出すと急に力がみなぎって来た。いつもより物凄く速く走れた。
「待て!こいつがどうなっても良いのか!」
兵士の一人がメイド服を着た女性の首元に剣を突きつけていた。それは逃がすと約束していたマリーだった。私は騙されていた。
「マリー」
「お逃げください!アンネ様!」
マリーは逃げろと言う。
「でも!」
私が躊躇していると、マリーは自らの命を捨てた。私は馬鹿だった。マリーならそうすると知っていたのに動けなかった。
「クソ!何をやっている!死なれたら人質の意味がないだろうが!」
そう言って別の兵士がマリーに駆け寄り回復の魔法を使った。
「す、すみません!」
「まったく、もう一人を出せ!」
そうして連れてこられたのはセバスだった。ハンサムだった顔は殴られたのか見る影もなく腫れあがっていた。
「私の事は置いて行って下さいアンネ様」
セバスは、掠れるような声でそう言った。
「嫌よ!セバス!」
「こいつを殺されたくなかったら大人しくしていろ!身代金さえもらえれば俺達は良いんだ。命は保証してやる」
兵士たちの言葉を信用する事は出来なかった。すでに約束を反故にされている。逃げれば二人が死ぬ。逃げなければ全員死ぬ。私は、動けなくなってしまった。
すると目の前に黒い球が出現し、球の表面を黒い雷が迸っていた。そして、黒い球から無数の黒い雷が迸り兵士たちを皆殺しにしてしまった。それは、腕の中のワンちゃんがやった事だと思った。これほどの魔法を使うのは魔物ではなく魔族だ。そして、魔族は私の命を狙っている敵だった。
「これ、ワンちゃんがやったの?」
私は平静を装って聞こうと思ったが声が震えしまった。
「ワン!」
ワンちゃんは振り向きもせずに答えた。私は死を覚悟した。今、私を守る者は居ない。魔族がまた、私の命を狙ってきたのだと思った。私は一歩も動けなかった。
ワンちゃんは私の腕から抜け出していった。そして、マリーとセバスの傷を癒してくれた。その光景を見て私は冷静に考えた。ワンちゃんは最初から私を守っていた。殺すつもりなら最初から殺していただろう。だから、私はワンちゃんに駆け寄って、また抱きしめた。
「ありがとう。ワンちゃん。私を守ってくれたんだね。二人も助けてくれてありがとう」
「ワン!」
ワンちゃんは元気に応えてくれた。それから、私はワンちゃんを連れて行くことにした。名前を「シュワルツ」とつけた。シュワちゃんは私の味方だった。魔族だけど味方だった。シュワちゃんを抱きしめていると何故か安心した。
街が近くなったので皇女としての振舞をした。冒険者も雇って、これから国に帰る。そう思っていたが裏切られた。
セバスとマリーは強い。でも、二十人が相手だった。私が不安に思っているとシュワちゃんが目の前で胸を叩いた。
「僕に任せてよ」
そう言っているように見えた。
「シュワちゃん。お願い。二人を助けて!」
「ワン!」
分かったと言われた気がした。
「ありがとう」
そう言って私はシュワちゃんの手を握った。シュワちゃんの手を放すと、シュワちゃんは天井から外に飛び出した。そして、黒い稲妻が走ったが、敵は無事だった。
様子がおかしい。外の状況はどうなっているのかシュワちゃんは無事なのか知りたかった。
≪スキル『愛の奇跡』の条件を満たしました。スキル『視界共有』を獲得しました≫
今まで、聞いたことのない不思議な音声が聞こえた。そして、もう一つの視界を認識した。馬車の上から見た視界だった。セバスとマリーが苦戦しているが分かった。シュワちゃんもどこかで戦っているのだろうか、私は神様に願った。
三人が怪我をしませんように、怪我をしてもすぐに治りますように、敵に勝てますようにと……。
≪スキル『愛の奇跡』の条件を満たしました。魔法『聖女の加護』を獲得しました≫
私はすぐに獲得した魔法を使った。使い方は何となくわかった。
「聖女アンネローゼ・フォン・シュワルツェンドの名において、我を守護する者達に加護を与える」
魔法が発動し、セバスとマリーの動きが良くなった。魔法を使うと自分の中の何かがごっそりと失われたのが分かった。これが魔力なんだなと思った。私は魔法を使ってはいけないと教えられていた。
魔法を使い過ぎると昏倒し、最悪死に至る事がある為、大人になるまで魔法を習う事も禁止されていた。でも、魔法を使わねば二人が死ぬと思ったら使わずにはいられなかった。
魔法のお陰なのか、マリーが魔法使い三人を倒し、視界が急激に変わった後で、最後の魔法使いも死んだ。そして、黒い稲妻が敵をなぎ倒していった。
でも、その後で視界が消えた。馬車の中だけが見えた。何となく直感で分かった。さっきまで見えていた視界はシュワちゃんのものだったと……。そして今は見えない。気絶したのか、それとも死……。
私は恐怖に襲われた。シュワちゃんが死んだ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。死んじゃ嫌だ。
≪スキル『愛の奇跡』の条件を満たしました。魔法『蘇生』を獲得しました≫
私の中でシュワちゃんの存在が大きくなっていた。兵士に襲われそうになっていた時に助けに来てくれた。セバスとマリーを助けてくれた。見ず知らずの私の為に命がけで戦ってくれた。
私は、馬車を飛び出していた。シュワちゃんの居場所はすぐに分かった。胸に矢を受けてぐったりとしていた。
「アンネ様!まだ、敵が!」
マリーが慌てていた。でも、私は真っすぐにシュワちゃんの元に向かった。後ろでマリーが戦っている音が聞こえた。マリーが居る限り、敵は私に近づくことは出来ないと信じていた。
「アンネ様!」
セバスが私を見つけて驚いていた。
「はっは~。人質自ら出て来るとはな」
ウィルの声が聞こえた。
「行かせると思うのか?」
セバスが凄みのある声で答えた。私はセバスにもウィルにも目もくれずにシュワちゃんの元に走った。セバスが私を守ってくれる。それは確定事項なのだ。セバスが近くに居る限りウィルは私に指一本触れる事すら出来ない。
だから、私は走った。シュワちゃんは死んでいた。胸から大量の血を流して微動だにしなかった。悲しみがこみ上げるが、それを飲み込んで魔法を発動させた。
「冥府の神ヘルに願い奉る。この者の魂をお返しくださいませ」
体の中から、莫大な魔力が失われた。私の視界が真っ暗になった。