第九話 ―迷宮に潜む影―
ギルドの広間。
依頼書は今日も壁一面に貼られている。
だが、どこか空気が重い。ざわめきの奥に、言葉にならない緊張が滲んでいた。
ノアは父と母の隣に静かに腰を下ろす。
武蔵と半蔵は少し離れた柱の影に立っていた。
半蔵が珍しく地図を広げ、低い声で告げる。
「最近、迷宮内で違法行為が頻発している」
ノアはわずかに視線を上げる。
半蔵は指を各層へ滑らせながら続けた。
「略奪、横取り、無許可の素材取引……それだけじゃない。
殺害、拉致の報告も出ている。表には出ていないが、被害は確実に増えている。
違反行為で冒険者登録を抹消された連中が、裏で動いている」
武蔵が腕を組み、鼻で笑う。
「どこにでもいる連中だろう。今さら騒ぐほどか?」
半蔵は表情を変えない。
「問題は数と頻度だ。一層だけじゃない。中層でも同じ動きが確認されている噂だが4階層のモンスターハウスも奴らが作ったらしい」
母が静かに口を開く。
「放っておけば、いずれ大事になるわね」
父は短く頷き、低い声で言った。
「……迷宮は基本、無法地帯だ。モンスターより、人の悪意の方が厄介なことも多い」
ノアは黙って聞いている。
父は視線をまっすぐ息子へ向ける。
「人前で力をむやみに見せるなと言ったが――」
一拍置き、続けた。
「明確に殺意を向けてくる相手に、遠慮はいらん。命を取りに来る者には、全力で返せ。
それを誰に見られようと問題にはならん」
母も小さく頷く。
「ただし、油断だけはしないこと。慢心した瞬間に足をすくわれるわ」
ノアは静かに息を吐き、わずかに頷いた。
「……情報だけでも集めておこう。遭遇する可能性は高い」
半蔵は地図を畳み、低く言う。
「連中は姿を隠すのが上手い。八人ほどの小集団で動いている。
首刈りの二つ名を持つ元A級が、指揮を執っているらしい」
ギルドの喧騒は変わらない。
笑い声も、酒の匂いも、いつも通りだ。
武蔵が肩を鳴らし、口の端を上げる。
「じゃあ……久しぶりに運転したいから“首刈り”を見かけたら、任せてくれ」
誰も止めはしない。
軽口のようでいて、そこに冗談は混じっていなかった。
だがその裏で、迷宮には別の流れが生まれていた。
まだ依頼ではない。
まだ戦いでもない。
ただ確かに――
人の悪意という見えない影だけが、静かに広がり始めていた。




