2. 天国と地獄
翌朝、つまり最後に会ってから丸一日が過ぎ、やっと返信が来た。
午前六時。鳴り響いたアラームを止め、期待しつつもまだきていなかったらどうしようと複雑な思いのままスマホを見た。彼のアイコンが表示された瞬間、地獄から天国へ突き上げられた。
トイプードルの仔犬達が戯れている動画、のみが送られてきていた。
愛らしくわちゃわちゃと動き回る六匹の仔犬達。
「可愛いー......」
思わず呟いてしまったほどだったけど、なぜいきなりこの動画だけ送ってきたのか意味不明すぎる。
彼が送信したのは朝の四時半だった。いったいどんな生活をしているのだろうか。
そして随分遅かった返信にすぐに既読を付けてしまった愚かなわたしは、仕方なく、というか本能のままに返事を送った。
『可愛すぎるー!!どこのわんちゃん??』
しかし次の返信も、なかなか返ってこなかった。
わたしは朝食のパンを食べ、歯を磨き、化粧をし、電車に乗って職場へ向かった。その間もずっと、彼のことばかり考えていた。
やっと返ってきた返信に安心できたのも束の間で、また放置されてしまっているこの状況に嫌気が差す。けれど気になって仕方がない。
あんなに楽しかったのに、どうして?
わたしはずっと彼と繋がっていたいのに、彼は違うのだろうか。
今まで、LINEのやり取りは面倒なのであまり好きではなかった。それなのに、彼とはずっとLINEしていたいと思ってしまう。そしてそう思う相手に限って、わたしになかなか返信をくれない。
職場に着き、制服に着替えた。地方銀行で事務員として働くわたしは、この恋の煩わしさを抱えながらも今日も社会人として大人の顔をする。
「なんか疲れてない?」
休憩室でカップラーメンを啜っていたら、同僚の恵が隣に掛けてきてわたしを覗き込んだ。
「え、そうかな?ちょっと昨日なかなか寝れなくて……」
「お、さては男と一緒にいたとか?リフレッシュ休暇だったのに余計に疲れたんじゃないの?」
からかうように意地悪な笑みを浮かべてやがる。
昨日、つまり葵と会った翌日は、有給を消化するための休暇にしていた。しかし返信がこないせいで全くリフレッシュにならなかった。
恵に葵の話をしようかと思ったけど、こんなに放置されているようじゃただ情けないだけなのでやめておいた。
「違うよー」
「ふぅーん」
興味ありげに探るように見つめてきたが、あえてしらを切った。
午後の仕事も、全然集中できなかった。
今この瞬間に返信がきているのではないかと常にスマホが気になって仕方がない。しかしスマホは更衣室のバッグの中に入っているので見ることができない。見たくてたまらないけど、まだきていなかったらショックだという恐怖の板挟みにいた。
常連のおばあさんがお金を引き出しにわたしの窓口へやって来て、孫の話や最近の体の不調の話などをだらだらと喋りかけてきた。「へぇー」「そうなんですね」と適当に相槌を打って愛想笑いをしながらも、頭の中は彼のことしか考えていなかった。
ようやく長い一日が終わり、五時に仕事が終わった。
更衣室に入り、すぐにバッグを開けてスマホを取り出す。そしてわたしは、一気に天国へと戻らされた。脳にドーパミンが溢れていく。
彼から、ちゃんと返信がきていた。
『友達の実家の犬だよ!怜奈はペット飼ったことある?』
午後三時四十五分。つい一時間ほど前だ。やっぱり遅かったが、きていて本当によかった。
しかも、質問までしてくれている。これはどうやら、彼もまだわたしとLINEを続ける気があるようだ。
本当は今すぐ返信したくてしょうがなかったけど、今回はすぐに返すのはやめようと思った。恋愛には駆け引きが大事だから。時には我慢も必要だ。大人だから。
着替えている間も、職場を出てからも、電車に乗っているときもスーパーで晩ご飯の買い物しているときも、わたしはずっと彼への返信内容ばかりを考えていた。
“ペット飼ったことあるよ!昔実家で柴犬飼ってて可愛かった〜”と、今は亡きチワワの写真を送るべきか。それともあえて“あるよー!”だけにしてあちらの反応を見てみるか。でもそれで無視されて終わっても嫌だし……。
ずっとそんなことばかりをだらだらと考え続けていた。わたしの頭は彼に支配されている。
もう何も考えたくない。今すぐにでも会ってしまいたい。それが無理なら電話がしたい。
ってわたし、もともとこんなタイプだっけ?自分で自分が解らなくなる。
気持ちが燃え上がりすぎていて、しんどい。早く鎮火してほしい。苦しい。
それほど、会った時の彼が魅力的で、楽しくて、わたしは久しぶりにときめいてしまったのだ。会いたい。会いたい。会いたい。
あと一時間、もう一時間、となんとか我慢して、夜の八時にLINEを返した。べつにあなたの返信なんて待ち侘びていませんでしたよ、わたしもわたしで忙しいのよ、と装うために。
『飼ってたよー!チワワ!葵は?』
送信。しかし送ったら送ったで、次はまたあちらからの返信が気になって仕方がない。
そして案の定、深夜0時になっても返信はなく、ようやく返ってきたのは次の日の朝だった。
さすがに今夜は疲れもあってか寝れたけれど、彼のLINEに頭を支配されているわたしは彼のLINEの夢を見た。ちゃんと返信が返ってきて、彼の方から電話しようと言ってくれて、会いたいと言われ、来週会う予定を決めるという夢だった。目が覚めて現実に戻った時は、最悪な気分だった。
しかし夢通りではないものの、彼からちゃんと返信がきていたことがせめてもの救いだった。
『俺は昔犬飼ってた笑』
あぁ、たった一文がこんなに嬉しいだなんて。自分でも本当におかしいと思う。
いい歳して、ただのLINEに一喜一憂するなんてどうかしている。
少し間を空けて昼休憩にまたLINEを返した。
彼から返信がきて、どう返そうか迷っている間はなんだか楽しい。彼の名前とアイコンを眺めているだけで心が躍ってしまう。
けれど彼から返信がこない間は、不安で押し潰されそうになる。
今のわたしは、彼の反応に心を乱されすぎている。でももうどうすることもできない。会ってからの余韻が強すぎるのだ。
彼の顔、声、仕草、会話の内容、たまにさりげなく肩に触れてきたりするところなどを思い出しては顔がにやける。
通勤中は馬鹿みたいに恋愛ソングを聴き漁った。
わたし、すごく恋をしている。
恋をすると、こんな気持ちになるのか。恋愛経験はそれなりにあるし、つい先日まで付き合っている恋人もいた。けれど、ここまで気持ちが揺さぶられることはなかった気がする。
幸せでたまらなくて、目に映る全てがキラキラと輝いて見える。なんだか自分が少し綺麗になったような気さえする。
でも返信がこない間は、この夜の終わりみたいな気分になる。まさに天国と地獄だ。
『へー!写真見たいなぁ』
しかし次の返信は、仕事が終わっても家に着いても、食事を終えても、風呂に入って寝る支度を終えても、返ってこなかった。
テレビを見ても何も頭に入ってこないくらい胸がざわざわして、不安で不安で、どうにかなりそうだった。
ベッドに寝転び、LINEのトーク一覧画面を開いた。彼とのやり取りを何度も見返す。もし突然返ってきたときにすぐに既読をつけてしまわないよう、一応機内モードにしてみたり。
そして機内モードを解除して、やっぱりまだ返信がきていないことに肩を落としたり。
いったいわたしは何をしているのだろうか。いい大人なのに。
そういえばと、トーク一覧画面の下の方にスクロールしてみた。ずっと前から返信し忘れていた数人の存在を見つけた。
久しぶりに連絡してきた昔少し付き合っただけの元カレや、友達と紹介で会ってみたもののいまいちだった人。二週間以上返していない相手もいた。
つい今まで、存在すら完全に忘れていた。
そしてふと、嫌なことを考えてしまった。彼にとったら、わたしもこんな感じなのだろうか。日々の忙しさや楽しさに夢中になって、わたしのことなんてすっかり忘れ、たまに思い出して返信をするだけ。
そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。彼にとって、特別な人になりたい。彼がすきだ。彼に愛されて、ずっと一緒にいたい。
こんなにも、急激に恋愛モードになるなんて思いもしなかった。
もはや再会するべきではなかったのかもしれない。
彼の魅力が、破壊的すぎる。
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