第七話 ―異常階層の掃除人―
「逃げろッ! 戻れ、死ぬぞ!」
第四階層の闇から、血まみれの男が二人転がり出た。
片腕を失い、顔は恐怖で歪み、振り返りもせず走り去っていく。
父が小さく舌打ちした。
「……四層にしちゃ、騒がしすぎるな」
ノアは答えない。
暗闇の奥をじっと見ていた。
彼には見えている。
倒れた人間から細く伸びる、光の糸のようなもの。
まだ切れていない感情の線。
「……父さん」
「あ?」
「まだ、戦いたいって言ってる」
父は一瞬だけ目を細める。
「また見えてんのか」
「うん。終われてない」
「……行くのか」
ノアは小さく頷く。
「少しだけ、協力してあげたい」
父は壁に背を預けた。
「無茶はすんなよ」
⸻
扉を蹴り開ける。
腐臭と湿気。
脈打つ肉壁。
中央に鎮座する巨大な肉塊――マザーモンスター。
裂けた腹から、怪物が次々と産み落とされている。
床には六つの死体。
隅には、名もない肉片の山。
ノアの視界で、無数の光の線が揺れていた。
剣を握ったまま止まった線。
盾を掲げた姿勢の線。
あと一歩、届かなかった線。
「……もう少しだったんだよね」
指先を床に触れる。
冷たい魔力が静かに広がった。
肉片が寄り集まり、
六つの死体がゆっくりと起き上がる。
瞳に青い炎が灯る。
生まれた怪物が棍棒を振り下ろす。
アンデッドの頭が砕ける。
それでも腕は止まらない。
喉に噛みつき、倒す。
怪物が絶命した瞬間、
ノアの魔力が触れた。
「……君も、まだなんだ」
怪物の死体が立ち上がり、
次に生まれた同胞へ向き直る。
戦場は混乱ではなく、
終われなかった戦いの続きに変わっていく。
怪物たちが膝をついた。
仲間が死に、すぐ立ち、また襲ってくる。
理解が追いつかない恐怖。
だが――
マザーモンスターだけは止まらない。
腹が裂け、倍の速度で怪物を吐き出す。
肉壁が脈打ち、空間が震える。
ノアの視界で、そこだけ線が見えなかった。
「……だめだ」
父が一歩前に出る。
「そりゃ、お前の仕事じゃねえ」
剣を抜く音が、やけに静かに響いた。
次の瞬間、父の姿が消える。
一直線の光。
遅れて、衝撃音。
マザーモンスターが、
縦に真っ二つに裂けた。
断面がずれ、巨体が崩れ落ちる。
産み落とされかけた怪物ごと沈黙した。
父が剣の血を払う。
「……相変わらず、とんでもねーな」
ノアは振り向かない。
巨大な死体へ歩み寄り、手を伸ばす。
今度は、太く重たい一本の線が見えた。
「……君も、終われなかったんだね」
青い炎が灯る。
マザーモンスターの死体が震え、
ゆっくりと起き上がった。
裂けた腹は閉じ、目の奥に青い光が宿る。
もう産まない。
ただ立つ、巨大な死霊。
無数の光の線が、静かにほどけていく。
ノアは小さく息を吐いた。
「これで……終わりかな」




