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人間の生態

よく「あの人はいつも自分のことより他人のことを優先していて偉い!」だとか、

「私は何か他人の役に立つことがしたいんです」だとか言っている人がいるが、自分自身でそれが醜い自己顕示の塊だとわかってやっている人は少ないだろう。

それが悪いこととは思わない。生きるために必要なことなのだから仕方ないと思う。

他人のことを優先しようとしていることの何が生きるために必要なのか?

それはまた後々説明しよう。


これは、周りから「ひねくれてる」とよく言われるような私の、起こったことや思ったこと、感じたことなどを書いていく、いわば日記のようなものである。他人が読むことはないと思うが、もし私が大事に保管しているこの日記が読まれることがあったら、私はたちまち嫌われものだろう。

というのも、いつも学校やその他の公共の場では、私は良い顔をしているのだ。周りの人もどうせ繕っているだけだろう。疲れるものだ。誰一人自分の本当の姿を現そうとしない。私もそうなのだが。


さて、自分の日記ではあるが、一応自己紹介をしておこう。私が本当に私なのかわからなくなることがたまにある...


私は生斗(いくと)。今現在の年齢は17。家から自転車で30分のところにある高校に通っている二年生だ。

好きなことはアニメを見ること、嫌いなことは人間関係と芸能人。

小学校のときから友達を作るのが苦手で、中学校の時も仲の良かった友達のクラスに休み時間ごとに行くくらいの友達の少なさと社交性の低さを発揮してきたが、ボッチではない。絶妙な立ち位置を保っていたのだ。

中学を卒業してからは仲のいい友達とは目と鼻の先にある別の高校に通うことになった。家も目と鼻の先だが、高校入学後から全くかかわらなくなった。仲がいいとは思っていても結局それだけの仲だったということか。別にいい。高校では新しく仲のいい友達が三人ほどできた。今はクラス内でその3人との四人組グループで存在しているような立ち位置にいる。まぁうちのクラスは入学式の時と全く同じような距離感で、ほかのクラスにあるような色恋沙汰はもちろん、男女の間でまともに会話がされたことすらない。文化祭の合唱コンクールは二年連続で最下位。当然だ。でも誰も悲しまない。

話を戻すが、今私が所属しているその四人組というのは、不登校気味で女子からキモがられるタイプの人が一人、常にかっこつけたがる根っからのイキリオタクが一人、周囲には愛想を振りまいて人の機嫌を伺おうとするクソぶりっ子タイプ(男だが)が一人、そして目つきが悪くて常に怒ってると思われてて誰も近寄ろうとしないこの日記の著者が一人、のメンバーである。要するに嫌われものが集まっただけのグループだ。

毎日うんざりする。こいつらの自己顕示に付き合ってると本当に怒りそうだが、そんなことしたらやっと半分終わった高校生活が残り地獄になってしまうので毎日耐える。


自己紹介、というか今の身辺の状況報告になってしまったが、自分用なのであまり達者な文章は求めないでおく。


さて冒頭に戻るが、ここで私の17年間生きてきた中で学習した人間の生態というものを僭越ながら述べさせていただくことにしよう。

結論から言えば、人間というものは自分自身のためにしか動かない、というか自分のことしか考えていないのだ。もちろん私もだ。正直他人とかうざい。ほかの人もそうに違いないが、決して認めようとしないので追及するだけ無駄である。

自分のためにしか動かない、とはどういうことか。そのままである。

人間の行動について考えてみると、すべてが第一次欲求(性欲、食欲、睡眠欲)と第二次欲求(人間特有の社会的欲求)のみで説明がつけられる。理性的な行動はとくに第二次欲求の塊で、見ていて胸糞悪い。

自己顕示欲は第二次欲求のなかでも重要な「精神的安定」を求めるが故の欲望である。これが最も嫌いだ。


朝起きる。朝ごはんを食べる。これは食欲、生物として当然の欲求だ。

そのあとは学校に行く。これはいったい何なのだ?複雑になるが説明しよう。

そもそも人間がある程度の秩序を保って互いの利害を尊重し、争いが起こらないように統治されたりしようとするのは、結局は自分が、被害を受けたくないからである。この自分のための欲求が大人数にあるために多くの人々の利害に一致し、うわべだけは仲良く、人類として生きようとしているのである。そんなことでできた仲良しごっこの中に、生まれた時から放り込まれた子供たちは、学校に行くことを余儀なくされる。惰性で学校に行かせられているのは明らかだが、これは、周りと違うことを人間は避けようとするためである。周りと違うと精神的に安定しない。仲間がいないのだから。

周りからしてみても、自分たちと違うことをしている人は、未知に分類され、生物として避けようとする。この未知に対する恐怖についてはまたどこかで。

ここで、このことによる、人間に同調させようとする欲求のことを、同調欲求ということにしよう。

上記の理由で、親の、自分のための欲求に付き合わされて学校に行った私たちは、友達を作ろうとする。

これはもう、明らかだ。そう、仲間を作ることによって精神的安定を図ろうとする、同調欲求の一種だ。

お昼を食べるときも、トイレに行くときも、体育館に移動するときも一緒にだれかがいないと不安になるのだ。お互いに。

学校が終わって家に帰って、あいつマジウザとか悪態をつく。これは自分にとって害あるものとみなしたときに敵として排除することで精神的安定を保とうとする働きだ。しかし学校にいるときには同調欲求を満たしてくれるので理性がその欲求を優先させるため、うわべだけは仲良くしようとする。この理性が弱いために起こるのが、いじめである。いじめが小学生に多いのは、敵を排除しようとする生物として基本的な本能に近い欲求はあっても、同調欲求のために理性で抑えるということができないからである。

夜ご飯を食べる。食欲である。

風呂に入るのは、自分を綺麗に保とうとする自己顕示欲に近い。

寝る。睡眠欲。

このように、ごく一般的な高校生の生活でさえ、自己欲求に満ち満ちていて、汚いのである。


この自己欲求に満ちた行動は、言うまでもなくほぼすべての人間に当てはまる。

これが、人間が自分のことしか考えていないということである。

何かあれば何かしら行動が起こる。それらもすべて自分のためである。

どんなことでも私が、それがどういう醜い心の働きで起こったことなのか説明して見せよう。

そんなことを聞く人はまずいないが、それほど自信たっぷりに、私はこの人間の生態を声高に叫びたい。

何のためにって?

そりゃぁ、醜い人間達に自分たちの汚さを自覚させて優越感に浸ろうっていう、私の自分のための欲求さ。

ニッコリ。


今回の日記はここまでにしておこう。

次はいつ書くか、それは未定だ。

もはや日記ですらない?

そんな細かいことを気にする暇があるなら、他人の悪いところでも探したらどうだね。


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