14.いじめられっ子VS学級委員
球磨川雅、ウチのクラスの学級委員は、腰に両手を当てながら三人の女子を叱責した。
「三人がかりで一人を糾弾しようとしたのは、淑女たる立場で言えば些か品格に欠ける行為ですが、立場上まあ良いでしょう。ですが、相手の言い分を全て聞かない内に暴力に訴えようとするのは、貴方がたの方こそ蛮人の所業ではなくって?」
グッ、と言葉に詰まった三人の女力士は、
「も。もうし訳ありませんでした〜」
と、走って去って行った。何なんだ?
「ところで?」
球磨川雅は俺の方を向くと、
「朝から一体何をやってるのかしらアンタは?」
と、こっちに何故かとばっちりが来た。
実のところ、コイツとは1、2年の時にも同じクラスだった事もあり、旧知の仲? である。その後3、4年生の時は父親に着いてフランスに引っ越したが5年になって戻って来た帰国子女である。人によっては「幼馴染」と豪語する奴も居るだろう。引越し前には彼女の家のホームパーティにも呼ばれた事もある。(尤もクラスの半数以上が呼ばれたが)
だが、コイツと俺とでは決定的に反りが合わない。何と言うか、価値観が合わないのである。
方や、外務省の大使の家のお嬢様。此方、内務省から民間に落ちて家屋敷すら借金のカタに取られた家の孫。すんなり出世街道を登った親を持つ者と、ドロップアウトした祖父と民間でノシ上がろうと言う父親に育てられた貧乏人の家の子。上昇志向の家VS反骨精神の家と言う、普通なら会わない方が幸せな間柄、である。
尤も、先にブチ切れるのは常に相手方ではあるが。
「普段から飄々としててイラッとするあんただけど、ここ暫くのあんたは更に自信ありげなのがイラッとするのよね。一体何があったの?」
おや? 心配してくれているのだろうか?
「どうやらどっかで武術でも習って来たみたいだけど、あんまり多用する様なら、私も黙って見過ごす訳には行かないわよ?」
ヤバ! バレた!?
そういや、格闘習ってる奴なんて居なかったウチのクラスの中で例外中の例外がコイツだったな。合気道、中学の時に確か初段になったと聞いた事があったっけ? この時代、まだ大した腕じゃ無かった筈だが、流石に素人がMMAの技術でなぎ倒されてりゃ見て分かる程度には知識もあるか。
「な、なんの事かに? 全く覚えが無いニャア?」
「誤魔化せて無いわよ。越前蟹は食べたいけど」
何気にこの手の冗談に理解はあるんだよ、いいとこのお嬢様の癖に。
理解はするが「ノリ」はしない。ある意味芸人殺しではある。
「現状まだ話す様な状況じゃあ無いんだよ。何れ追って話す機会はあるだろうけど……」
「じゃあいいわ。別に今すぐ聞きたい訳でも無いし」
じゃあ聞くなし。実のところコイツと絡む様になるのは中学に上がってからなんだよな。そこで出会う俺の親友がコイツに熱を上げた所為で殆ど同じグループで活動するハメになるのだが、やはり三年の時に再度渡仏して今生の別れになるんだよなぁ。
いや、コイツが死ぬ訳じゃ無いよ? むしろ死んだのは俺の方だし、あっちで結婚してフランスで根付くってだけで。むしろ、コイツの母親の方が顧客として会う頻度は高くなる。その度に孫の自慢をされるのは些か居心地悪かったが。
それはそうとして、予鈴が鳴り響く時間となった。早めに出たのにぎりぎりになったのは、こちらとしても遺憾ではあるが。
さて、新学年に進級して早一月余り。若干の環境変化は確かにあった。全体的に歳を重ね落ち着いたとも言える。
それまでの学年では、単に身体能力に優れたおバカな奴が、自分の力を誇示する為に身体能力に劣る「俺」を暴力で蹂躙しようとしていたのが多かった。
この学年位からは変にインテリぶった連中が、俺を「罠にハメ」絶望する様を楽しもうと趣向を凝らして色々と画策して来る様になった。
例えば、俺が学校から帰ると、既に家に上がりこんでいて、俺の母親に俺の「悪事」をある事無い事吹き込み、自分の手は汚さずに母親に暴力を震わせ、それを笑って見ている、だとか。
悪趣味になったとも言える。
この手の輩が禄な大人にはならないだろう事は明白ではあるが、実際、大人になって役人になった、主犯の「嶋田」は、
「俺様が優秀だから、様々な企業が『俺様宛に』色々な便宜をはかったり、莫大なリベートを提供してくれる。つまりはそれこそが優秀な人間である事の『証明』なのだ!!」
等とクラス会で聞いても居ないのに自慢していたものだ。
要は、賄賂さえ宛がっておけば企業が自由に出来る「チョロい」莫迦だと認識されてるだけである。知らぬは当人ばかりなりとはいえ、余りにも哀れを誘うその姿に誰も糾弾すると言う事をしなかったのも、いまとなっては良い思い出だ。
と、まあ、それはさておき、このクラスのヒエラルキーについて、ちょい説明をば。
以前グループ毎の序列はちょっとだけ話したが、今回は成績を加味した個人編である。
孤高の一位に君臨するのが目の前の「球磨川雅」でほぼオール5の才女である。ほぼ、と注釈したのは例外的に「家庭科」が壊滅的である為である。母親が料理スキルパネぇ系で、ホームパーティでも凄い料理を作ってご馳走してくれる程なのに、いや、だからこそ当人にその理由付が無いが故にその辺のスキルが欠けているのだろう。そして、それ故中学の時、母親から地獄の大特訓を受けるまでは知らん顔して我が世の春を謳歌していたのである。うん、あの時のパーティは地獄だった。招待された俺らも。
もといっ! 次に来るのが、多分初出だと思うが、東郷大駆。どっかのグループと言う訳では無いがそつなく分け隔てなく付き合えるコミュ力の持ち主。曽祖父が帝国海軍元帥のアノ人らしい。杉並区内にある唯一の億ションに住み(なんとプールまで敷地内にある)毎日リンカーンに乗って登校するマジもんのおぼっちゃまくんである。故にツッコミ辛い。俺と敵対していないクラスの中では稀有な存在ではある。
そして、3〜5位には嶋田のグループが居るが、こちらは成績が安定しているとは言い難い。時には俺が奴らを抜かしてその辺に入る事もあるからだ。と、言うか、直近のテストでは俺が2位タイだったんだけどね。いや〜、三十年振りに受けたけど、結構覚えてるモンやね。
以降は、ホント毎回入れ替わるので参考にはならないから差し控えるが、別の意味で孤高の一位グループがある。それが不良の「鈴木春男」のグループだ。3、4年の時は全テスト無回答。名前さえ間違えて書いてからは記入すらしなくなったとか。それでも一軍を仕切る立場にあるのは、彼の兄の存在がある。
「鈴木慎介」中学2年。前世では弟と一緒になって俺の家に遊びに来た事もあるが、当時の公立中学では問題児として有名だった一匹狼の不良である。
まあ、端的に言えば彼らの家は貧乏だった。シングルマザーの母親が弁当の仕出し屋で働いてほぼ一日中不在。そんな中で禄に金も無く放置されていれば、彼らの行動は自ずと限られて来る。空きっ腹を何とかする為に様々な悪事を働くとか、だ。
川を泳いでる鯉を捕まえて焼魚にしたり、鳩を捕まえて焼いて食ったりは序の口。効率の悪さを学習すると、次に覚えたのが万引や仲間の家から様々なモノを借りパクしたり、下手をすれば不在宅に入って飲み食いした挙げ句金目のモノを奪って来るとか。それも、五年になる頃には、マジで知らない家に二階から侵入し、空き巣を働くといった有様である。
結果、中学に進学する前には近所に居辛くなった事もあり、引っ越してその後の事は知らないが。
家に来たときは大丈夫だったかって? 当時、滅多に友達を連れて来ない俺の事。母親がいたく感激して、結構な歓待をした挙げ句、お腹いっぱいになって帰った彼ら兄弟は、去り際に兄の「お邪魔しました」の一言があって我が家では意外にも評判が良かったのである。
まあ、奴らの事は今はどうでもいい。目の前の球磨川雅がまだ俺に何かを言いたげなのである。
◆
くっ、悔しい。
私、球磨川 雅は目の前に居る小さな同級生、三条三峯に、今回のテストで完膚なきまでに「負かされた」。
今回だけは私が一位を名乗っていられるのは単に私の答案が「改変」されていた所為だ。それは書いた私自身が一番良く理解している。それさえ無ければ三条三峯が一位だったはずなのに、私は、自らの立場の為にこの「不正」を糾弾する事も出来ない。
分かっている。この感情の猛りは、単に自分自身へと向いている「嫌悪感」でしか無いと言う事を。それを彼へと向ける事は私が「卑怯」である事の「動かぬ証拠」だと言うことも。
彼と私は一年生の時からの「友達」である。海外に居た私は幼稚園とか保育園と言う物に通った事は無い。当時は大使館の中で家庭教師の世話になり幼児教育を受けていた。
友達の一人も居ない私を不憫に思った父が、帰国後私をあえて公立小学校に編入させてくれた、その時の最初に出来た友達の一人が目の前に居る「三条三峯」だった。
他の友達と彼は違っていた。
誰もが親切に私に接していた事もあり、それらは大使館時代の職員の人達の延長線でしか無かった。
でも彼は、生まれて初めて「喧嘩」した相手でもある。
切っ掛けは些細な事だった。
いきなりスカートを捲られたのだ。
当時、クラスの男子の間ではスカート捲りが流行っていた。私はその状況に憤りを感じており、彼もまた、禄に考えも無しに私のスカートを捲ったと思っていた。
だから、恥ずかしいとか、悔しいとか感じる前に手が出ていたのだ。
びった~ん!!
体格の良かった私が体格的に最下位の彼を叩けばどうなるか、私にはその経験も想像も無かったから、それこそ全力での攻撃となった。
必然、彼は座っていた机から吹き飛び失神すると共に、隣の机に頭を打ち付け出血までしていた。
その事実に私は戦慄した。自分の行った野蛮な行為により人を傷付けた事に恐れおののいたのだ。
当時から私はクラスメイトよりも体格が良くピアノの先生の伝手でモデルの仕事を勧められる位だった。一方、三条三峯は、体重20キロにも届かない小さな男の子。倍とは言わないがそれなりに体格差のある相手に暴力を振るうと言う事がどういう事か、知る由もなかった。
宙に浮き、数メートル吹き飛ばされた彼は、額から血を流しながら逆上して襲い掛かって来た。
「いきなり何すんだ!? スカートん中に虫が入ったから出そうとしただけなのにっ!?」
それならそうと口で言えばいい。
何故こんなにデリカシーに欠けるのか、理解に苦しむが悪気で無いのはわかった。だからといって最早この感情はどうにもならなかった。
結局、この時生まれて初めて取っ組み合いの喧嘩と言うものを経験した。初めての体験は、思ったよりもずっと気持ちいい物だったのだ。
その日の夕食時、私は父と母にその事をカミングアウトしたのだが、父は流石に呆れた様にドン引きしていたが、母の方は
「あら、それは恋だわよ。そうして本音をぶつけ合える相手は大事にしなきゃね」
とか宣った。絶対違うと思う。
いずれにせよ、その日から私にとってアイツは他の友達とは違う何かになった事だけは確かである。
くれぐれも言っておくが、絶対違うんだからねっ!!
お待たせして申し訳ございません。
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きっと貴方にも良い事が訪れるはずです。