第8話 審判のカウントダウン
1. 牙を剥く支配者
「カチリ」と、佐伯さんが持つスマートフォンの録音終了音が、死刑宣告のように響いた。
彼は勝ち誇った顔で、震える母と私を交互に見据える。
「さて、どうする? 真琴。このまま警備員を呼べば、お前は背任罪で現行犯逮捕。おまけに、お義母さんは『共犯者』として実名が世に出る。高峯家の誇りとやらは、明日にはゴミ箱行きだ」
「佐伯さん……お願い、それだけは……! 真琴が悪いの、私がちゃんと叱るから……!」
母が佐伯さんの足元に縋り付こうとする。
その無惨な姿を見て、私の胸は張り裂けそうだった。
佐伯さんは冷酷に母を避け、私に向かって手を差し出す。
「メモリを渡せ。そして、今すぐ成瀬を追い出せ。……そうすれば、結婚後に『教育』し直してやるだけで済ませてやる。それが僕の、最後の慈悲だと言っただろう?」
私は絶望に膝をつきそうになった。
家族を人質に取られ、キャリアを汚され、もう逃げ場はない。
だがその時、背後でクスクスと場違いな笑い声が上がった。
「……慈悲? 笑わせないでください。あなたの辞書に、そんな言葉ありましたっけ」
成瀬君が、ゆっくりと私の前に躍り出た。
その瞳は、獲物を追い詰めた猛獣のように冷たく、鋭い。
2. ハニーポット(蜜の罠)
「成瀬、貴様……! まだ状況が分かっていないのか!」
「分かっていないのは、あなたの方ですよ。佐伯さん」
成瀬君は、私が握っていたのとは別の、黒いUSBメモリをポケットから取り出した。
「あなたが受け取った『機密持ち出しのアラート』。……あれ、僕が仕掛けたハニーポット(囮)ですよ。あなたがここに来るように、わざと踏ませたんです」
「……何だと?」
「あなたが慌ててここへ駆けつけたことで、ある『認証』が完了しました。……真琴さん、あなたのPCの画面を見てください」
言われるがままにモニターへ目を向けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
全役員のメールアドレスが並んだ送信トレイ。
そこには、佐伯さんが今まで隠蔽してきた「裏金還流の全証拠」と、たった今、彼自身が口にした「脅迫の音声データ」が添付されていた。
「この送信ボタンの『承認』には、あなたのIDでのログインが必要だった。……今、あなたがこのフロアに入り、アラートを解除するためにパスワードを打ち込んだ瞬間、送信予約が解除されたんです」
「なっ……ふざけるな! 取り消せ! 今すぐ……!」
佐伯さんが机に飛びつこうとしたが、成瀬君がその腕を捻り上げた。
「遅いですよ。……『送信完了』。今頃、ロンドン支局の会長にも、NY支店の監査役にも、一斉に届いているはずだ」
3. 【最後の一手】亡霊からの贈り物
佐伯さんの顔が、土気色に変わる。
エリートとしての余裕が崩れ落ち、ただの醜い犯罪者の顔が露わになった。
「成瀬……貴様、何者だ! なぜ、こんな……!」
「言ったでしょう。……成瀬徹は、僕の兄だと。……そしてもう一つ、あなたが忘れていたことを教えてあげましょう」
成瀬君は、佐伯さんの耳元で、地獄の底から響くような声で囁いた。
「あなたが兄を陥れるために使った『架空のコンサル会社』。……あの会社の株主名簿、最後の一ページを確認したことはありますか?」
「株主……? そんなもの、ダミーの……」
「ええ、ダミーです。……でも、そのダミー会社の実質的支配者は、十年前から『高峯真琴』の名義になっている。……あなたが、彼女をいざという時の『生贄』にするために仕組んだことですよね?」
私は息を呑んだ。
佐伯さんは、私を愛していたのではない。
万が一、自分の不正がバレた時に、すべての罪を私に被せるための「安全装置」として私を選び、婚約していたのだ。
「……だから、僕が書き換えておきました。……昨夜、あなたのメインサーバーに侵入して、全ての書類の署名を『佐伯』に、そして受取口座をあなたの隠し口座に、リアルタイムで紐付け直した。……あなたが『真琴が盗んだ』と主張すればするほど、その証拠があなた自身の首を絞める仕組みです」
これこそが、成瀬涼の隠し持っていた「最後の一手」。
佐伯が私を嵌めるために用意した罠を、そのまま佐伯を処刑するためのギロチンに作り変えたのだ。
遠くで、エレベーターの停止音が響いた。
夜間警備ではなく、通報を受けたコンプライアンス委員会の役員たちと、警察の声が廊下に響き渡る。
「……真琴、助けてくれ! 誤解だ、君を守るために……!」
佐伯さんが這い蹲り、私のスカートの裾を掴む。
私はその手を、何の躊躇いもなく踏みつけた。
「……佐伯さん。さっき、私に言いましたよね。『選ばせてやる』って。……だから、私が選んだ結果を教えてあげるわ」
私は、泣き崩れる母の肩を抱き寄せ、真っ直ぐに佐伯を見下ろした。
「――私は、あなたを『捨てる』ことを選んだの。……さようなら、私の地獄」
扉が勢いよく開き、眩い光がフロアに流れ込む。
その光の中で、成瀬君だけが、静かに私に微笑みかけていた。




