第八話『物事が上手く進まない』
「あれ?」
俺は首を傾げた。
こういう時に限って魔法が発動しないとは…… このままではグレンの前で大恥を掻くことになってしまう。
再び俺は右手に意識を集中させて、『開け、ゴマ』と唱えた。しかし、数回繰り返してみるものの、扉が開くことはなかった。
そんな俺を見て、遂にグレンも笑いを堪えられなかったのか吹き出した。
「アルス、無詠唱なんて出来るはずが無いだろう。素直に魔法を唱えたらいいのに」
「確かに俺はこれで魔法が使えたんだっ!」
どうしても魔法が発動しないため、俺は頭を抱えた。
これは素直に唱えるべきなのだろうか…… そういえば詠唱方法すら分からないぞ。
「普通に魔法を使ってみるのはどうかな?」
「普通にって、どうすればいいんだ?」
「まずは体内の魔力を感じるんだ。感じることが出来たら、それを一点に溜めるように意識する。後は術詞に合わせて魔力を放出するだけ
。案外、簡単でしょ?」
いやいやいや、全く簡単そうには聞こえないんだが!? 今まで『開け、ゴマ』を使ったときだって、特に何も感じなかったぞ……
兎に角、今は集中だ。
俺は右手に意識を集中させた。
これが出来るようにならなくては、入学することすら出来ないのだ。
そう思うと、額から焦りの汗が流れた。
考えるな、感じろ。それっぽいことを言っておけば、どうにかなる筈だ。
「特定開閉っ」
二人の間に沈黙が流れた。
瞑っていた目を開くが、扉に魔法は掛かっていなかった。
「グレン…… 入学はいつだ?」
「明後日だね」
「…… 今から特訓に付き合ってもらってもいいか?」
「僕で良ければ」
剣技、もしくは魔法が使えなければならない。それがアズレット王国学園に入学するための最低ラインだ。何故なら、そのような物から教えようとなると、莫大な時間と費用が掛かってしまうからだ。
第一、冒険者学校に入学を試みる者の殆どが入学前から何らかの稽古を付けている割合が高い。しかも、アズレット王国学園は主に貴族が通うような学校である。騎士、もしくは魔術師の一人や二人くらい家に仕えているのだろう。
という訳で、限られた時間の中、俺は魔法を覚えなければならないことになった。
――
何度かグレンに魔法を実践してもらい、まずは見て習うことにした。
しかし何度見ても、詠唱後、扉が紫色に光ることくらいしか確認できなかった。今まで『開け、ゴマ』で発現していたものと同じである。
諦めかけ、もう一度『開け、ゴマ』を唱えてみるも、いくらやっても魔法が発動することはなかった。
廊下で立ち続けること一時間、髪の毛がボサボサになったリリーさんが俺達の横を通った。
「リリーさんっ、何があったんですか?」
「『ソフィーちゃんに女の子っぽい服を着させるようにと』お説教されちゃいました」
「さっき、王様に別の服を用意してくれって頼んだところだぞ!?」
「王様はなんて言ってましたか?」
「俺のことをからかいながら『用意しておこう』的な事を言ってたな」
「…… 実はあの服、ロッジ陛下の趣味なんですよ」
「「……」」
あいつ、あの面してどんな性癖してるんだよ。俺にあんなドレス着させるとか、ロリコンか!?
衣装室であんな感じの服を他にも見かけたが、もしかして娘でもいるのか?
「この国に姫は――」
「居ません」
「マジか……」
リリーさんは溜め息を吐いた。彼女も相当がっかりしているのだろう、王様の性癖に。
こりゃ、完全に趣味用だな。
そういえば、王女様を見かけなかったけど、もしかしたら王女用か? それにしては小さいな。王女様は見かけなかったけど、ちっこい体型なのは間違いないだろう。
それしても、今後俺がこんな服を着るとなると精神的に死ぬな。多分、いや、絶対だ。
「あっ、お二人のお洋服の寸法を図るのを忘れていました!」
「寸法? 何のために?」
「学校の制服ですよ。指定のものが決められているんです」
制服…… 俺もうこの感じから読めていますよ。多分きっと理不尽なやつですよね。でも、一応聞いておこう。聞かないってのは後悔する可能性があるからな。
「俺の制服って女子用だよな?」
「勿論ですよ。フリルはそんなに付いていないから安心してくださいねっ」
安心も何も、女子用の服が着たくないんだが。俺が男だったことを皆に言ったほうが良いのか? でも信じてくれそうにないな。もしかしたらそんな魔法が存在していないのかも知れない。いっそのこと『俺、実は男の娘なんですっ』的な感じのほうが、理解度が高そうだ。
「先程まで、ここで何をしていたのですか?」
「魔法の練習です。明後日までにソフィーが魔法を使えるようにならないと学園に入学出来ないんです」
「魔法が使えないって、生活魔法もですか?」
俺の顔を見つめるリリーさん。その答えは、俺の表情で察したようだ。
「でしたら、明日一日中私が魔法のお稽古をしてあげましょうか?」
「本当か!?」
「ええ、教えるのには自身があるんですよ! これでも、昔は先生を目指していたんですからっ」
思わずリリーさんの手を握ってしまった。
リリーさんは少し驚いた表情を見せるも、にっこりと俺に微笑んでくれた。
「お風呂の支度が済ませてあるので、夜ご飯が出来上がる前に入られてはどうでしょうか? お湯加減はバッチリですよっ」
「そうするよ」
俺達はリリーさんに案内され、お風呂場へと向かった。
ちなみに俺達は二日間以上風呂に入っていない為、多分臭う。
少女特有の良い香り? そんなの幻想だよバーカ。
無意識でグレンの後に付いていき、男風呂に一度入ってしまったのはさておき、俺は真っ黒でふりっふりの無駄にでかいドレスを脱ごうとした。が、一人では脱げなかった。幸なことに俺の服の寸法を測りにきたリリーさんに手伝ってもらうことで、脱ぐことが出来た。これを一人で脱げるようになるには、何年掛かるのだろうか……
リリーさんに背中を流され、おまけに頭と身体さえも現れてしまった。おいおい、全身洗ってもらってるじゃねーか。子供扱いしてほしくない気持ちと同時に、女の人に身体を洗ってもらうという背徳感を味わっていた。
ゆっくりと湯船に浸かり、疲れを癒やす。
この身体に慣れていない為か、未だに直視することが出来ない。触るのも申し訳ないくらいだ。
それにしても今日は身体が怠かったな…… あの風邪に患った時のような身体の倦怠感は何だったんだ? 時々ふらつくような感覚に陥っていたけど、あの魔導書の呪いとかじゃないだろうな? …… 考えていても仕方がないか。治ってくれればそれで良い。
数分湯船に使った後、俺は風呂から上がった。
着替えの服は、リリーさんが持ってきてくれた無駄に可愛らしい寝間着だ。リリーさんは俺の事を分かってくれているのか、分かってくれていないのか今一理解できない。
その夜、俺は王様が、従える侍女達全員にロリ衣装を着るように命令するという何とも不快な夢を見た。
朝、目覚めると同時に俺は神に祈った。『どうか、正夢じゃありませんように』と……
――
朝の支度を済ませると、俺はグレン、そして侍女のリリーさんと共に魔法の練習をするために城の庭園へと向かった。
庭園には華やかな花が植えられ、木々も生い茂っていて、昼寝には丁度よい場所だ。
現在、俺はリリーさんから手取り足取りの指導を受けているのだが、始めてからもう三十分は経っている。
中々上手く魔法を使うことが出来ず、俺が苦笑いするも、リリーさんは優しい笑顔を返してくる。これではリリーさんの貴重な休日を台無しにしているのではないのかと心配になってきた。
「ソフィーちゃんは魔法を使ったことが無いの?」
「今までは普通に使えていたんです」
俺は地面に視線を向け、何故か不慣れな敬語を使い始めた。相当、気が滅入っているということは俺本人でも理解している。
「一度、休憩したらどうだい?」
そう声を掛けてきたのはグレンだった。
リリーさんがそれに頷き、俺の手を引っ張った。
「俺はここに残って練習を続ける」
「ソフィーちゃんも一度休憩したほうが良いよ?」
「大丈夫です」
何度も休憩を取るように催促してくるリリーさんを頑なに拒んだ。
詰め寄るリリーさんの身体を両手で押すものの、体重があまりにも違う為か、全く押し返すことが出来なかった。
暫くすると、俺の身体が宙に浮いた。グレンが俺を持ち上げていたのだ。
この身体になってから随分と体重が減ったなと、関心していたのだが、今はそれどころではない。
じたばたと身体を動かし、グレンの拘束から逃れた。
少し距離を置いて、グレンを睨みつけた。
「俺は魔法の練習がしたいんだ。グレンだって練習に付き合ってくれる約束だろう? 何故、邪魔するんだ」
段々と近づいてきたグレンは俺の側に辿り着くと、ぽんぽんと頭を撫でた。
「そういう訳じゃないんだ。ソフィーだってそんなに焦らなくても良いんじゃないかな? このままじゃ何も進まないよ?」
グレンの気持ちとは裏腹に、沸々と湧き上がるもやもやとした感情に俺の心は蝕まれていた。
次の瞬間、辺りに軽い衝撃音が響いた。
口を手で隠すも、驚きを隠せないリリーさん。そして、唖然とするグレンの様子。
その時、俺の頭の中身は真っ白で、完全に理性を失っていたのかも知れない。
――そう、俺はグレンの頬を思いっきり叩いていたのである。
はっと我に帰った俺は、いつもの癖でグレンに謝ろうとしていたが、今回は違う。
今まで考え込んでいた事をすっと吐き出すかの如く、俺はグレンに向かって叫んだ。
「ソフィー、ソフィー、ソフィーって…… もうその名前にもうんざりだっ! 俺が変わってからというものの、明らかにお前の態度が違う。今まで通りに接して欲しいのに、これじゃあグレンが別人に変わったみたいだっ」
「ソフィー、落ち着いてくれ。リリーさんも困っているだろう」
「だからその名前で呼ぶなっ」
崩れ落ちるように倒れた俺は、何故か涙を堪えることが出来なかった。
そんな俺の姿を見たリリーさんは、俺を両腕の中に優しく抱きしめてくれた。
呪いだ…… これは神の呪いに違いない。
皆に自分を否定される…… こんな事が俺に耐えられるのだろうか? いや、耐えられなかったのがこの結果なのかも知れない。
もし、自分がある日を境に別の人物へと変わってしまったら、人はその状況をどう乗り切るのだろうか? 周りからの反応は今までと同じなのだろうか? 人は本当に表面だけではなく、中身を見ているのだろうか?
もしかしたら、この状況を羨む人間も居るかも知れない。しかし、現実にこのような事が起こることは無い。
俺は確かに男として生まれ、男として生きていた。それは二回目の人生でも同じことだ。
前世の親との別れは寂しかったものの、この世界の俺を愛してくれる両親だって確かに居るんだ。彼らに悲しい思いをさせたくない、俺はその一心で生きてきたんだ。
十五年間の歳月を家の中で過ごした神からの罰なのかも知れない。けれど、何故俺は神の命令に従わなければならないのだろうか? 何故、俺に頼んだのだろうか。俺には訳が分からなかった。
この身体になってから陸でもない事ばかり―― この身体になってから?
俺はあることに気がついた。気がついていなかったことに気がついた。
「そうか…… そういう事だったのか」
きょとんとした表情を見せるリリーさん。
頬に流れる涙を袖で拭い、そっとリリーさんの腕をほどいた。
そのまま立ち上がり、グレンの耳元まで近寄って、小さな声で言った。
「俺、この身体になってから魔法が使えなくなったんだ」
「――っ、それはどういう」
「何もかもが分からない。魔法が使えないのも、この身体に変身してしまったことも……」
「でも、この世に生きる全ての生物は魔法が使える筈じゃないか」
「だから俺は神の呪いだと考えている」
「神の呪い?」
「嗚呼、神の呪いだ」
そうして俺はこの世界に生まれた経緯を初めて他の誰かに伝えた。今までは理解されることがないと思い、誰にも話していなかったのである。否、もしかしたら心の中で誰かに否定されることを恐れていたのかも知れない。
グレンは驚きの表情を見せるも、俺の話を理解し、そして信じてくれたらしい。
「神と会ったことがある、か……」
「叡智の神ホムマリス様のことですか?」
「ホムマリス? 確かに彼奴は叡智の神だと自称していたが、ソフィリアって名前だったぞ?」
「そ、ソフィリアっ!?」
「何をそんなに驚いているんだ?」
「ソフィリアって言ったら、数千年前にこの世界を滅亡へと導こうとした邪神の名前ですよっ! それを食い止めたのが叡智の神ホムマリス様なんです」
「じゃあ、俺が会ったのは邪神だったって言いたいのか?」
「そ、そうなりますね」
邪神か…… 呪いを掛けてきたのにも辻褄が合うな。
だとしたら、俺は邪神に弄ばれているということなのか? 何とも憎たらしいな。
「となると、俺は剣も魔法も使えないことになるな」
「どうにかして呪いを解くことが出来ないのかな?」
「王国宮廷魔道士団の人達に頼めばどうにかしてくれるかも知れませんが、今は遠征でお城に居ませんし…… はぁ、これは難しそうですね」
――
魔法が使えるようになることを完全に諦めた俺達は、城に戻り昼食を摂ることにした。
先程の件もあり、食欲があまり無い。おもむろに食事を口の中へと運ぶ俺達。
魔法が使えないことが分かり、一件落着したかの様に思ったものの、今度はグレンとの間に微妙な距離が出来てしまった。
無言が続く中、隣に立っていたリリーさんが俺に声を掛けてきた。
「剣術や魔法が使えなくとも、冒険に行くことは出来ますし、王様に頼んで入学だけでもさせて貰えるように頼みましょうよ。きっと王様ならお許しをくださいますよ」
「入学ねぇ……」
入学が出来たとして、皆が実習をしている間、俺は見学でもしておけと言うのか? それは流石に無いだろう。
「いっそのこと、初心に帰って剣を使ってみるのも手だな……」
「ソフ―― それは本気で言っているのかい?」
「嗚呼、短剣やら軽い剣ならどうにか使えるかも知れない」
「確かに…… 護身用に持ち歩いている人も居ますしね」
試験を通過するかどうかは定かではないが、現状はこれで行くしか無い。
当たって砕けろ。まあ、できれば砕け散りたくはないが、なるようになるだろう。
「俺は明日までに短剣を用意したいから、この後馬車を用意してくれないか? 出来ればおすすめの武器屋も教えて欲しい」
「わ、分かりましたっ」
呪いだって、俺がただ決めつけているだけだし…… それにあの神様だ。あの口調と性格は邪神が持つようなものとは到底思えなかった。確かにあのお願いは一方的であったが、特に酷いものではない。生まれた家庭も環境も十二分だったし、信頼できる友人だって出来た。
心の中で何度もそう言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる。
ぎくしゃくとした空気の中、ナイフとフォークが擦れる音だけが耳に残った。
「短剣にでも馴れておくか……」
「それだったら、調理場に丁度良い練習が――」
「俺は食材を切りたい訳じゃないぞ?」
「あぅ……」
俺が真剣な口調でリリーさんの冗談に対応すると、リリーさんからだらしない声が漏れた。
――
リリーさんの休日とは一体……
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