四、五
明くる日も、僕は朝の八時四十五分から大学の一講時目にきちんと出席していた。この時間に間に合わせる為には実質的に八時前の起床が求められるので、僕は目覚ましの音に急かされながら朝の支度をし、ぼんやりした頭を抱えたまま自転車に跳び乗って、大学まで足を煩わした。そしてまだはっきりしない脳味噌を必死に働かせて、教授の話を理解しようとしていた。その時の僕は、寝癖は一応取れていた筈だが、充血した目をして、顔色には薄っすらと疲労感が出ていたのではないかと思う。大学生なのでこの程度の事では周りの友達は気にも留めない。只あんまり寝不足げにしていると、口達者な奴に昨日はどうしたんだと遮二無二揶揄われる事になる。眠たそうに目を擦っている輩がいたら、僕もきっと同じように挨拶しただろう。
クラスの友人達の間では、僕に恋人がいる事はとうに知れ渡っていた。新歓コンパの時もう既に、隣に座った女子にいきなりすっぱ抜かしていたし、何となく授業で話したりするようになった男子との会話でも、別に隠す必要は無いと思ったから素直に打ち明けてしまった。僕は黙っていても噂になるという程の美しい顔立ちなどでは決してなかったから、フリーだと分かった瞬間四面楚歌の集中砲火を浴びて大変な事になる、といった恐れは十中八九あり得ない話だった。それでも何となく牽制というか、僕に期待しても時間の無駄ですよという事を予め周知しておくべきだと思ったのだ、一応礼儀として。これは単なる思い上がりだし、馬鹿げたプライドとしてちょっとだけ高校生の恋人がいる事を自慢したくなっただけなのである。勿論僕にとっては軽い気持ちの交際隠しが実は恣意的と分かれば、高校生の恋人からしたら重大な裏切り行為にあたるのではないかという懸念もあった。僕としては当然の事ながら、そのような不義理は行いたくなかったし、また悪い事もしていないのに中途半端に後ろめたい思いをするのも嫌だった。それが原因で彼女との関係にひびが入ってしまうのはもっと嫌だった。だから僕は自分の選択は正しかったのだと信じていた。
友人やクラスの女子とのそういった駆け引きはスリルがあってなかなか楽しめたのだが、ひたすら念仏の様に続く大学の講義はただただ退屈だった。教授や講義によっても変わるが、こんな話をこれから四年間ほぼ毎日のように聞かなくてはならないのかと思うと、気が滅入る思いがした。まだそれ程真剣に考えていなかったとはいえ、大学院進学の道も選択肢の一つであろうかと思っていたのに、これでは前期二十単位すら厳しいかもしれない。僕は新学期早々、暗雲垂れ込める自分の未来に辟易とした。何が辛いって、眠いのを我慢してせっかく授業に出て来ているのに、話がクソつまらなすぎて聞いていられないようでは、貴重な青春の時間をドブに捨てるようなものだったからだ。バイトやサークルばかりやっているテキトーな学生がするように、単位を取る為だけに講義を聞きに来るようではまるで仕事と変わらないし、何より単純作業のようになってしまうのが僕にとっては耐え難い苦痛だった。
パワーポイントに向かって説明する教授の後ろ姿、特に薄くなった頭頂部の辺りを見ながら、僕は心の中で溜息を吐いた。これでも一年生は専門科目と違う教養課程の科目で、内容が非常にバラエティーに富んでいる筈なのだが……もしかして選択を間違えたか? 後期からは出来るだけ、オムニバス形式の授業が増えてくれるとありがたいんだけど……。僕はいつもそんな事を考えながら授業に臨んでいた。
・・・
その日の午前中、二講時連続で詰まっていた授業を消化して昼休みを迎えると、僕は数人の友達と一緒に学食へと足を運んだ。自分で選択した単位とはいえやはり消化不良の感は否めなく、僕は昼休みに突入してからやっとの思いでそれらを嚥下していた。頭の中は一杯でもお腹の方はいつも空腹で、僕は授業中幾度となくきゅるきゅると音を立てる腹鳴のせいで恥ずかしい思いをしなければならなかった。そういえば、腹鳴の「メイ」は鳴くという漢字だ。鳴く……なく……なき……名城。そこまで考えておきながら、僕はそれ以上追及するのを止めた。心の声が思考を止めるよう、強くブレーキを掛けたからだった。
大学の学食は学生達にとって充分過ぎる位に充実していた。ご飯もパンも麺類もあるし、サラダや揚げ物などのお惣菜も一通り揃っている。カレーは一皿三〇〇円、醤油ラーメンが一杯三五〇円、牛丼は一杯四〇〇円でご飯のおかわり自由など。僕は大抵この三つをローテーションで回していたが、その日は何となく別のものを食べたい気分だった。
先に決めた仲間達が皆揃って奥へと進んでいく中、僕は一人券売機の前で三十秒程頭を悩ませた末、もやし大盛りの味噌ラーメンを選択して彼等の後を追いかけた。受付のおばちゃんに食券を渡してそのまま流れに沿って行くと、レジの前のカウンターで僕の注文した味噌ラーメンが待っていた。代金を学生証にチャージした生協マネーで支払って、僕は皆と一緒に席に着いた。僕達は運良く全員座れるスペースを確保できたが、昼時の混雑具合は毎度目を見張るものがあった。出来ればもう少し広くして、イスとテーブルを増やしてもらいたい。ダメ元で今度要望書に書いてみようと、僕は思った
山盛りになったもやしを頬張りながら、一人そんな事を考えていた僕の隣で、友人達は昨晩放送されたサッカー日本代表(U―23)の試合について熱く語っていた。ライブで試合を見ていない僕でもネットニュースで結果だけは知っていたが、細かいシーンのあれこれについて研究する彼らの話に付いて行ける程、そもそも僕はそんなに熱心なサッカーファンではなかった。特にユースチームの話になると、てんで役に立つ知識を持っていなかった。A代表の選手については一般人レベルの教養があると自負していたが、ユース代表の選手については殆んど名前すら知らなかった。知っていても精々一人か二人だった。だから僕は彼等の話を右から左へ聞き流しつつ、向かいの友人の頭を飛び越えて、その向こうにある景色をひたすらボーっと眺めていた。
それはえらく薄弱で、凡そ意味なんて殆んどありはしない景色の数々に過ぎなかったのだけれども、中には僕の興味をそそるものもあった。通路を挟んで一個向こうのテーブルに、恋仲と思しき一組の男女が、仲良さそげにランチをとっていたのである。その光景は傍から見れば仲睦まじい一対の恋人に過ぎず、大学では珍しくもなんともない光景だった。それがどうしてこうも僕の注意を惹きつけるのか、僕は甚だ理解に苦しんだ。例えば、真っ先に仮説を立てるとしたら、それは同様の光景を見慣れていなかったからだと云っただろう。高校生の頃にも同じ学年同士で付き合っているカップルは幾らでもいた。絶対数はそれ程多くなかったのかもしれないけれど、彼らの噂は終始クラスの中を飛び回っていたし、何より僕自身が学年の違う恋人がいるリア充の一人だったのだ。とは云うもののやはり、高校と大学では校則とか教師の目の光り具合とかが天と地ほども離れているので、実質的な自由度には大きな差があった。僕だけに限らず、多くの新入生が感じた点はそこに極まると云って良いだろう。高校時代に鳴り(また鳴きか)を潜めていた思春期の鬱憤が、大学生になった途端噴出し露骨に目につくようになったと解釈するのは、ごく自然な成り行きに思われた。
もう一つの仮説として挙げられるのは、僕の中には彼等に対しての嫉妬があったというものである。青春を謳歌している彼等の中には昼休みの学食に限らず、大学構内の何気ない通路や、はたまた授業中にまで恋人同士の関係を周囲に見せつけるようにしている一群の人々がいた。彼等を見る僕の眼にどれ程嫉妬の炎が燃えていたのか、それは定かではない。生憎他人と比較できるようなデータは持ち合わせていないものの、個人的な感覚としては、僕がとりわけ周囲の人々よりも彼等を見る回数が多かったなどという事実は全く思い当たらない。然しである。大学一年生になった僕が、高校時代よりも周囲のカップルに気を取られていた事は、これも又明白な事実であった。そしてこれまで以上に注意散漫になった僕の意識は、決して外だけに向かった訳ではなかったのだ。当時の僕はむやみやたらと高校生の恋人の事を考えていたし、一日又一日と迫ってくる週末が楽しみで仕方がなかった。彼女とデートする週末の為に平日を消費していたと云っても過言ではない位熱に浮かされていたのだ。バイトをするのも、建前の上では生活費と家賃を稼ぐ為という事になっていたが、実際は小遣いで賄えないデート代を稼ぐ為のものだった。僕は風邪を引いていると知りながら冷水に飛び込む馬鹿者と何ら変わりなく、自分自身で熱を悪化させる仮病使いだった。そうして、その熱は決して不愉快なものではなかったのである。
もやし大盛り味噌ラーメンのスープを最後の一滴まで飲み干してしまい、手持ち無沙汰になった僕は、話に熱中している友人達を置いて一足先に次の教室へ向かう事にした。幸いにして、その日の時間割は三講時目の基礎物理学Ⅰが最後の一コマで、それが終われば帰宅しても構わなかった。授業が終わってから自転車でアパートに戻っても、バイトのシフトが始まるまでには二時間弱の空きがあった。僕はその時間を昼寝に充てるつもりでいた。大量のもやしとスープで満杯になったお腹をポチャポチャ云わせながら、僕は優雅なシエスタタイムを想像して大きな欠伸を漏らした。