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第9話 焦土からの再起

 1.  崩壊する虚飾


 フラッシュの光と、怒号。  

 あの日、深夜のオフィスに踏み込んできたのはコンプライアンス委員会の面々と、私服警官たちだった。

 佐伯さんは最後まで「これは冤罪だ」「真琴にハメられた」と叫び続けていたが、成瀬君が仕掛けた「動かぬ証拠」の前では、その声は虚しく響くだけだった。


 翌週、東都物産のフロアは凍り付いていた。  

「生活産業部のエース、背任と脅迫で逮捕」。  

 新聞の社会面を飾ったその見出しは、会社にとって致命的なスキャンダルだった。

 私は連日、内部監査室に呼び出され、事情聴取を受ける日々が続いた。

「高峯君。君は被害者だが……同時に、この不正を察知しながら報告が遅れたことも事実だ。会社としては、君の進退についても検討せざるを得ない」


 皮肉なものだ。

 あれほど守りたかった「商社マン」としての地位は、不正を暴いた瞬間に、厄介払いされるべき「傷物」へと変わっていた。  

 かつて私を「優秀な課長代理」と持ち上げた上司たちは、今や私と目を合わせようともしない。

「……検討していただかなくて結構です。川田課長」

 私は胸のポケットから、一通の封筒を取り出し、デスクに置いた。  

 一点の曇りもない、真っ白な封筒。

「自己都合による退職願です。……私は、この檻の中で戦うことに、もう疲れました」

 十五年間、砂を噛む思いで守り抜いてきた椅子を、私は自ら蹴り飛ばした。

 驚きに目を見開く課長を背に、私は一度も振り返らずにフロアを後にした。


 2.  檻を捨てる日


 実家に帰ると、そこには通夜のような沈黙が流れていた。  

 佐伯さんの不祥事は、父の耳にも届いていた。

 かつて彼を「高峯家の誇り」とまで称賛した父は、書斎にこもり、一言も発しようとしない。

「真琴……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

 台所でうずくまる母は、あの日以来、まるで魂が抜けたようだった。  

 私は母の隣に座り、その震える肩を抱き寄せた。

「お母さん。もういいの。……お母さんは私を愛してくれていたから、安定した道を歩ませたかったんでしょ? でもね、その『安定』が、私を一番苦しめていたの」

「でも、仕事も、佐伯さんも失って……これからあなた、どうするの……?」

「何もないわよ。……でも、何もないから、何にでもなれる気がするの。……三十五歳って、人生を諦めるにはまだ早すぎるでしょう?」

 私の言葉に、書斎の扉がわずかに開いた。  

 父が、やつれた顔でこちらを見ていた。

 彼は何かを言おうとして唇を震わせ、結局、小さく「……勝手にしろ」とだけ呟いて扉を閉めた。

 それが、不器用な父なりの「許し」であることを、私は知っていた。


 3.  亡霊の告白


 退職の手続きを終えた最後の日。  

 私は駅前のカフェで、成瀬君を待っていた。  

 彼はいつものように、涼やかな風を纏って現れた。

 だが、その瞳には以前のような「復讐者」の冷徹さは消えていた。

「お疲れ様です、真琴さん。……本当に、辞めてしまったんですね」

「ええ。もう、あの場所で演じる自分には飽き飽きしたの。……成瀬君、あなたの目的は果たせたの?」

 成瀬君はコーヒーを一口啜り、窓の外を見つめた。

「……兄の無念は、晴らせたのかもしれません。でも、あなたをこの騒動に巻き込み、キャリアを奪ってしまった。……僕は、結局兄と同じように、あなたを苦しめただけなんじゃないかって」

「違うわ。……あなたは、私を眠りから覚ましてくれたの」

 私はテーブルの下で、彼の手にそっと触れた。  

 彼の手は、あの日オフィスで私を抱きしめた時と同じように、熱かった。

「……正直に教えて。あなたは、私を救うために現れたの? それとも、兄を裏切った私を地獄へ連れて行くために現れたの?」

 成瀬君は、私の指を絡め取るように握り返した。

「……最初は、復讐のつもりでした。兄の人生を狂わせた佐伯と、彼の手を取ったあなたを、同じ穴に落としてやろうと。……でも、商社で孤立無援のまま戦うあなたの姿を見ているうちに、いつの間にか、地獄の底まで一緒に堕ちたいと思うようになっていた」

 彼は私の瞳を真っ直ぐに見据え、初めて隠していた弱さを見せた。

「真琴さん。……僕はあなたを、二度と誰かの『道具』にはさせない。……これからのあなたの人生、僕に隣を歩かせてもらえませんか?」

 それは、愛の告白というよりも、新たな「契約」のようだった。  

 共に全てを失い、共に再生を誓う、共犯者たちの契約。


 私は彼の申し出に、静かに微笑んで頷いた。  

 だが、その時。カフェの入り口から、数人のスーツ姿の男たちがこちらに近づいてきた。  

 その胸には、東都物産とは別の、外資系コンサルティングファームのバッジが光っている。

「高峯真琴さんですね。……あなたの手腕、東都物産の事件を通じて『別の意味』で注目させていただきました」

 リーダー格の男が、一通の契約書を差し出す。

「泥船から脱出した、伝説のプロジェクトマネージャーを、我々は見逃すつもりはありません。……成瀬涼君、君も一緒だ」


 成瀬君と顔を見合わせる。  

 復讐劇の終わりは、新たな「真のキャリア」の幕開けだった。    

 だが、男が最後に付け加えた一言が、私の背筋を凍らせた。

「――ただし、条件があります。拘置所の佐伯氏が、あなたとの『面会』を強く希望している。……彼には、まだあなたに伝えていない『秘密』があるそうですよ」

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