辻斬り
居合いの達人である男は、実際に人を斬りたくて仕方がなかった。当初は近所の犬や猫を斬ることで、その願望を押さえつけていたが、ついに堪えることが出来なくなり、実行を決意した。
決行する場所に選んだのは、男の住居の近くにある、街灯が一つしかなく、夜になると街灯の下以外はまったくの闇に包まれる通りだった。
黄昏時が過ぎ、辺りが夜の闇に完全に覆われた頃、男は鞘に納まったままの刀を携え、不幸な獲物が街灯の下を通るのを待った。刀を鞘に納めたままなのは、抜刀したと同時に斬る居合術を使うためだけではなく、刀身に街灯の光が反射して、自分の存在を知られるの防ぐためでもある。
街灯近くの闇に潜んでいると、街灯を挟んだ向こう側から、男は誰かが自分の方に向かってくる気配を感じた。男は、誰でもいいから街灯の下に来たら斬るという覚悟を決めていた。
街灯の光の中に、学校帰りとみられるセーラー服姿の少女の姿が現れた。男は刀の柄を握り、闇から街灯の光の下に躍り出た。少女はその姿を見て一瞬止まったが、走ってくる男の姿に恐怖をおぼえ、手に持っていた鞄を落とし、男に背を向けて進んでいた方向とは逆方向に走っていった。
男はその瞬間に刀を抜き、走っている少女の後ろから首もとへ刃を横一文字に振った。少女の首は胴体からはずれ、切り口から夥しい血を迸らせながら、胴体は走った勢いのまま闇の中に消えていった。
男は懐から和紙を取りだし、刀の血糊を拭いた。生き物を斬った後はそのまま鞘に納めず、抜き身のまま持ち帰って手入れをするのが男の習慣だった。そのため、刀から滴る血痕から追跡されるのを防ぐため、血糊を拭き取るのだ。拭き終わった和紙も持ち帰って焼却処分する。
男は家に帰り、刀の手入れや血のついた和紙の処分などの作業を終えた後酒を飲んだ。こんなに酒が旨いのは久しぶりだと感慨深く思った。
外からはパトカーのサイレンが騒々しく聞こえていた。多分、男が起こした事件のことで走りまわっているのだろうが、こんな人が殆どいない田舎で随分発見が早いなと男は思った。
翌日の朝のニュースで、男が起こした事件の報道があると思い、男はテレビを視たが、男が起こした事件については一切触れていなかった。遠巻きに犯行現場を眺めていたが、警察車両に混じってテレビ局の中継車も数台来ていたので、多分朝の報道には間に合わなかっただけであろう。
夜のニュースで、男が起こした事件のことを小さく報道していた。少女が落とした鞄から割り出された被害者の身許や、現場周辺では以前から犬や猫の惨殺事件が頻繁に起こり、鮮やかな切り口から刀剣の扱いに長けた同一人物による犯行であろうと警察が発表していると報道していた。
「こりゃバレるのも時間の問題だな」
男は逃亡の思索をはじめた。
ニュースは続けて、被害者女性の胴体は見つかっておらず、犯人が持ち去ったものとみられる…
「おいおい、そんなの知らねえよ。そんなの持っていってどうすんだよ。変態じゃあるまいし」
男はテレビを消した。辺りは静寂に包まれた。昨夜はパトカーのサイレンが騒々しかったが、今夜は異様に静かだ。ふと、男の脳裏に、背を向けて闇の中へ走り去った首をはねられた少女の胴体が、男の方に向かって走ってくる姿が浮かんだ。少女の胴体は男へ報復するため付近をさまよっているのかもしれない。
「まさかね」
男は馬鹿馬鹿しい考えだと思考からぬぐい去ろうとしたとき、家のドアが叩かれた。男は青ざめ、謎の来訪者に声をかけることもできなかった。
ドアを叩く音は次第に大きくなり、ドアを壊すぐらいの勢いになっていった。
尋常でないドアの叩きかたに、普通の来訪者ではないと、男は確信した。声も出さずにドアを叩き続けているのは、あの首なし少女としか思えなかった。
男は刀を取り、刃を鞘から抜き取り構えた。
そして、ドアは壊された。男が刀を振り下ろそうした瞬間、突入した警察官は男に向かって発砲した。
男は搬送先の病院で死亡した。
街灯には監視カメラが備え付けられており、男の行動は全て撮影されていた。
警察は、証拠を固めているうちに逃亡や次の被害者が出るおそれがあるので、逮捕に踏みきった。その際、犯人に悟られないよう、パトカーのサイレンや赤灯を消して行動した。犯人の家に踏み込む際に警察という素性を明かさず突入したのは逃亡を危惧してだった。
警告なしの発砲も、居合の達人が日本刀で向かってきたので自衛のために発砲するのは仕方がないということで正当防衛が認められた。
犯人の家は捜索されたが、被害者の胴体は見つからなかった。