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さだめ  作者: 唖ヰ路 むネん
第一話
3/14

二、三

 その夜バイトが終わる頃を見計らって、ファミレスで僕にスマホを預けた(と云うよりは無理やり押し付けた)彼女が、自分のスマホ(即ち彼女のスマホ)に電話を掛けてきた。聞くと、そんなに離れていない公衆電話(彼女の住んでいるアパートの最寄り駅、ファミレスから一駅離れている)から電話を掛けているのだと云う。彼女は今からまた会いに行くから待っていてと強引に通話を切ろうとしたが、僕が自分で行くからそこで待っているようにと告げた。電話口の向こうで、彼女のあからさまに嬉しそうな「ありがとう」が聞こえた。


 制服から普段着に着替えた僕は、自転車に乗って彼女の待っている駅へと向かった。腕時計の針は深夜十二時を回っていた。途中、春の宵に吹く風が僕の頬を優しく撫でた。

 約束の駅に着くと、彼女は駅舎の外で建物を支える太い柱に寄り掛かりながら、見るからに肌寒そうな格好で立っていた。僕は駅に着くまでの間、彼女に文句の一つでも云ってやろうと散々頭を悩ましていたにも拘らず、いざ目の前に正対すると何も云えなくなってしまった。寧ろどうしてこんな仕打ちをするのか、その理由を教えて欲しい位だった。だから僕は思い切って直接聞いた。彼女にスマホを手渡しながら、「どうしてこんな事をするの?」と。彼女は笑う訳でも怒る訳でもなく、ただ真面目に、運命を感じたからだと云った。


「運命を感じちゃったんだから、仕方がないじゃない」


 彼女の答えは至ってシンプルで、分かり易かった。そうだ、確かに運命を感じてしまったならばそれは仕方がない。でも普通の人は初対面の人に運命を感じても、いきなりスマホを押し付けたりはしないだろう。だから僕もそう云ってやった。至極当然の事を、当然の口振りで云ってやった。


「だからどうしたって云うの。それは私には関係ないでしょ」


 彼女は僕の忠告をにべもなく撥ねつけた。取り付く島もない程に、あっさりと。


「ねえ、いいからLINE交換してよ」


 その時、僕は悟った――彼女は話が通じない人なのだ。誰にだって身の回りに一人や二人はいるだろう、こういう人の話に耳を傾けない人が。彼等には何を云っても無駄なのだ。端から人の話など気にも掛けていないし、そもそも自分大好き過ぎて他人には興味が無いのかもしれない。そんな人達がどう思っているかなんて、僕には想像も出来ない。彼等はまるで別世界の住人なのだから。

 話すだけ時間の無駄だと思った僕は、彼女に背を向けてそのまま自転車を漕ぎ出そうとした。ところが、右足からペダルを踏み込んでも僕の自転車は一向に前に進まなかった。それどころか、僕はバランスを崩して、危うく横倒しになる所だった。原因は無論彼女である。大学にも乗っていく、買い物をするのに便利なママチャリの後部には荷台が付いているのだ。彼女がそれをえいと押さえたせいで、僕は膝を擦り剥きそうになった。


「なにするんだ!?」


 僕はもっと強い口調で注意すべきだったかもしれない。それが出来なかったのは、僕の日頃の性格がしゃしゃり出てきたせいでもあるだろうし、大学の講義と七時間のバイト明けで疲れ切っていたせいでもあるだろう。なんつったって、時計は十二時の針を回っていたんですぜ! 大学生だからって皆が皆、夜遊びに明け暮れている訳じゃあねぇんですよ……。

 それでもやっぱり、僕は深夜のテンションで幾分おかしくなっていたのだろう。猫なで声でLINE交換しようと迫ってくる彼女に対し、あろう事か、ついうっかり自分のURLを差し出してしまったのだ!

 これはもう全然説明する事なんて出来ない。実際、僕はその瞬間までずっと交換するつもりなんてさらさら無かったのだから。どうしてポケットに手を入れて自分のスマホを取り出してしまったのか全く記憶に無いし、合点もいかない。気付いたらそれは終わっていたのだ。彼女はさも満足したらしい様子で鼻息荒くスマホの画面を覗いていたが、その時僕は漸く我に返ったといった具合だった。


「あれ……どうして僕は、君とLINEの交換なんてしているんだ?」


 僕の問いが彼女に届いたのかどうか、それは定かではない。彼女は聞こえていてわざと無視したのかもしれないし、只単純に僕の声量が小さすぎただけなのかもしれない。いずれにせよ彼女が僕のLINEIDを手に入れたのは、自分の注意を隙無く固めて最後まで彼女の誘いに抵抗しなかった僕の落ち度である。一度こうなってしまった以上、その点は認めざるを得ないだろう。

 僕は何をやっているのだろう、という疑問ばかりが頭の中をぐるぐるしていたら、手に持ったスマホが振動して新着通知を知らせてきた。見ると、覚えの無い名前からメッセージが届いていた。そこには名城凉子と記されていた。


「それ、私の名前だかんね」


 目の前の彼女が少し照れくさそうとか、気まずそうといった感じで云った。


 ああ、そういう事ね――僕は納得した。思わず納得してしまった。


「何て読むの?」


 ついでに読み方まで訊いてしまった。


「さっきも教えたはずだけど」


 あれ、そうだったっけ……僕はまだ真新しい記憶の中を探した。


「やっぱり読めないよね、分かりにくいし」


 彼女は如何にもうざったそうにして、けだるげに答えを教えてくれた。


「なきって読むの。なきりょうこ」


 その云い方は、何故だか新鮮な感じがした。彼女の声の調子トーンにもよるが、なきという音が鳴きとかいななきに通じていたからかもしれない。綺麗な名前だねとは流石に云えなかった代わりに、変わった名前だねと云っておいた。彼女は特別嫌そうな顔をしなかった。嬉しそうな顔もしなかったが。


「ねえ、マサト君」


 その瞬間全身に走った衝撃を、僕は多分一生忘れない。つま先から頭のてっぺんまで電流が駆け巡るとはこの事を云うのだろう。僕の場合、上から下にではなく下から上に走ったような感覚だった。だからつま先からてっぺんに、だ。

 僕は息を潜めて彼女の言葉を頭の中で繰り返した。ねえ、マサト君――彼女は今、確かにそう云った。僕の名前を云った。僕はまだ、彼女に自分の名前を教えていない筈なのに。その一言を反芻する度に、一℃ずつ背筋が冷たくなっていった。


「ど、どど、どうして僕の名前を知っているの?」


 僕は凍える唇で訊いた。


「はぁ? 何云ってんの。ここに書いてあるでしょ」


 彼女が差し出したのはスマホの画面だった。そこには確かに、僕の名前がこれ以上ない位はっきりと出ていた。僕がユーザーネームを本名にしていたからだった。


「そ、そっかぁ。そういえばそうだったわ」


 僕は心の中で安堵した。本当ならその場で胸を撫で下ろしてもおかしくない位、心の底からほっとした。


「そんなことよりさ、ね、マサト君。この後どうする」

「どうもこうもないよ。僕はこのまま自転車乗って帰るから、君も気を付けて帰りなよ」

「あっ、そ」


 彼女はぷいと視線を下に落とすと、慣れた手つきでスマホをいじくり回していた。別段気にしている様子もなく、僕はそれじゃあ行くからと云って、今度こそ本当に自転車を前に進めようとした。すると、彼女が又例の如く荷台に掴まって発進させまいとした。


「もう、なんなの?」


 僕は必死に表情を見せまいとしつつも、口では彼女に嫌味っぽく怨言を放った。


「いい加減にしてくれよ。君は一体全体何がしたいんだ?」

「送ってくれないの」と彼女が訊いた。


 どうにも会話が噛み合わない。彼女はお得意の猫なで声を出しながら、上目遣いですり寄って来た。


「ねぇ、送ってくれないの」と彼女が又訊いた。

「送らないよ」


 キッパリと云い捨てて、僕は漸く魔術的な彼女の誘惑圏から脱出する事が出来た。


                ・・・


 名城凉子と別れてから、僕は真夜中の閑散とした通りを一人、自転車で駆け抜けた。この時間ともなると歩行者はおろか、車の一台も滅多に通りはしない。得体の知れない興奮と疲労感に包まれながら、僕は一番重いギアを入れて立ち漕ぎした。その辺りは大学からもバイト先からも離れていたので、地理に関する十分な情報を持っている訳ではなかった。四月から住み始めたアパートの大体の方角を目印にして、見慣れない夜の街を勘だけを頼りに突き進んだ。


 暫く走っていると、住んでいるアパートの近くで見るのと似たような小さな川沿いの道に出た。僕の知っているその川は、狭い住宅街の中をひっそりと人知れず流れているばかりで、市民の憩いの場になるような風格ではなかった。でも下流の方にあたると思われる今の場所では、両脇に遊歩道が整備されて、川と道路の間に何十本もの街路樹が植えられていた。歩道に立ち並ぶ街路樹の桜は、その殆んどすべてが既に花弁を散らしていた。精々街灯に照らされた名残桜が、僅かに色を見せる位だった。今年はお花見に行けなかったなと、それが少しだけ後悔の念を起こした。引っ越しやら何やら忙しくバタバタと動き回っていて、近場のお花見スポットを調べる余裕すら無かった。


 僕はふと、並木沿いの道で足を止めたくなった。丁度好い橋と欄干でもあれば良いと思ったのだが、生憎そんなものは見当たらなかった。もう遅いし遊んでいる暇は無いぞ、明日も講義とバイトがあるんだから――そうやって、川面を流れる桜の絨毯が見たいという衝動を抑えつつ、それでもやっぱり見たくて、首を必死に伸ばして五メートル程下にあるだろう水面を覗こうとした。残念な事に、街灯のそれ程多くないその道では、水面の様子をはっきりと視界に収める事は叶わなかった。比較的浅いと思われる小川の表面は、鈍く微小な光を反射させるばかりで、直感的には桜は流れていないように思えた。


 機会があったらまた来よう。今年でも良いし、来年の春でも良いから。


 僕はその時、遠く離れた故郷にいる恋人の事を思い出していた。僕達は、云ってもまだ付き合い始めたばかりの若いカップルな訳で、その交際期間は一年に満たないのだった。思春期の真只中にあるだけあって、一緒に過ごした時間は大人が思うような時計盤上の針の動きよりは長いのかもしれない。けれど、まだまだお互いの事を十分に理解しているとは云い難かった。もっと同じ時間、同じ経験を共有したい。是非とも共有しなければならない。僕は強く、これまで以上に強く、そう思った。


 桜並木を抜けてからそのまま二十分程経過して、僕は未だ住み慣れていない我が家へ無事到着した。


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