皇女アンネローゼとの別れ
アンネは自室に戻った。そして、キョウレツインパクトは馬屋に戻され、僕は『聖女の盾』の待機室に案内された。
部屋に入ると、アーサー以外のメンバーから、質問攻撃が始まった。
「本当に居なくなるんですか?」「俺たちが疑ったからですか?」「やっぱり魔王の国に帰るんですか?」「ある人って誰なんですか?」
「お前たち、落ち着け。シュワルツ殿は元々、別の目的があって旅をしている途中でアンネローゼ様の危機を救ってくれたのだ。アンネローゼ様の危機が去ったら旅に戻るのは当然だろう」
アーサーが僕の代わりに答えてくれた。
「それは、そうですが……」
それっきり、騎士たちは何も言ってこなかった。
「それで、アンネローゼ殿下にした約束は本当に守るつもりですか?」
アーサーが僕に確認してきた。僕がまた嘘を吐いていないかの確認だった。
「今度は、本当だよ。黒の殲滅者の誇りにかけて誓うよ」
「みんな、聞いたな、シュワルツ殿は戻ってくる。今生の別れじゃない。だから、温かく送りだそう」
「そうだな、隊長の言う通りだ」「じゃあ、送別会の準備をしなきゃね」「料理は任せて」「荷物運びなら任せろ」
アーサーの言葉でみんな動き出した。そこへ、セバスがやって来た。
「シュワルツ殿、アンネローゼ様がお呼びです」
「分かった。行くよ」
僕が部屋に入るとアンネは泣いていた。人払いは済ませているらしく、中にはマリーしか居なかった。
僕が部屋に入って、セバスが扉を閉めるとアンネは僕の胸に飛び込んで来た。
「嘘つき!嘘つき!嘘つき!嘘つき」
そう言ってポカポカと僕の胸を拳で叩いた。痛みは無かったが心は痛んだ。
「ごめんね。アンネ」
「うう、ひぐっ、うう、帰ってくるって約束は守ってくれる?」
「その約束は守るよ。黒の殲滅者の誇りにかけてね」
「約束だよ。絶対だよ。うう、ひっく」
「ちゃんと、帰ってくるよ」
「じゃあ、これを受け取ってくれる?」
そう言って差し出してきたのは指輪だった。僕が受け取ると、アンネが説明を始めた。
「これは、誓いの指輪っていう魔法の指輪なの、この指輪に誓った事を果たさなかったら死ぬ呪いが掛けてあるの。それでも指輪をはめてくれる?」
(本当は、ずっと一緒に仲良くすると約束した人同士で指にはめる指輪だけど、それだけだとシュワちゃんが、また嘘を吐くかもしれないから、マリーが嘘つけって言った)
アンネの嘘は『真実の魔眼』ですぐに分かったマリーを見ると怒っていた。
(口約束だけでは生ぬるい。嘘つきめ、アンネ様を傷つけた罪は重い。約束をするという事がどういうことなのか思い知らせてやるぞペテン師)
僕はすっかり悪役だった。でも、今度の約束は反故にするつもりは無い。最初は日本に戻って彼女が幸せになるのを確認し、そのまま日本で暮らそうと考えていた。だが、事情が変わった。僕の吐いた嘘でアンネを深く傷つけてしまった。だから、彼女の幸せを確認したら、この世界に戻る事にした。
魔法『異世界転移』を使用した時に僕が望む時間に転移出来るか分からなかった。時間遡行が出来なければ僕が日本に着いた時、僕が死んでから9年後の世界になっている可能性が高かった。その場合、すでに彼女は幸せになっているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
彼女が三十四歳で独身だった場合、僕は彼女が死ぬまで側に居る事になるかもしれないが、アンネが死ぬ前には僕はアンネの元に帰れると思っていた。
ちなみに、時間遡行が可能な場合は、アンネに離れると言ったこと自体が無駄になる。時間遡行が可能なら、僕は彼女の元で彼女を看取った後で、時間遡行してアンネと別れた時間に戻れば良いだけだった。そうなると無駄にアンネを傷つけたことになってしまうが、魔法『異世界転移』がどこまで出来るのかやってみなければ分からなかったから仕方ない。
僕はアンネから指輪を受け取り、誓いを立てた。
「僕は必ずアンネの元に戻ってくることを誓う」
そう言って指輪を着けようとした。すると指輪は勝手に僕の左手の薬指にはまった。
「汝が約束を破った時、私は死ぬことを誓う」
アンネが恐ろしい事を言った。そして、指輪はアンネの薬指にはまった。どうやら、僕はアンネを誤解していたようだ。
「私、シュワちゃんが約束破ったら死ぬからね」
(アンネ様、やっぱりシュワルツが勇者なの?)
一番驚いていたのはマリーだった。なぜなら、アンネが僕に渡した誓いの指輪は貴族階級以上の者が結婚した時に着ける魔法の指輪だったからだ。だが、アンネはそういう意味で捉えていなかった。仲のいい者同士が一生友達だよみたいな感覚で付けるものだと思っていた。
「大丈夫、死なせないよ」
僕は本心からそう言った。だが、よくよく考えると、アンネの約束は何の意味も無い。なぜなら、僕が帰ってこなかったと確認できるのは、アンネが死ぬとき以外にないのだから、僕はいつまでに帰ってくると宣言しなかった。そして、アンネもいつまでにとは言わなかった。だから、死の間際に帰って来たとしても約束は成立してしまうのだ。なので、僕は出来るだけ約束を守ろうと思った。
死ぬ瞬間に「シュワちゃんの嘘つき」と言われるのは嫌だった。どうせなら一日も立たずに戻って「もう戻って来たの?ありがとう」と笑顔にさせたいと思った。
≪スキル『愛の奇跡』の条件を満たしました。魔法『異世界転移』が条件付きで『時間遡行』出来るようになりました≫
意図せずに『愛の奇跡』は発動した。これで、僕がアンネを泣かせたことは無意味になった。だが、さんざん泣かせた後で嘘でしたは言えない。なので、時間がかかると思ったけど用事が予想よりも早く済んだから戻って来たと言おう。
「じゃあ、帰ってくるの楽しみにしてるね」
「ああ」
「ちゃんと約束してくれるのなら、指切りげんまんもしてくれる?」
「ああ、良いよ」
『指切りげんまん。嘘ついたら針千本の~ます。指切った』
僕はこの世界にも日本と同じ風習があるのだなと思っていた。だが、マリーの反応は違った。
(指切りげんまん?何それ?アンネ様は誰からそれを聞いたの?てか、シュワルツ君は普通に応じてたし、魔族の風習なの?)
だから、僕はアンネに聞いた。
「指切りげんまんって、どこで覚えたの?」
「何言ってるの?約束する時の常識でしょう?」
僕は、アンネの言葉の意味を深く考えようとしていなかった。この時、この言葉の意味を理解していたのなら、彼女の元に戻る意味は無かったんだと気が付けた。でも、僕には彼女に再会したいという思いしかなかった。
だから、アンネから発せられていた違和感を無かったことにしてしまった。このせいで僕はずいぶん遠回りをする事になった。だが、それで良かったと思っている。何故なら、これは必然だったのだ。僕は彼女の最後を知る必要があった。でなければ、僕はアンネの本当の願いを叶える事が出来なかったのだから……。
論功行賞から三日後、『聖女の盾』とアンネとセバスとマリーと人間の姿の僕と人間の姿のキョウレツインパクトで送別会が行われた。会場は宮殿の一室を借りていた。送別会にかかった費用は『聖女の盾』のメンバーがお金を持ち寄って用意した。アンネを守る同志の送別会に他人の金を使うのは騎士道精神に反するらしい。
料理は『聖女の盾』の女性陣が用意し、食材の調達とパーティー会場の装飾は男性陣が行った。途中の余興でアーサーとネヴィアが付き合う事になった報告があったり、セバスが実は『朱羅の剣聖』だったことが明かされたり、キョウレツインパクトがスレイプニルだった事が明かされたりした。ただし、キョウレツインパクトには分からないようにオブラートに包んだ形で公表された。
僕とアンネとキョウレツインパクトはお酒を飲んでいないが、僕たち三人以外はお酒を飲んではしゃいでいた。キョウレツインパクトは人間の姿で生のニンジンを貪り食っていた。
「ニンジンうめ~っす」
キョウレツインパクトの発言を聞いて、『聖女の盾』の女性陣の評価が、カッコいいイケメンから、残念なイケメンに変わってしまった。
だが、性格は子供っぽいので、母性本能が強めの何人かはキョウレツインパクトの事を可愛いと思っていた。
アンネは『聖女の盾』が居るから、僕に抱き付いたりはしなかったが、僕の隣を離れなかった。何か話をするのかな?と思ったが、アンネは何も言ってこなかった。
でも、僕の隣に座って、左手の指輪を見て、嬉しそうにしていた。そして、心の中で想っていた。
(信じてるからね。シュワちゃん)
そう言って、みんなに見えないように僕の手を握った。僕もアンネの手に応えるように少しだけ力を入れた。
それだけの事が何故か嬉しいと感じている自分に気が付いた。その感情に名前を付けたくないと思った。付けてしまったら僕の大切な何かが壊れる様な気がした。
翌日、僕は首都ベルンの城門から旅立った。見送りはアンネ、セバス、マリー、アーサー、キョウレツインパクト、『聖女の盾』だった。
「シュワちゃん。約束守ってね」
アンネはそう言った。その約束は確実に履行されるので問題ない。
「もちろんだよ」
「シュワルツ殿、誓いを果たせるように願っておりまずぞ」
「ありがとう。セバス」
「シュワルツ君、約束破らないでね」
(てめぇ、アンネ様をこれ以上悲しませたら、いくら可愛いからといっても承知しねぇからな)
マリーは通常運航だった。
「これ以上、アンネローゼ様を悲しませないと誓います」
「シュワルツ殿、戻ってくるのを待ってます」
アーサーが僕の手を握り目を真っすぐに見て言った。
「ああ、必ず戻ってくるよ」
僕も真っすぐ目を見て答えた。
『シュワルツ殿、貴殿の帰還をいつでもお待ちしております』
聖女の盾の騎士たちが声を揃えてそう言った。僕はかつてこれほど必要とされた事が無かった。だから、不覚にも涙してしまった。
「ありがとう。みんな、僕は自分の誓いを果たしたら必ず戻ってくるよ」
そう言って、手を振って別れた。
みんなが見えなくなってから犬の姿に戻った。アンネからもらった指輪は犬の指の大きさに合わせて小さくなった。そして、毛の中に隠れて見えなくなった。これなら、指輪は着けっぱなしでも問題なさそうだった。そして、翼を隠してから魔法『異世界転移』を発動した。僕を中心に球形の魔方陣が現れた。僕は僕が望む時間軸の日本へ転移した。
そこには、血を流して死んでいる僕と、僕を見て泣いている彼女と、僕を殺した男が居た。僕を殺した男は地面に突っ伏し三人の男に取り押さえられていた。
すぐに救急車と警察が駆け付け、僕の死体は救急車に運び込まれた。すると、彼女は救急隊員に駆け寄った。
「関係者の方ですか?」
「はい、私の恋人です!乗せてください!」
「分かりました。どうぞ、こちらの席に」
そう言って彼女は救急車に乗り込み、僕の死体の手を握った。
「助かりますか?」
不安そうな表情で彼女は救急隊員に聞いた。
「全力を尽くします」
救急隊員は、助からないと思っていたが、それは口にしなかった。




