六、七
時間は少し遡り――高校生の恋人から怒りの心配スタンプが届いていたのは、僕が不思議な女に誘惑されている正にその時だった。彼女はいつもと同じようにシフト終わりのタイミングを見計らって、僕に愛のメッセージを送ってきてくれていた。付き合い始めた頃と殆んど変わらない情熱を持って接してくれる彼女の好意は大変嬉しく又ありがたいもので、僕はしばしばその好意に甘えていた。
高校一年生の初夏、新しい学校生活に慣れているのかさえ疑わしいその時期に、体育祭で同じ軍団に配属されたというだけの理由で彼女は僕に告白した。それ程どころか全く親しくない二個上の先輩に告白するだけあって、彼女はその辺の女子とは一線を画す大胆さと度胸を持ち合わせていた。当時漸く三年生になって最高学年としての自覚が芽生え始めていた僕にとって、それは青天の霹靂以外の何物でもなかった。
高校生の恋人と付き合い始めるまで、僕には交際経験というものが何一つとして無かった。中学三年生になった頃からだったろうか、僕は本気で愛するたった一人の女性以外とは絶対に交際してはならない、という謎の信念を持ち始めていた。何故そのような禁欲的な信念が初心な青年の心に萌し始めたのか、それに対し説明らしい説明を加える事は困難である。実際僕は小学生の頃も、それどころか中学生になってからも、周囲の女の子に対して当然の興味を抱いていたのだから。したがって僕がクラスの誰彼に告白するといった事が、その結果としてどうなるかは別にしても、あったとして何ら不思議は無かった筈なのである。或いはそれ程好きでもない誰彼に告白されたとして、興味本位で付き合ってみるという選択があっても、僕は決して責められる立場にはなかっただろう。思春期の多感な中学生が大人と同じ恋愛をするなどと期待する方が馬鹿げているのだから。では、どうして僕はそのような機会を捕まえる事が出来なかったのだろうか。今になって冷静に振り返ってみると、恐らくあの頃の僕が、人生で最も精神的に落ち込んだ状態に陥っていたからなのだと思う。端的に云うと、僕は病んでいたのだ。それも恋煩いとか、そういう次元を超えた所にその病の根源はあったのである。高校生の恋人からこのような話に飛ぶのは、いささかおかしな連続であると思うかもしれないが、当時の僕を支配していた精神状態と恋愛は分かち難く結びついていたのである。
自己分析した限りの尤もらしい結論を云うと、僕は親密な交際というものを限りなく野蛮な行為だと決め付けていた為に、例の禁欲的な信念を作り上げたのだと思われる。当時の僕は異常な程尖った意識を持って、周囲に在るものすべてを疑っていた。親を疑い、教師を疑い、友人を疑い……しまいには、人間の尊厳や親しい者の間に起こりうる情愛をも疑っていた。自分の世界を構成するものすべてが信用出来なくなってしまったのだ。それ自体に明らかな原因は見当たらない。知らない間にウイルスに感染しているみたいに、実は何らかの直接的原因があったのかもしれない。問題は、僕の根源的懐疑が自己への禁欲を強制するようになった、という点にある。
僕には、何となく好きになった位で簡単に交際を始める同級生の姿が酷く軽薄に見えた。どうして彼等はあれ程までに互いの事を信じ合えるのか、まだ相手の事をよく知りもしない癖に、と思った。そうして考えを進めていくと、ある時急に、彼等が野蛮な動物であるかの如く思われ出した。彼等には相手が信用に値するかどうかを考える頭脳が無い為に、直ぐに相手の懐に飛び込んで行けるのだ。彼等は欲望に支配された遺伝子の奴隷なのだ――僕の頭はそれらの考えで埋め尽くされた。自分だけはそうなってたまるものかとも思った。そんな僕に唯一与えられた逃げ道が、生涯ただ一人の人を愛し続けるという精神的行為だった。
あれ程恋愛を軽蔑していた僕が、どうして一途な愛だけはその例外として認める事が出来たのか。僕はそこに自分が抱えていた嫉妬のすべてを見る事が出来る。結局の所、僕は普通に恋愛がしたかっただけなのである。それがどうしてか、周りに在るものすべてを疑うようになってしまい、そして何より、一番疑っていたのは自分自身だったのだ。もしこれらの根源的懐疑に原因があるのだとしたら、それは自信喪失なのだと思う。ではその自信喪失に原因があったのかと聞かれれば、答えはやはり霧の中に入ってしまうのである。
高校三年生になっても依然として、人によってはストイックにも思える信念(この場合は強迫観念と云っても良い)に支配されていた僕は、ストレートに気持ちをぶつけてきた小柄な一年生を前に、掛ける言葉を失った。彼女は告白の理由について、一目惚れをしたと云った。十七年間生きていて一度も一目で恋に落ちた経験が無かったので、その言葉が本当なのかどうか、僕には真偽の区別が付かなかった。そうして、僕は必ず相手を疑い始めるのである。目の前の幼気な一年生は本当に信用に足る人間なのだろうか。彼女がたった一人の運命の相手なのだろうかと。恋愛経験の豊富な人でなくても答えは明らかだろう。運命の人であるかどうかなんて付き合う前から分かる筈がないという事くらい。当時の僕はどうやっても、そこに気付く事が出来なかった。
・・・
結局、僕はその時健気な一年生の申し出を断らざるを得なかった。こんな風に疑り深い自分では到底彼女を幸せに出来ないだろうという思いも当然の事ながらあった。僕は十七歳になってもやはり、自分自身を信用していなかったのである。去り際、彼女の目には大粒の涙が光っているように見えた。僕はその日以来、それまでに経験した事の無い程大きな罪悪感に苛まれるようになった。その罪悪感が又より一層自己への信頼を奪っていった。僕は自信喪失と人間不信の無限ループに入ったような心持ちがして、もしかしたら自分はこの先一生こうやって孤独に生きていくのではないかと不安に思ったりもした。そんな憂鬱な生活が二週間程続いていたある日、僕の前に例の一年生が再び姿を現したのである。彼女の意志は明白だった。
「友達からでいいので、付き合ってくれませんか?」
僕はどうしてこんなに熱心に自分を想ってくれるのか、全く理解できなかった。彼女のような一途な子であれば、他にもっと相応しい人がいるだろうに。僕は彼女に対して率直な気持を打ち明けた。それがせめてもの償いだと思ったからだった。
「僕は君には相応しくない人間だ。他の人を好きになった方が賢明だ」
そういう趣旨の言葉を掛けられて、彼女は尚も引き下がらなかった。自分にはどうしても先輩しかいないのだと更に迫って来た。そう強く云われると、又僕の疑心が鎌首をもたげるのである。
「僕の事をよく知りもしない癖に、何故そんな事が分かるのか」
僕は後輩に対して、かなりキツい口調で云い返してしまった。これで完全に終わったと思った。同時に、少しだけ気が抜けたのも事実だった。
「知らないから、これからもっと知りたいんです」と彼女は云った。
僕はハッとした。それまでちっとも頭を掠める事の無かった新しい考えが、僕に強烈な刺激を与えた。世の中には全く違う見方がある事に、その歳になって初めて気が付いたのだった。そうだ、相手を知らないうちにはどうやったって判断できっこないじゃないか。そんな当たり前の事に感動すら覚えた。僕は自分より僅かに年若い後輩の手によって、狭い檻の中から救い出された。
このような経緯があった後、僕は彼女が差し出した手を取る事を選んだ。もし彼女と出会わなかったならば、僕は最後の高校生活も沈鬱な気分で過ごし、その後の大学生活にも全く違った影響を与えていたかもしれない。その意味に於いて、彼女は僕にとって救世主に違いない。然しそんな彼女であっても、僕のたった一人の運命の相手ではなかった。その言葉を、彼女を裏切った当の本人である僕が口にするのは余りにも身勝手な行為であると分かっている。事の顛末は後になれば分かる。
僕達が付き合うきっかけになった命題は真実であった。知り合う前から相手が運命の人であるかどうかは分からない。逆に、知り合った後だからこそ、相手が運命の相手ではないと決定されてしまうのである。