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さだめ  作者: 唖ヰ路 むネん
第一話
6/14

 話は、僕が名城凉子と出会ったその翌日に戻る。その日の午後、僕は昨日と同様のごく自然な振る舞いで、ウェイターとしての仕事を全うしていた。


「いらっしゃいませ」


 チリンという澄んだ鈴の音と共に店内に入ってきた客に対し、僕はいつもと変わらぬ機械的な笑顔で応対した。


「一名様でいらっしゃいますか?」

「見れば分かるでしょ。見れば分かることを一々聞かないの」


 名城凉子は少し鋭い口調で、他の店員や客が見ている前で平然と苦言を呈した。そしてウェイターである僕の案内も待たずに、ずんずん店の奥へと進んでいってしまった。誰もが振り向く程大きな声でなかったからまだ良いものの、そんな横柄な態度を露骨に見せていると店員の間で変な噂が立っちゃうぞ。それに、そんな事は一々云われなくても分かっていますけど。こっちはマニュアル通りの対応をしているだけですけど。僕は心の中で不平不満を漏らしつつ、適当に云い訳しておいた。


 彼女は勝手に空いているボックス席を見つけると、革張りの椅子の通路側に席を取り、肩に掛けていた長い紐付のハンドバックを下ろした。僕はウォータータンクからコップに一杯水を入れておしぼりと一緒にお盆に載せると、彼女の居座っているボックス席へと向かった。白のニットワンピにロング丈のカーディガンを重ね、腿を大胆に露出したデニムのショートパンツを穿いた名城凉子は、テーブルに肘をついて余った袖を弄りながら、僕の様子をジロジロと観察していた。そのネズミを狙う猫の様な鋭い眼光にも物怖じする事なく、僕は彼女のテーブルの前に立つと、再び営業スマイルを作った。


「こちらお冷になります。ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンを押してお呼び下さい」


 そう云って、テーブルの隅の方に置いてあるオーダーベルをそっと手で示した。


「昨日は別になんとも思わなかったけど、結構似合ってるじゃん、その制服」


 彼女はさっきとは打って変わって穏やかな口振りで、僕の制服姿に称賛の言葉を送った。僕自身は特別似合っていると思った事は無かったし、誰かにそう云われた事も無かった。だからきっと、それは彼女なりの気遣いであって、店に入るやいなや乱暴な口をきいた事に対しての謝罪の表明なのだろうと思った。


「話がしたいの」


 立て掛けてあるメニューには見向きもせずに、彼女は只簡単に云った。このまま客と店員ごっこをしていても埒が明かないと思った僕は、これにまた極めて簡単な返事をした。


「今は無理」

「じゃあ何時ならいいの」

「本当は何時でも無理。でも君は、それじゃあ納得しないんだろう?」


 彼女は神妙な面持ちで頷いた。今日の彼女は、昨日とはまるで違う雰囲気を漂わせていた。これがあの名城凉子なのかと思う位には別人みたいだった。変にはしゃいだり、ふざけたりするようには見えなかったし、話が通じるだろうと思わせるような知性すら感じさせた。それはちょっと云い過ぎたかもしれないが、僕が無下に突き返す訳にはいかないと感じた事は確かである。


「バイトが終わったらこっちから連絡するから、それで良い?」


 彼女は一瞬頷きかけて、何か思い直したのか、首を横に振った。


「出来れば直接話したい」


 そう云うだろうとは大方予想がついていた。これは思ったより不味い事になったかもしれない、と僕は思った。


「でも十二時まではシフトが入っているから、それまではどう頑張っても無理」

「じゃあ昨日と同じで終わってからでいいから、直接会って話がしたい」

「でもなあ……」


 僕は迷った。不可能ではない話だった。でも、このままずるずると相手のペースに乗ってしまうのは不本意だった。


「明日じゃ駄目?」

「出来れば今日がいい」

「どうしても?」

「どうしても」


 彼女の決意は予想以上に固いようだった。僕の頭の中では様々なリスクが浮かび上がり、どのような選択をしても、彼女と深夜に会う事は懸命な判断には思われなかった。僕は彼女の目をじっと見つめた。吸い込まれるようなその瞳から逃れられなかったと云った方が正確かもしれない。近くで見ると、彼女の虹彩が純粋な黒である事がありありと分かった。どちらが先に視線を外すのか我慢比べをしているみたいだと、外野で見ている人は思っただろう。結局負けたのは僕の方だった。


「分かったよ。君がどうしてもって云うなら、バイトが終わってから会おう」


 それを聞いた彼女は大袈裟に喜ぶ事もなく、静かによかったと息を吐いた。僕は何だか総スカンを食らった気分になった。


「どこで待ち合わせする? この店は十二時に閉まるし、この辺じゃ君の家からは少し離れているだろう?」


 彼女は僕の気遣いを意外に思ったようだった。目を丸くして、不思議そうにこっちを見ていた。僕自身も、どうしてこんなに気を遣わなければいけないのか、誰かに教えてほしい位だった。


「流石に十二時以降までやっている店ってこの辺にはあんま無いよな。どっか心当たりある?」


 云い出しっぺの彼女にもパッと思いつく丁度好い感じの店は無いらしかった。慌ててバックに手を突っ込むと例のスマホを取り出し、何やら検索し始めた。その様子はどこか可愛らしく小動物じみていて、僕はやっぱり昨日とは別人だなという認識を深めたのだった。


「君さ、どうしちゃったわけ? 昨日とはまるで反応が違うのだけど」

「そぉ? これが普通じゃん」

「全然違うよ。ホント、別人みたい」

「ま、昨日は友達もいたし、多少はそういうところもあったかもしんないけどさ、基本的にはそんなに変わってないでしょ」


 ああナルホド、そういう事か……。僕は妙に得心して、女心にも守るべきプライドがある事を初めて知った。それまでは友達の前で見栄を張るのは男だけだと思っていたのだが、実際はそうではないらしいという事が分かった。


「だとすると、昨日友達の前で君の誘いを断ったのは悪かったかな?」と僕は訊いた。

「ホントそうだよ。私メッチャ恥ずかしかったんだから」と彼女が画面を見ながら答えた。「私みたいな繊細な子に恥をかかせないでよね」


 彼女が猛烈な勢いで画面をタップしたりスクロールしたりしている間、僕は店長に見咎められやしないかと内心ヒヤヒヤしていた。彼女のテーブルに付きっきりになってから、もうかなりの時間が経っていた。そろそろ何か云われてもおかしくない頃だった。何とかごまかしていた他の客の目も段々気になってくる。僕は小振りなジェスチャーで巻くように合図した。


「ていうか、そもそも君はどうするつもりだったんだ? 何か考えがあって誘ったんじゃないのか?」


 名城凉子はフルフルと首を横に振った。


「なんにも考えてなかった。ただ会って話せればいいとばかり」

「だから、その為には話す場所が必要だろう??」


 彼女はいたずらっ子のように舌を少しだけ出して、自分のドジっ娘っぷりをアピールした。ちょっと調子に乗り過ぎていやしないか。僕は彼女をいじめてみたくなった。


「無いようなら、今日は諦めるんだな」

「待って、待って! もうちょっと、もうちょっとだから!」


 煽った時の反応が面白いので、僕は彼女にしか聞こえない位小さな声で急げ、急げと云った。その後も、店長がこっちを見ている時はメニューを指差して料理の説明をしている振りをしてみたり、近くの観葉植物の位置を直してみたりと、様々な趣向を凝らして時間稼ぎを試みていたのだが、何時まで経っても目ぼしい成果が得られないようなので、僕はじれったくなってこちらから助け船を出した。


「ここから君の家が在る方に十分位歩いていくと水道公園があるだろう。ちょっと寒いかもしれないけど、そこで話せば良いんじゃないか?」


 それを聞いた彼女は目から鱗が落ちたと云わんばかりに、それだよ、それがいいよと賛同の意思を示した。おまけに、「実は私もそれを云おうと思っていたんだー」などとのたまい始める始末である。そんな訳あるか! お前、さっき全然違うカラオケ屋とか調べていただろ! まったく、何て調子の良い奴だ……。一々手の掛かる彼女に内心毒づきながら、僕は実際声にも出して「調子に乗るなよ」と云いつつ、彼女の頭にラミネート加工されたメニューをポンと置いた。


「痛ッ! いや痛くはないけど……心が痛いんだよ!」

「え、なんだって?」

「べ、べつに……なんでもないよぅ」

「あそ? じゃあこれで好いね。今日の夜、水道公園で」

「うん」


 今夜の予定が定まった所で、僕は漸く彼女のテーブルから解放された。離れる前にもう一つ。


「ご注文はいかがいたしますか?」

「えッ? いや……まだ決めてないです」

「そうですか。では、ごゆっくり」


 最後の一礼を忘れずに付け加え、回れ右をして僕はその場を立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと店員さん、もう一つ!」


 彼女が手を挙げて僕を呼び止めた。


「はい、何でしょうか?(まだなんかあるのか?)」


 僕は一度腰に仕舞ったタッチパネル式のオーダー端末を取り出しながら、彼女の元に舞い戻った。


「約束してくれてありがとう」


 彼女はテーブルの上のメニューに視線を落としたまま、僕にしか聞こえない位小さな声でそう云った。


「あとこのポテト追加で」

「……はい、かしこまりました」


 僕は端末にフライドポテト一つを入力し、彼女の席を離れた。その後、名城凉子は大人しくポテト一皿を平らげると、僕には一切構わずに、大人しく店を出て行った。


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