タイムリープした「俺氏」己が人生を振り返るのコト。
どうしてこうなった!?
俺、は、朝、目が覚めると
小学生になっていた!?
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!
おちけつ! いや、落ち着け!
息を整えて深呼吸。
ヒッヒッふぉー!
…………………………何故最後HGになったし?
先ずは、カレンダーを確認して、時代を確認する必要があるな。
えーと、日めくりを確認すると、4月1日エープリルフールか。年は……1989年?
その意味を察した時、俺はある種の天啓を得た気持ちだった。
1989年。即ちそれは「昭和天皇」が身罷った年。つまりは「平成元年」である。当時俺は10歳のクソ餓鬼だった。
斜に構えた鼻持ちならない「イジメられっ子」
だが、その元凶となった理由が「一重瞼の目付が悪い」からと言う何ともどうしようも無い理由からだった。
むしろ、それ以外は典型的「美少年」と言っても良い容姿。肌は白く目立つ位置に黒子なども無い。むしろ、四十に届いた2020年当時ですら、女のコから
「美肌で羨ましい! 体毛もワタシより薄いし」
とか嫉妬されるレベル。見た目年齢は25歳位からほとんど変わらなかったのも、遅れた「モテ期」到来の理由だったかも知れない。
尤も、問題の「一重」が年齢と共に解消され、悪化した視力の為「メガネ男子」となった事もウケが良くなった理由かも知れない。
◆
翻って当時の俺は、
毎日毎日泣いていた。
毎日毎日泣きながら眠りに付き、「今日は生きて帰れた。明日は、生きて帰れるだろうか?」
と、真剣に考えていた。
当時の俺は、嫌悪の対象だった。
一重で目付が悪い! と言うのもあっただろうが、ぶっちゃけ年の半分位は「顔面崩壊」している有様では、普通なら「可哀想」と思ってくれてる様な優しい相手でも、連日ホラー映画ばりの姿を晒す存在など、見ようともされなくなるのも道理である。
何しろ、それが日常なのだ。
それが毎日なのだ。
やがて、それが可哀想→気持ち悪い! と変遷して行くのも無理の無い話である。
そして、もう一つの理由が、当時の俺は同世代の子供の中で最低レベルの身体能力しか持っていなかったから、である。
幼少期から食が細く、ちょっとでも多く食べる(と、言ってもお子様ランチ一人前とか)と吐いて戻していた。
それは小学生になり、給食が始まっても同じである。
当時の身長、体重は122cm、21kgである。これは、小学一年〜二年生の間位だろうか? 四年生の平均である133cm、32kgと比較すると、明らかに見劣りする数値である。しかも、これは全国平均。当時のカースト上位に居る男子なら、既に身長150cm、体重50kg程の生徒はザラに居た。
それらが何の遠慮も会釈も無しに毎日暴力を振るって楽しんでいるのだ。
プロ格闘技の世界では20kgの体重差があれば、普通は周囲のスタッフがそもそも試合を組まない。それは何故かと言うと、それだけ体重差のある相手との戦闘が危険だからだある。
体重の分だけ一撃が重い。リーチもそれだけ長ければ、例えカウンターを的確に当てようとしても、そもそも相手に届かない。
それだけ安全な所から「暴力」を楽しめる丁度良い「獲物」として、それが当時の俺の「レゾンデートル」であった。少なくとも周囲はそう見ていた。
そこまですれば流石に大人は黙って居ないだろう!
そう主張する「善意の第三者」もいるかも知れない。
だが、甘い!
そう思うのも、「善意の第三者」が「善意の第三者」たる所以あっての事。実際当事者になった「大人」とやらが何をしたのか、当時の再現と、後に判明した事実を元に考察してみよう。
四年生当時の担任になったのは、就任間も無い「女教師」であった。
そう聞くと、R18展開なら「餌食」にされる側を想像されるかも知れないが、実際は大学院を出た後、数年の浪人時代を経験した着任当初から既に「オールドミス」と言っても良い年齢だった。無論、容姿も十人並み。ましてや社会人経験も無くいきなり「担任」である。当人の「理屈が先に来る」性格も、お世辞にも教師に向いていない、多少知恵を持ってるだけの「小市民」である。
そんな彼女が着任早々「イジメ」の問題のあるクラスを任されて真っ当な精神で居られる訳が無い。
彼女が選んだ選択は、
そんなものは存在しないとばかりに無視する事だった。
彼女は、問題のある「男子生徒」からは距離を取り、カースト上位の「女子」とのみ交流を持ってスタートしたばかりの教師生活をエンジョイしだしたのだ。
授業では女子ばかりを褒め称え、休み時間にはカースト上位の女子との交流を育み、挙げ句、プライベートでは、自身の誕生日に彼女達を自宅に招待してパーティーを開いたりもした。
その際、女子生徒が親に買って貰った高価なプレゼントを受け取ったのを切っ掛けに、盆暮れの付届けを繰り返した生徒だけを依怙贔屓する様になる。
問題が発覚したのは、一年程後。
誕生パーティーに呼ばれたカースト最上位の女子の母親が、同じカースト上位男子の母親にその辺の話をPTAの会で話題に出したからだ。
同じカースト上位としてのプライドもあったのだろう。男子を無視して、女子のみを自宅に招待してパーティーをするとか、その男子の母親は女教師を絶対に許さなかった。
すると、出てくる出てくる担任に対する不満が男子の母親から。結局、学校に居られなくなり、たった二年で彼女は転勤と相成った。
何れにしろ、その一年間、俺の問題は無視されっぱだった。悪化はしても改善の兆しすら無かった。むしろ、男子(と、その母親)の鬱憤までも俺が受け止めていた有様である。
やがて、年度が変わり五年生になると、新たな担任教師は同じ新人でも「男性教師」であった。
正直、自身としては初の「男性担任」である。少なくともいくら体格が良いと言ってもたかだかイジメをする程度の「男子生徒」に負ける筈も無いと、期待もしていた。
だが、結論から先に言うと、この「男性教師」はとんだ「暴力教師」だったのだ。