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8月20日
午前10時。
私は約束通り魚ヶ崎駅前に到着していた。
今日は、高野にしては珍しく、5分程遅刻してきた。
「はあっ・・・はあっ・・・、ごめんね。少し遅れちゃって。」
高野は肩で息をしながら申し訳なさそうにする。
「いや、別に時間に追われている訳ではないし、気にしないでくれ。しかし、高野にしては珍しいな。寝坊でもしたか?また例の遠足の前の日は眠れないモードというやつか?」
「ちっ、違うよ!?ちゃんと寝た!・・・わけではないけど、ちょっと朝用意してたものがあって。」
やはり眠れなかったのか。まあ私も人のことは言えないが。
それにしても用意とは、確かに高野は今日肩から提げている鞄はいつもより少し大きめだ。何か入っているのだろうか。
「そうか。なら楽しみにしていて構わないのかな?」
「・・・う、うん。喜んでくれたらいいな。」
「ふふ。では楽しみが1つ増えたところで、そろそろ行こうか?」
「うん!」
そう言って笑顔で返事をする高野は可愛さ倍増だった。
水族館は最寄り駅が明岩駅であり、そこからはバスで20分程行かなければならない。私達が水族館に到着する頃にはもう11時少し前だった。
「今日は空いてそうだね。」
「ああ。そうだな。お盆明けというのもあるし、一応平日だからな。暑いし早く中に入ろう。」
そう言って私達はチケットを購入し、中に入る。この水族館は大きさもそこそこある割に、市営なのか入館料がとにかく安い。学生ならば1人600円で入れてしまう。なので金銭的に乏しい高校生カップルなどは行っておいて損はない場所だ。
中に入ると、いきなり目の前に巨大水槽が現れた。エイやマグロ、その他大小様々な魚や海の生物が所狭しと泳いでいる様は圧巻だ。
「わー!すごーい!」
高野は小走りで水槽の前に走っていく。今日の高野は青に白い水玉模様の入ったワンピースを着て、少しヒールのあるサンダルといった格好だ。薄暗い水槽の前に立つと、高野も水の中へと溶け込んで、水の精のようだ。などと考えてしまうのは、やはり私が高野に惚れ込んでいるからなのだろうか。
しばらく水槽を眺めていた高野はこちらを振り返って手招きしてくる。
「君島くんもこっちで一緒に見ようよ!」
そんな高野の笑顔を見て、あながち私の見解も間違っていないはずだと思ってしまうのだった。
そして2人は色々な海の生物に囲まれながら、一時間程見て回り、やがて最初に見た巨大水槽の裏手に回ってきた。
そこは水槽の前の空間が広い段差になっており、座ったりしてゆったりとくつろげるスペースになっている。
「ちょっと休憩しよっか。」
そう言って高野は空いているスペースに腰かけた。私も隣に座る。
「あのね。朝言ってたことなんだけど。」
高野は鞄の中から1つの包みを取り出した。
「それが用意していたものなのか?」
「うん。お口に合うかどうかわからないけど・・・。」
包みを開くとサンドイッチが入っていた。
「これを作ってきてくれたのか?」
「うん。食べてくれる?」
「もちろんだ。」
「じゃ、じゃあ・・・あーん。」
高野はサンドイッチを1つつまんで私の口へと運ぼうとする。
「え?食べさせてくれる感じなのか?」
さすがに薄暗くて回りに人は少ないとはいえ、高校生にもなってサンドイッチを食べさせてもらうのには抵抗があった。
「え?そうだよ?だって、恋人同士ならお弁当あーんは常識だから大丈夫って言ってたよ?」
「?誰が?」
「え?しい・・・。」
突然高野はハッとなって目を斜め上に逸らした。
「えっと・・・シー・・・マスター?」
「シーマスター!?」
「そうそう!海のマスターだよ?海に詳しい人!水族館のことは持ってこいみたいな!そんな人が言ってたんだから間違いないよ!?水族館でね!あーんくらいはやってのけようよ!」
何だか訳のわからないことを早口で口走っている高野だったが、私は高野のそんな気持ちが可愛らし過ぎたので、話に乗ることにした。
「そ、そうか。では仕方ないな。私もまだまだ学習が足りないらしい。高野、改めてお願いしてもいいか?」
「う、うん・・・。」
そうして口に運ばれたサンドイッチはほとんど味がわからなかったのだった。